東井朝仁 随想録
「良い週末を」

                  散 り そ め し
今日(29日)は、東京の最高気温が25度。
ポカポカと暖かい春の陽気、というより初夏の陽気。
そこかしこの桜の花は、満開から数日たった今が、まさに爛漫。
そこで、青山1丁目にある事務所からの帰りに、桜の名所・青山霊園を散策。
ここは広大な墓地内を縦横に何本もの道が走り、見事に区画整理されており、主だった道
という道には古くて太い幹の桜並木が続いています。
これらの並木道を歩くと、風もないのにハラハラと際限なく花吹雪が舞っていました。

先週の土曜日は、表参道の青学会館で「(一社)東井悠友林」の第23回目の集い。
健康講話と懇親会を終えた昼下がり、有志で四谷の上智大学前の土手の桜を見に行きまし
た。
この時の桜も綺麗でしたが、八分咲き。
今週の月曜日は、私が師事している篠笛の福原先生(人間国宝・福原百之助氏の長女)の
一門、「福原会」の演奏会を観賞しに、半蔵門の国立劇場に。
笛をメインに、浄瑠璃・三味線・小鼓・太鼓などが入り、晴れやかにしめやかに、40も
の演目が各師匠の指導のもとに、多くの名取により演奏されるのです。
まさに邦楽の真骨頂。
私は、福原先生が関係していない演目の時は、席を立って劇場周辺の桜や、少し歩いて千
鳥ヶ淵の桜を見て回りました。
この時はどの木も満開で、多くの人が昼休みのひととき、花見に興じていました。
しかし、満開でも花弁(はなびら)は全く散っていません。
だから、息をのむほどの濃密さは、私には感じられませんでした。
「きれいだな」という程度。

それから3日。
今日の青山の桜は、満開になってから、さらに大気と地下から吸い続けた滋養が、樹木の
エネルギーを倍加させたようでした。
咲き乱れ、果てしなく舞い散る桜。
酒や果物などのように、ある程度熟成したほうが桜も爛漫とし、人の心を酔わせるのでし
ょう。

私は、桜の花びらで覆われた霊園の道を、ほんのりと酔ったような気分で歩いていたので
すが、その時、何の脈絡もなく音が聞こえてきました。
それは幻聴というより、頭の中で不意に浮かんできたメロデイ。
「♪あなたと二人で来た丘は 港が見える丘 色あせた桜ただ一つ 淋しく咲いていた船
の汽笛むせび泣けばチラリホラリとはなびら あなたと私にふりかかる 春の午後でした」
この歌は、昭和22年に発表されてヒットした「港が見える丘」という、センチメンタル
な歌。
私と同世代以上の人は、聴いたことがあるかもしれませんが、若い人はわからないでしょ
う。
YouTubeからでもお聴きになると、アンニュイなメロデイに興味がわくと思います。

私が小学生の頃、春うららの日曜日の昼下がりに、洗濯物を取り入れている母親が、この
歌を何気なく口ずさんでいたのを思い出します。
経済的には恵まれていませんでしたが、母も平和でのどかな日々を送っていたころです。
ちなみに、演出家・作家として活躍された久世光彦氏の著書「マイ・ラスト・ソング」
(文芸春秋社刊)の中で、氏は「臨終の際で、最後に1曲だけ聴くとしたら何を聴きたい
か?」の命題に、この歌をあげていました。

「散り初(そ)むる 花を見捨てて帰らめや」(拾遺和歌集)
今年の桜は、もう今日で見納め。
昔は、「桜の季節など、これからも数限りなくある」と思っていましたが、正直なところ、
今は「あと何回あるかな、、、。10回がいいところかな」などと、桜を見上げながら考
えるのです。

「散り染めし 桜花の道を振りかえり」

それでは良い週末を。