俺 は 待 っ て る ぜ
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「貴方は、どちらかというと約束の時間に人を待たせるほうですか、それとも待つ(待た される)ほうですか?」と聞かれたら、私は躊躇なく「待つほうです」と答えるでしょう。 昔から、人と待ち合わせる場合、ごく例外もありましたが、約束の場所には必ず10分前に は到着していました。 「時間通りに到着するよう、心がける」ではなく、「必ず10分以上前までには、その場に 居ること」が信条だったのです。 懇親会でも、結婚式でも、野球部のグラウンド集合時間でも、新幹線や在来線特急の乗車 時間でも、外部との業務上の打ち合わせ会議でも、講演会での講師控室への入室でも、友 人・知人と久闊(きゅうかつ)を叙する場合でも、そしてこれが一番重要でしたが、恋人 やガールフレンドとのデートでも然り。 ただし、こちら側がお願いした外部の企業や団体のVIPの人とのアポでは、先方の多忙なス ケジュールから面会の時間を設定してるのですから、早く行って煩わせるのは失礼なこと。 先方は私の来訪時間までまだ10分あるから、その間に決裁文書を処理しておこうと思って いるかもしれないのに、「失礼します。少し早かったですが」などと言ってドアを開けて しまうと、先方の段取りが狂ってしまいます。 勿論、「参ったな、、。時間通りに来られると思っていたのに」と舌打ちしたくなるのが 当然。どなたかの自宅やレストランにお呼ばれされた場合も同様。先方の準備等を顧みず に早く到着すると、慌ただしくなるだけで大変迷惑なはず。 こうした場合は、時間かっきりが正解。 約束で出かける時は、職場や自宅から目的地までの時間を推計し、さらに余裕を持たせる ため、20分ほど加算した時間を所要時間としていました。 したがって、待ち時間が長くなることはあっても、まず開始時刻に遅れたり、相手を待た せたりすることは、まずありませんでした。 と言うより、早く現地に着きすぎて、近くの喫茶店とか本屋で時間をつぶし、それから頃 合いを見計らって、目的場所に向かうことが、ほとんどでした。 「なぜそんなに早く行くのか?」といぶかしく思われる方もおられるでしょう。 私もそう思いますが、これは性分。 一見「余裕のある、気長(きなが)な性質」と思われるかもしれませんが、その逆で「せ っかち」なのです。どんな目的でも、たとえそれが私自身のメリットとか喜びに直結しな くても、とにかく約束を成就しなくてはという思いから、気がせくのでしょう。 考えれば、損な性分かもしれません。 例えば、こんなことがありました。 昔、ガールフレンドのAさんと、ある駅の改札口で待ち合わせをしたときのこと。 私は、仕事中から彼女とのデートを想うと胸がときめき、退庁時間が待ち遠しくて時計ば かり眺めていました。そして、退庁のチャイムが鳴るや職場を抜け出し、電車を乗り継ぎ、 駅の改札口に約束の時間の30分前に到着。 まだ早いので、駅の近辺を散策して時間をつぶすのですが、「彼女も早く到着するかもし れない」と思い、10分ほどであと戻り。 そして、改札口の近くで待機しているのです。 腕時計を頻繁に見やりながら「あと20分、あと15分、あと10分、、、」と、心の中で反芻。 「あと5分、、、」というあたりから、そわそわしだし、多くの通勤客が吐き出されてくる 改札口に目を凝らします。 そして緊張感を抱きながら腕時計を見ると、約束の時間。 「来るか!」と思いきや、姿は見えません。 胸が高鳴ります。「次の電車で降りてくるだろう」と、目を凝らし続けるのですが、時間 も人の流れも無情に過ぎていきます。 「5分経過」 このあたりから、「何かあったのだろうか?」と不安に。 「10分経過」 焦燥感からじっとしておられず、改札口の真横に移動します。 「まだ10分過ぎただけだ。電車の乗り継ぎに遅れたのだろう」と言い聞かせ。 しかし、出てくる人々の波がおさまっても、相変わらず姿は無し。 「15分経過」 このあたりから、いつまでも待ち人来たらずの我が足元に目を落とし、情けないような孤 独感を感じ、心がジリジリしてきます。 「デートの約束をすっぽかしたのか?」と。 そして20分が経過し、私は耐えられずにその場を離れたのです。 「俺に気が合ったなら、20分も待たせるようなことはしないだろう。 普通、遅れないように万難を排して出発するのがエチケットだ。彼女には約束の時間を守 る誠実さがないのだ。そもそもその程度にしか俺に好感を持っていないのだ」と、否定的 な感情が噴出し、憔悴状態で帰ってしまったのです。 その夜、念のために彼女の家にぶっきらぼうに電話すると、「職場を出るとき電話が入り、 その応対で時間がかかり、遅れた」とのこと。そして私が現場を引き上げた10分後に着き、 その場に30分ほど立っていたとのこと。 しかし、このことを契機にAさんへの気持ちが急速に冷め、彼女との縁は消えていきまし た。 今でも年賀状のやり取りだけはしていますが、それで良かったのかもしれないという気持 なのです。 待たせられる辛さを与えるより、待って迎えてやる側のほうが良いこととは思っているの ですが、なかなか。 携帯電話が全く普及していない20年以上前のことで、痛恨の極みのケースがありました。 私が待つのではなく、私が待たせたのです。 1例目は。 春分の日に千葉のゴルフ場に行った時のこと。 千葉駅から程ないところにある有名なゴルフ場。 私は電車で千葉駅に行き、迎えに来てくれた仲間が車で送り迎えをしてくれたのです。 その夜、ガールフレンドのBさんと銀座の三越デパート前(ライオン像の場所)で会う約 束をしていたのです。 プレイはどんなに遅く見積もっても4時にはホールアウトの予定。 実際その通りに進み、風呂に入り、服を着替え、晴れ晴れとした気分で車に同乗。 「さて、銀座のどこの店に行くかな。中華や洋食より、小料理屋で菜の花の辛し和えや、 筍や魚の煮つけで飲むのがいいな・・・」などと考えながら、窓外の景色を見つめていた のです。胸は高鳴ります。 だが。車が全然進まず。「まあ、時間はまだたっぷりある。そのうちに着く」と高をくく っていたのですが、今まで経験したことのない渋滞。普通は駅まで20分ほどのところを、 1時間半かかってしまったのです。 お彼岸と、何やらの行事で、街路は大渋滞。 時計を見ると午後7時。もう駄目だと絶望的に。 しかし、こちらの状況を連絡し、デートをキャンセルするすべもありません。 待ち合わせ場所が外なので、最寄りの電話がないのです。 「これは駄目だ。後日謝ろう・・・」 がっくりしながらも覚悟を決め、それでも一応現地には行こうと、日も落ちた8時過ぎに 到着。 すると、人がほとんどいないライオン像の横に、Bさんが向かいのビルの1点を眺めなが らポツリと佇んでいたのです。 春とは言え、まだ夜気は冷たく、彼女の顔は青ざめ、私の顔を見つめながら半泣きの表情 で無理に微笑んだときは、熱いものがこみ上げました。 もう1例 これも20年ほど前のこと。前例の経験から、「待ち合わせは電話番号を知っている喫茶店 に」と決め、ガールフレンドのCさんと、今度の待ち合わせは有名な六本木の喫茶店「ア マンド」に。 ここは地下鉄日比谷線「六本木駅」の地上。霞が関から二つ目の駅でアクセス抜群。 午後6時半に待ち合わせ、飲みに行く約束を。職場から10分もすれば来られます。 しかし、退庁の用意をしているときに突然に「国会待機」が。急遽6時半前に喫茶店に電話 し、呼び出しをして貰い、少し遅れる旨を伝えたのです。 が・・・。 それから2回電話。「まだ時間はかかりそう。迷惑をかけるかもしれないから今日はやめ よう」と。それでも「待っています」との返答。 私は気が気ではなく、たった2問なのだからと課長補佐として、大急ぎで指示や文章校正 を行い、想定問答案はできたのですが、今度は総務課協議で難航。 再度、アマンドに電話し、Cさんに事情を説明。「あとどれくらいですか?」「他の課と の協議だけだから、30分ぐらいかな」「それでは待っています」 そしてアマンドに駆け付けたのは、9時10分。 結局2時間以上待たせてしまったのです。 色々なカップルが楽しそうに会話をし、次から次へと交代で店を出ていく華やかな店内で、 女性が一人で、ポツリとじっと待ち人を待っているのは、耐えられないほど辛かったこ とだろう。心底申し訳なく思い、それから「さあ、旨いものを食いながら旨い酒を飲みに 行こう!」と六本木の街に連れ出し、遅れた2時間を足して、結局午前1時まで 飲み語り、タクシーで家まで送っていったのです。 当時は携帯電話などありません。 今のように、普及していればこのような心根の優しい女性に辛い思いをさせることはなか ったでしょう。 でも、そうした時代だからこそ、「待つ」「待たせる」ことによる楽しさ・悲しさ、縁と 縁のなさ、人の心の建前と本音、男と女の情愛が、昭和の時代の恋愛映画のように、醸し 出されるのでした。 私は、「待たすのは嫌。かといって、相手が男でも女でもほのかな好感を寄せている人に、 いつまでも待たされるのは辛く耐え難い」のです。 先ほど(10日の夕方)、厚労省での「叙勲伝達式」から帰宅しました。 結婚後、一、二度しか二人だけで外食に行っていない配偶者と、午後1時に銀座三越前で 待ち合わせ。伝達式・記念撮影・役所幹部との昼食会を終えたのが、12時半。 他の受賞者は午後いっぱいかかる「皇居での拝謁」にバスで向かうのですが、私は辞退。 それより、この機を逃さずに10数年ぶりに、配偶者とゆっくり銀座の老舗レストランで会 食することを優先したのです。 直前の激しい雷雨もやみ、三越前に息せき切って着いたのはちょうど12時10分前。 遅れて配偶者が。 久しぶりに自分が石原裕次郎の映画「銀座の恋の物語」の主演になった気分で、雨上がり の中央通りを足取りも軽く、「俺は待ってるぜ」と口ずさみながらレストランに向かった のです。 厚労省の現職のころから「たとえ受章者に内定しても、私は辞退する」と、叙勲について は決めていました。 でも、「これはこれで良かったな」と、省内でお祝いの言葉を言いに来てくれた、多くの 後輩たちの顔を思い出しながら、いま、しみじみと感慨にふけっているのです。 味のある一日でした。 それでは良い週末を。 |