東井朝仁 随想録
「良い週末を」

            夢は老いることなく(2)
前回、高齢期を生きる重要な課題として、「健康・カネ・孤独」の3つのKをあげ、特に
「孤独」とどう向き合うかが大切と述べました。
そこで、この高齢者の孤独という心の問題を取り上げていた最近話題の本を、4冊読ん
でみました。
どれもが、著者の経験と知恵から絞りだした「高齢期の生き方・心の問題について」、
率直に語られていました。
現在高齢者である人も、まだ前期高齢者(65歳以上)になっていない人も、一読の価値
があると思います。
しかし、そうは言ってもなかなか読むチャンスはないでしょう。
それもまとめて4冊。
そこで私なりに、それぞれの著書の印象に残った個所を抜粋することによって、著書の
心髄をご紹介したいと思います。

●まず、今年100歳になられる家事評論家・エッセイストの吉沢久子氏の「自分のままで
暮らす」(あさ出版)。
本の帯には「いくつ歳を重ねても、その歳にならないと、わからないことがある。
そう思うと、明日を生きるのが、もっと楽しみになる」とあります。
以下、印象個所を抜粋。
「ひとりは寂しい。老いた身はつらく、孤独である。
それが常識のように言われる風潮がありますが、少なくとも私には当てはまりません。
老人はひとりでいるべきじゃないなんて、誰が決めたのでしょう。
ひとりが寂しいなんて、誰が言ったのでしょう。
ひとりでもいいではないですか。楽しいではないですか。
ひとりで暮らしてもいいし、ひとりで出かけてもいいのです。
ひとり旅に出たってかまいません。
したいと思うことがあるなら、すればいいのです。
世間体や常識と呼ばれるものを、絶対に正しいと信じて周りに押し付けようとする人も
います。
でも、自分からわざわざ何かに囚われようとする生き方は、疲れてしまいそうです。
人の目を気にすることなく、自分らしく生きていいと私は思います」
「もっと本を読みたい。もっと歌を歌いたい。もっとおしゃれをしたい。
何でも構いません。一生懸命になれることがたくさんあるほど、老後の生活はより充実
したものになるはずです」
「私が自分自身の老いを実感したのは、60代の時でした。(略)
きのうまで当たり前にできていたことが、急にできなくなる。歳を取れば、よくあるこ
とです。
老いは突然やってきます。
50肩は、迫りくる老いの単なる前触れです。50肩に続いて、次々に老いが体に押し寄せ
てきます。体のあちこちが痛み、不自由になって、もう思い通りには動かなくなること
を予感させます。
つまり50肩の痛みは、「老いの準備をしなさいよ」という合図なのかもしれません。
体の自由がきかなくなったとき、足腰が弱ってきたとき、気持ちが弱くなってきたとき、
自分の暮らしはどう変わってしまうのか。
「今のうちに先々のことまで考えておきなさいよ」という、警告のようにも思えます。
私は肩の痛みを感じながら「体が不自由になっても、自分を見失わずにひとりで暮らし
ていこう」と考えました。
いつまでも健康ではいられない。そのことを前提にして、老後の人生設計をもう一度考
えてみてはどうでしょうか。
老いて失うものは、数多くあります。でも、もうずっと前から、いずれはすべてが失わ
れることは、すでにわかっていたはずです。失うことを嘆くよりも、楽しむくらいの心
づもりでいたいものです」
「自由と孤独は紙一重です。
自分をどちら側に置くのか、それは自分自身にかかっています。そして、どうせなら自
由を楽しんで生きたほうが、いい人生になるでしょう。寂しさはときに人の心を弱らせ、
悪い面ばかりを見せてきます。けれど、必ず、悪い面の裏には良い面があります。人生
はいつもそうです」
「人生どうなるかは、すべて自分次第。楽しみも幸せも、たいていは自分の手の中にす
でにあるもの。それをなかなか気づけないだけです。老後への不安や戸惑いが、目を曇
らせてしまうのかもしれません。起きてもいない未来のことを憂いても、どうしようも
ありません。
確かなことは、いずれ誰の命も終わるという事実だけです」

●次は、今年87歳の作家・曽野綾子氏の「老いの才覚」(ベスト新書)
本の帯には「他人に依存しないで、自分の才覚で生きるために」とあります。
以下、抜粋。
「老人であろうと、若者であろうと、原則はあくまで自立すること。年をとるにつれて、
なおのこと、その重大さを感じるようになりました。自立とは、ともかく他人に依存し
ないで生きること。自分の才覚で生きることです。少なくとも生きようと希(こいねが)
うことです。(略)
老人といえども、強く生きなくてはならない。歯を食いしばってでも、自分のことは自
分でする。それは別に虐待されていることでもなければ、みじめなことでもありません。
誰にも与えられた人間共通の運命なのですから」
「自分の能力が衰えてきたら、生活を縮小することを考える。(略)人に何かをやって
もらうときは対価を払う」
「老人が健康に暮らす秘訣は、生きがいを持つこと。つまり、目的を持っていることだ
と思います。たいていの年寄りは目標がなかったら、生きていけないのではないでしょ
うか。老人ホームで手厚く世話をしてもらって、お花見だ、お月見だ、盆踊りだと行事
を開いていただいても、目標がないと楽しくないかもしれません。やっぱり絵手紙がう
まくなるとか、俳句が上達するとか、何か目標がいるような気がします」
「人は男であろうと、女であろうと、基本的に一人で生きていけなくてはならない。少
なくとも自分のための簡単な食事の用意、衣服の洗濯、部屋の掃除ぐらいはできないと、
人間ではありません」
「老年は、一つ一つ、できない事を諦め、捨てていく時代なんです。
執着や俗念と闘って、人間の運命を静かに受容するということは、理性とも勇気とも密
接な関係があるはずです。諦めとか禁欲とかいう行為は、晩年を迎えた人間にとって、
すばらしく高度な精神の課題だと思うのです」
「老年の仕事は孤独に耐えること、その中で自分を発見すること。孤独は決して人によ
って、本質的に慰められるものではありません。たしかに友人や家族は心をかなり賑や
かにはしてくれますが、本当の孤独というものは、友にも親にも配偶者にも救ってもら
えない。人間は、別離でも病気でも死でも、一人で耐えるほかないのです」
「常に過去にあった、いいこと、楽しかったことをよく記憶しておいて、いつもその実
感とともに生きればいい。これだけ、面白い人生を送ったのだから、もういつ死んでも
いい、ということです。そして、まともな祈りが出来ない時には、
「今日まで、ありがとうございました」と、たった一言、神への感謝だけはすることに
しています。そうやって、一日一日、心の帳尻を合わせておくと、いつどういう変化に
襲われても、やんわり受け入れられそうな気がします」
「私は、孤独と絶望こそ、人生の最後に充分味わうべき境地なのだと思うときがありま
す。この二つの究極の感情を体験しない人は、たぶん人間として完成していない。孤独
と絶望は、勇気ある老人に対して「最後にもう一段階、立派な人間になって来いよ」と
言われるに等しい、神の贈り物だと思います」

●次は、今年82歳の作家(元NHKアナウンサー)・下重暁子氏の「極上の孤独」(幻冬舎新書)
この本は、現在多くの書店でベストセラーになっています。
本の帯には「孤独ほど、贅沢で愉快なものはない」と謳ってあります。
以下、抜粋。
「(略)自分の考えとは何かといえば、孤独の中で決断を迫られたものである。
他人の意見は参考にはなるが、結局決めるのは自分なのだ。
孤独の中で、ああでもないこうでもないと悩み考え、やっと結論らしきものを得る。そ
ういう時間を積み重ねていくことによって、人間は成長していくのではなかろうか。孤
独な時間をどれだけ多く持つことが出来るかによって、成長の度合いが変わるといって
も過言ではない。
世の中はますます煩雑になっていく。人間関係も、人間と人間が面と向かって付き合う
以外に、電話、メール、LINEをはじめとするSNS等々、放っておいてほしいと思っても、
その渦の中に放り込まれてしまう。
様々なツールを使って他人とつながることが出来るようになって、かえって、孤独を感
じる機会が増えたともいえる。
友達は大勢いるほうが幸せだと思い込んでしまう。
だが、友達や知人など少ないに越したことはない。そのかわり、本当に信頼できる友を
持つこと。人間関係は、あくまでも1対1.それが鉄則である。
それでなければ、心を開かない。(略)いつも他人と群れてばかりいては成長するはず
もなく、表面的に付き合いのいい人間が出来上がるだけではなかろうか」
「他人に合わせるくらいなら孤独を選ぶ。(略)素敵な人は、たいていが一人。
永六輔さんは、旅の達人としても知られるが、よく地方へ出かける途中の列車の中やホ
ームで出会うことがあった。私も一人、永さんも、もちろん一人だった。
軽く会釈してすれ違う。そんなところで嬉しそうにベタベタするのは愚の骨頂。さらり
と挨拶だけ。やはり新幹線で、立川談志さんに会った時のこと。
談志さんは席の前のテーブルやシートの上にゲラを広げて原稿の校正中、以前から顔見
知りだったので、「あら、たいへんですね」と言って、自分の席に戻った。
談志さんも病気になる前は、たいてい一人だった。弟子や知人と一緒なのは、銀座のい
きつけのバー「美弥」など。素敵な人は男女を問わず、一人が多い」
「(略)ジムは我が家から歩いて10分という距離にあり、広尾という場所柄、有名人も
多いのだが、老若男女様々な人に出会う。そこで意外なことに気が付いた。
日課のように通っている熱心な人のほうが、先に亡くなる例が多いのだ。(略)
自分の体の声にもっと耳を澄ますことが出来れば、休むことを大事にしただろう。
仕事も運動もやり過ぎはいけない。健康を過信すると、自分の体の声を聞き忘れてしま
う。そのためにも、一人になる時間を持つことは大事だ。自分の体と向き合わなければ、
聞こえるものも聞こえてこない」
「男の顔は履歴書、というように、男の場合、仕事の内容がそのまま顔に滲み出てくる。
それが染みついて、元の自分の顔を忘れてしまう。
学校の先生は教師の顔、寺の住職はそれらしく、営業マンは如才なさが顔に現れる。そ
れだけではない。生き方も滲み出るから恐ろしい。ゴマすり男はどこかに
その媚(こび)が染みついているし、反骨で生きてきた人は、それなりに潔い顔になっ
ている。
定年になったら、自分の顔を取り戻したい。仕事の仮面をつける前の顔を。
いつまでも「昔の名前で生きています」では、新しいものは生まれてこない。
定年後は、勤めていたころの名刺や肩書を捨て去ろう。局長やら部長の肩書のついた昔
のままの名刺を渡されると、ぞっとするし、哀れになる。この人には自分の顔がない。
肩書だけが大事なのかと思うと、薄っぺらい男に見える。
定年後は一人の男に戻ろうとする人の顔は、なんと可能性に満ちていることか。
これからが本当の自分の人生なのだ」
「孤独を知らない人に品はない。(略)品とは言葉を換えれば「凛とした」とか「毅然
とした」という意味だろうか。
品とは育ちの良さや金の有無とは関係ない。
こんなことを言うとどうかと思うが、アメリカのトランプ大統領に品を感じるか。
メラニア夫人にも。トランプ大統領の価値基準は常に金で、重視するのは経済効率のみ。
彼は孤独を感じたことがあるのだろうか。大統領という職務は最終的に一人で判断せね
ばならない、最も孤独な立場であるはずなのだが、彼の周りは家族や支持者だけで固め
つくされ、気に入らぬとやめさせる。これまで何人の閣僚が辞めていったか。自分やア
メリカに損になるものは全て排除。そこに品など生まれようがない。移民をはじめ、自
国・自分に損になるものを認めず、思いやることも出来ぬ中からは」
「良寛は孤独ではあるが、いつも人々に慕われていた。村の子供たちはマリをつきに山
を登ってくるし、托鉢に出れば、良寛様といって待っている人々が食物や必要なものを
持ってきた。良寛は求められるままに話をし、書を書いた。
そこには修行というより、のびやかな孤独がある。出来るなら私ものびやかな孤独を持
ちたい。
里へ下りると待っていてくれる人がおり、泊まれる知人の家もあった。その上に貞心尼
(ていしんに)という弟子のような女性も。彼女とは歌を詠みかわし、最後まで心を通
わせ、一説には深い仲にあったともいわれる。
いよいよ病が重篤になった時、勧められるままに里に下り、親しい家に世話になった。
最後まで貞心尼がついていたことは言うまでもない。人々を拒絶するのではなく、受け
入れながら孤を守り、自由であること。私もそれを目指したい。
孤独という自由を手に入れ、その心境で迫りくる老いを自然に受け入れていけたら、ど
んなにいいか。出来るかどうか、私自身の中に答えはある」

●3人の女性の書籍が続きました。
最後は男性。今年86歳になられる作家・五木寛之氏の「玄冬の門」(ベスト新書)
本の帯には「やがて老いる準備、老いてからの覚悟。この門をくぐれば、新しい世界が
開ける!」とあります。
以下、抜粋。
「いま、社会全体に大きな不安というものが、わだかまっているような気がします。不
安の原因は主に3つぐらいでしょうか。
一つは健康の問題。二つ目は、この国は大きな災害に見舞われる可能性が高い、という
こと。三つ目は、昔の日本人が、あるいは少し前までの人々が当たり前のように確信し
ていた未来図が、今は無いこと。つまり、死後の世界とか、後生(ごしょう)とか、来
世とか、そういうものに対する確信が、現在ほとんど失われているということです。(略)
周りを見回すと、それこそ4人に1人が65歳以上で、右を見ても左を見ても、自分たちと
同世代の高齢者ばかりです。しかも、安定した希望に満ちた生活というのが考えられな
い。核家族化していく中で、家族の絆というものもなくなっていく。言ってみれば孤独
死を覚悟して生きていかなければならないのに、全く新しい人生観、つまり、後半生を
中心に考える人生観というものが、現在はっきりと確立されていない。
社会の中で一番大きな層を占める60〜90歳までの30年間を「覚悟」しないといけない時
代。しかも、その30年間は、保障のある安定した30年間ではありません。どうやら、今
の様子では、非常に見通しの暗い30年になりそうだという感じが現実の問題としてあり
ます」

「「こういう高齢者が増えるのならば、自分たちの理想だ」と若者たちが思えるような、
そんな高齢者像を作らなければなりません。
それには、やはり自立心です。
自分は自立して生きていくと心に決めて、むやみやたらと若い連中との間に連帯を求め
ない。首を突っ込んでいかないことです。例えば、ボランテイア活動にしても、高齢者
が一人入ってくると、若い人たちは、はっきり言って鬱陶しい気分になる。あれこれ昔
話なんかされた日には、面倒くさいという感じがするのは当然です。
やはり、まず孤独者として生きていくという、その覚悟を決めて、自分一人で出来るこ
とをすればいいのです。自分の食事の面倒ぐらい自分でみるというのも、第一歩として
は大事なことです」
「尊厳死の問題というのがあります。自分は充分にこの世の人生を生きた。これ以上意
識が混濁して、まわりの人たちに迷惑をかけたくないと思った高齢者が、どのように去
っていけるか。昔は楢山送りとか、いろいろありました。かっての農村では、間引きと
か楢山送りが、別に何も変わったことではない、当たり前だった時代があったのです。
そうなってくると、最後はやはり自分に徹するしかない。
普通、世間一般に言われていることは、仲間づくりだとか、コミュニテイに参加しなさ
いとか、そういうアドバイスがもっぱら出てきます。それはそれで別に悪くないでしょ
う。しかし、一緒にゲートボールなどやりたくない人もいるだろうし、自分流の生き方
を通したい人もいるはずです。
わたしはやはり、孤独を嫌がらない。孤独の中に楽しみを見出す。後半生はそういうこ
とが大切だろうと思います」
「現在、単独で暮らしているお年寄りは、すごく多いと思います。地方でも、息子たち
がみんな街に出てしまって、単独独居の生活をしている人たちもたくさんいる。それを、
やむを得ず、みじめに転落してそういう状態になっているのだというのではなく、一つ
の生き方として考えたほうが良いと思います。なにも、別々に暮らせと言っているので
はありません。心がけとして、家族と一緒に暮らしたり、配偶者と一緒に暮らしたりし
ていても、気持ちはもう単独者だということです。そういう気持ちで生きていけたらい
いと思うのです」
「よく、みんなで楽しむということばかり言って、フオークダンスを踊ったりするけれ
ども、高齢者が集まって、タンバリンを叩いて童謡を歌わせられるなんて、あんなのは
見ていて悲劇的です。人はやはり独居の喜びを発見したほうがいい。
しかし、世の中では、人の輪の中に入って行って、年寄りにもかかわらず、嬉々として
みんなと一緒に何かやっている人を持ち上げる風潮があるでしょう。テレビなんかでも、
若い恰好をして、若い人たちと一緒に何かやっているのを、良いことのように言います
よね。けれども、やっぱり高齢者は孤立すべきだと思います。もっと、例えば目に見え
ない世界とか、宗教的なものでもいい。神とか絶対者とか、そういうものに思いを馳せ
るとか、般若心経の写経をしたい人はやればいいのです。他人に迷惑をかけずに出来る
ことは、山ほどあるのです」
「高齢期の人に対しては、私は自炊生活をすすめたいと思います。
自分が台所に立って、買い物して料理をして食べるのは、煩わしいことではなくある意
味ではすごく創造的なことで、料理というのは呆けを防ぐにもよいわけです。ですから、
元気で高齢を生きていくという中に、自分の食事を自分で作るというのもあって、良い
かもしれません。それはきっと、意識の変革だと思います」
「先のことを考えないというのも、一つの生き方です。その代わり「今日一日」が積み
重なって、何十年か経っているわけですから、刹那的な生き方もすごく大事な気がしま
す」
「繰り返しになりますが、「人は本来、孤独である」と覚悟する。「頼りになる絆など
ない」と覚悟する。「人間は無限に生きられない」と覚悟する。「国や社会が自分の面
倒をみてくれるとは限らない」と覚悟する。そういうことが大事でしょう」

以上、4冊(4人)の本(考え)の大まかなエッセンスをご紹介しました。
それぞれに共通するキーワードが幾つかあるのを、感じられた方もおられるでしょう。
そこには、高齢期の人だけではなく、若者にも示唆を与える「孤独観」があるようでし
た。
次回は、私が思うところを述べてみたいと思います。

それでは良い週末を。