東井朝仁 随想録
「良い週末を」

                  家 と 車
いつの頃からか、家を持つことと同時に、車を持つことが当たり前の時代になりました。
現代では公共交通機関網が整備されているとはいえ、それは首都圏など大都市の一部。地
方では、車がないと生活ができない地域がほとんど。したがって、婦女子はおろかお爺ち
ゃんお婆ちゃんでも、軽自動車等を足代わりに運転しています。
首都圏でも、23区内から外れた私鉄沿線では、夜の9時程度でも駅前は薄暗く閑散として
おり、バス路線などは無く(あっても1時間に1本程度)、殆どの人が家族の迎えの車を
待って帰宅するのが実情。
だからどんなに立派な家を建てても、同時に車を1、2台持たないと、新生活はスタート
出来ないでしょう。

先日、埼玉県の坂戸に行ってきました。
夕方6時に、坂戸駅から車で10分ほどのところにある料理屋で会う約束。
行きは駅からタクシー。今回は駅前にタクシーが1台停まっていたので、すんなりと行け
ましたが、前回、師走の時期に同じ時間に同じ店に向かう際、店にはこちらのほうが近い
北坂戸駅で下車したときは、困りました。
駅のロータリーは人影もまばらで、店の明かりも少なく、タクシーがなかなか来ないので
す。
冷たい北風に吹かれながら15分ほど待っていたのですが、全く来る気配がなく、やむなく
急ぎ足で店に向かう羽目になりました。
店まで歩いて20分ほどの距離だったから何とかなったのですが、これが氷雨の降る夜に、
遅れるわけにはいかない約束でもって、もっと遠いところに行かなくてはならないケース
だったら、本当に困ったでしょう。
だから今回は、降車駅を変えてみたのです。
こうした駅やスーパーなどから離れた地域に住む人たちは、毎日の生活がつくづく大変だ
ろう、と改めて考えさせられました。

と言って、東京は大丈夫とは言い切れません。
都内23区内でも、駅から歩いて20分以上などという場所に家がある人はざら。
大袈裟に言えば、まさに陸の孤島。大都会の交通網空白地帯は、少なくありません。した
がって、これらの地域の人も、多くが車を所有。
「駅まで自転車で行き来しているが、飲んで遅く帰るときは、家族の者に迎えに来てもら
う」「ちょっとした買い物は、駅前に出ないと出来ない」ということ。

私の住居は、以前に書いた「サルビアの花(1)〜(3)・ 2017年9月」でも触れました
が、目黒区下目黒の実家→結婚して世田谷区三宿のアパート生活→目黒の実家の敷地内に
初めて自前で家を新築・増築→1年間の賃貸マンション生活→現在の世田谷区上馬の家、
と移り変わってきました。
どこも駅から近く、駅までのバスも5〜10分間隔で出ており、近所のバス停まで歩いて
数分でしたので、何をするにも便利なところばかりでした。
したがって、自宅から職場(厚生労働省の霞が関、環境衛生金融公庫の虎ノ門、国民生活
金融公庫の大手町、それに東京検疫所のお台場)までの通勤時間は、30分〜50分程度でし
た。
それで、運転免許証を取得した30歳の頃は、しばしば自動車を運転していたのですが、そ
れから係長になり職場の帰りに酒を飲む機会が増え、また、休みの日はゴルフや野球に出
かけて、プレイ後は飲んで帰っていたので(これが楽しみ)、殆ど運転はしなくなってし
まったのです。

私は30代の頃まで、家と車に対する希望の青写真を描いていました。
例えば。
家は、目黒区の柿の木坂から八雲あたりの閑静な住宅地に(今は様変わりしてきています
が)。50坪ほどの敷地に南向きの3LDKの木造平屋。12畳ほどのリビングと、その南側の縁
側(籐椅子を置く)、6畳の和室(寝室)、6畳の洋室、それに玄関から入って右側の4
畳半の洋室(私の書斎)。あとは6畳ほどの台所兼食間、バス、トイレ、洗面所。
建坪20坪ほど。そして残り30坪ほどの庭は、玉垣の上にドウダンツツジなどの生垣で背丈
ほどの垣根を施し、庭の隅には百日紅やハナミズキや山茶花、金木犀などの花木を。
そして、手前には、背丈の低い沈丁花やサツキなどを。
あとの地面はそのままにし、縁側から下駄をつっかけて黒い庭の土に立ち、ゴルフ・クラ
ブを振り回せる程度のスペースを確保。
一言でいえば、こじんまりした和洋折衷の家のイメージ。
昭和30年代から40年代半ば頃までによく見かけた、東宝映画に出てくる丸の内の大手企業
に勤める主人公、中堅サラリーマンの家の雰囲気。

そして車。
これは門から玄関へのアプローチの脇に駐車。
車種は、昔のminiとかキャロル、スバル360などの東京の狭い街中でもスイスイ走れる、ち
ょっと個性的な小型タイプ(今の軽自動車のようなものではなく)。

そんなことを考えているうち、現在の家は上馬で30年近くなり、車はどこに行くにも電車
が主となり、ゴルフなどは近くの友人・知人がピックアップしてくれるので、全く乗らな
くなりました。
そして先日、免許更新を秋に控えた今、警視庁から1通の葉書が。
それには、免許更新には「高齢者2時間講習(適性検査・双方向型講義・実車指導1時間)」
等を経てから更新手続きをすることが、こと細かに書いてあります。
私は今まで、歩いて5分にある世田谷免許更新センターで、視力検査と20分講習を受け、す
ぐに免許証を交付して貰ってきたので「何だ、これは?」と。
だが、内容を読んで「なるほど、70歳になったからか」と納得。
もう、そんな年だったのだ、と思い知らされました。
自主返納するか、更新手続きをとるか。

若き頃に描いた青写真は、今やセピア色に変色。
だけど、これっぽっちも落胆はしていません。
あの青写真より、やはりこの40年間(厳密には27歳の結婚当時からの43年間)の現実図の
ほうが良かったのだ、という肯定感のほうが強いからです。
Chanceはあったでしょうが、challengeする気持と、それほどまでして現状をchangeしたい
願望が薄れたからです。

しかし。
「でも・・・。まだ遅くはないか・・・」
そんな風に、消えたと思っていた情炎が、ふっと心に小さく燃え上がることもあります。
だから、悟りの心になるには、まだ若すぎると解釈している今日この頃なのです。

それでは良い週末を。