緑 陰 の 人(下)
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(前回からの続き) ・昭和43年7月8日(月) 「帰宅したら、昨日Gさんから電話があった、と母がことづけてくれた。 昨日の日曜日は炎天下、職場の野球大会で初戦と2回戦を完投したので、喉がカラカラ。 終わってから遅くまで居酒屋でビールを飲み、帰宅が午前様だった。 何だろう?心が波立つ。 Gに電話する。 今日は叔母さんが出たが、意外に速やかに彼女が電話口に出た。 昨日の電話は、何の意味もないらしい・・・・・。それでもかけてきた・・・・。 後にその心を推察し、何でもいいから話をしたかったのだろうと考えたが、その時は他愛 のない話をして電話を切った。 今、Gの心の中で、俺の存在はどれほどの比重を占めているのだろうか。 だが、そんなことはどうでもいい。問題は、俺が彼女の存在をどの程度に位置付けている かだろう。 他のガールフレンドと一緒か。それとももっと重い存在か。お互いに恋人と呼ぶには違和 感があるし、その実証もないが・・・・。」 ・7月11日(木) 「Gから電話があった。『土曜日は学校にいくのですか』と尋ねてきた。 『いや、行かないけど・・・』と答えると、『「そうですか・・・』と。用件はそれで済 んだかのような口ぶりだった。 俺は、「『何で?』と聞くが、彼女はモグモグとして明瞭に言わない。『また、叔母さん の件で相談があるのかな?』と一瞬考えたが、彼女は何も言わないでモゾモゾしている。 ともかく俺は、『土曜日は東京に居ないんだ』とだけ告げて、電話を切った。 切ってから、心がすっきりせずに重くなった。俺はそれで彼女の心情を察してやったのか、 と後悔したのだ。 彼女は土曜日に俺に会いたかったのではないか。それで思い切って電話をしてきたのだろ う。しかし内向的と自分を卑下するおしとやかな彼女は、女の自分からそれを言い出すの が恥ずかしく、とうとう言い出せなかったのではないだろうか。 そこは俺がGの気持ちを汲んで、声をかけてやるべきではなかったかと。 でも、俺には『会おうか!』とGを誘うほどの意欲と情熱が、今は持ち合わせていないの だ。数日前の彼女の電話にしろ、叔母さんの干渉に逆らえない主体性の乏しさにしろ、バ ラの花より紫陽花の花が好きな陰りのある彼女と言えども、今こそ一歩踏み出して、勇気 を出して自分の気持ちを俺に素直にぶつけてほしかった。でも、相手の心に配慮して、出 過ぎた真似をしない古風な女性らしい、そんなGに好感を持つのも事実なのだが・・・・。」 ・7月16日(火) 「井上靖の『海峡』を一気に読了した。 『城砦』にはない描写美があった。 主人公の一人・医師(病院長)の庄司は、鳥の鳴き声を収録することに異常なほどの執着 を示し、医業や妻さえも遠ざけて、南から北へ旅を繰り返している。 若き杉原は、恋情を抱く宏子に失恋した傷心を癒すため、そんな庄司と共に、下北半島に 来た。 そこで一人温泉に浸かりながら、こう呟く。 「『ああ、湯が沁みてくる。本州の北の果ての海っぱたで、雪降り積もる温泉旅館の浴槽 に沈んで、俺はいま硫黄のにおいを嗅いでいる。なぜこんな所へ来たのだ。 美しい姫の幻影を洗い流すために、俺はやってきたのだ』 杉原は詩人になっていた。宏子のことを姫と言ったのは、必ずしも誇張ではなかった。下 北半島の突端で東京の宏子のことを考えると、宏子はこの世の人とは思われぬ高貴な一人 の姫君に思われた」 この文章が、今の俺の心に真摯に深く響いた。 しかし、俺はまだ20歳の若造だし、異性に対してここまで真剣になったことはないから、 実感がわかない。 Gのことが頭に浮かんだ。まさに高貴な姫なのかもしれない。だが、胸に押し寄せるほど の狂おしい血潮は、まだわかない」 ・7月18日(木) 「Gに電話しよう電話しようと思いつつ、なかなか出来ない。 エイッ、ママヨ!と、10円硬貨を公衆電話に投入してモシモシ。 電話口の彼女の声は、明るく澄んでいた。 今日はグズグズせず、テンポよく会話が進んだ。 待っていましたわ、との内心が伝わってくるような弾んだ声。 『明日の試験は頑張ってくださいね』と、語尾を低くして甘えるように語る。 嬉しかった。」 ・7月21日(日) 「Gと待ち合わせたブルボンが閉店だったので、猛暑の中30分も店頭で待たざるを得な かった(俺の着くのも早すぎた)。 やって来た彼女は、白いノースリーブのブラウス姿だったので、落胆(?)せずにすんだ。 Gは本当は軽装が似合うのに、それに気づいていない。趣味としていないようだ。本来は 清楚で美しい容姿なのに、いつも控えめで自分を隠すような重たい服を着ている。 ジャルダンで色々とダベってから渋谷に出る。 西武デパートを散策して、パンテイオンで映画「80日間世界一周」を観る。 100年前のイギリスやスペインの貴族趣味的な風俗が、ペーソスとユーモアをきかせた 大胆な演出で表現されていた。気球あり、蒸気付き帆掛船あり、蒸気機関車あり、人畜交 通ありで80日間で世界一周の冒険。 テーマ・ミュージックが壮麗で、娯楽映画の決定版だった」 (注・この日記欄には書かれていなかったが、映画館のちょうど真ん中の席に座った上映 前のひと時のことを想い出した。彼女に貸してあった「人知れず微笑まん」(樺美智子・ 著)という本を、彼女が私に礼を述べながら手渡してくれた時、手から滑ってその新刊本 が足元に落ちた。すかさず彼女が拾い上げて見ると、床にこぼれていた汚物の液体が表紙 に付着していた。すると彼女はハンドバッグから純白のハンカチを素早く取り出し、私が 「いいよ」と止めるのも聞かず、躊躇なく汚物で濡れた表紙カバーを丁寧に拭ってくれ、 改めて私に手渡してくれた。私はこの時、Gさんの心根の優しさに心を打たれた。普段か ら香水も何もつけていない無臭の彼女の身体から、湯上りのような甘い芳香が匂ってきた) ・8月11日(日) 「昨夜の夜はA君が私の家に泊まりに来た。 父を交え、3人で飲みながら歓談した。彼とは1時ごろまで話に興じてしまった。 今日はGと、新宿の朝日生命ホールへ映画「ドレイ工場」を観に行く。 豪華な場内、少ない観衆で観賞するには良かった。 終わってA君の下宿へ行く。音楽狂の彼のところで好きなレコードを聴く予定だった。彼 は予定があり夜9時頃帰宅するとのこと。 俺とGは、勝手にレコードをかけながら、先ほどの映画の感想を言い合う。 彼女は、ちょっと考え、遠慮がちに『何といっていいか、わからない・・・。 何を言っても、私の今までの経験のなさでは、的外れになると思うの・・・』と 言った。 『そうか・・・』俺はそれ以上は言わず、黙ってレコードを何回も取り換えて音楽に聴き 入った。 俺はゴロ寝、彼女はつつましやかに正座。 ポツリポツリと、とりとめのない会話を交わした。 お互いの年齢の話。彼女が21歳、俺が20歳ということ。 『人間は、火と水の性格を併せ持っていても、あまり水ばかり出していると、火があるの に水オンリーの性格になってしまうと思う。特に女性は・・・。 俺は君の水のような部分に惹かれたが、段々とそのうちの火の部分、強い部分を期待して いるのかもしれない。』 そんなわけのわからないことを、一人で喋った。 そして、何かいたたまれないような気分に押されて、身を起こし、こう言った。 『結婚とか恋愛とかを前提としない口づけをしないか。 口づけをするのは何々のためだからする、という型にはまった行動ではなく、口づけをし て、その後の自分の心の可能性を突き詰めても良いのではない? そうした透明な二人の仲があっても・・・』 俺は高校3年の時から今日まで、数人の女性と口づけの経験はあった。 みな、後味の良い爽やかなもので、その後の親しさが一層増したように感じていた。 だが、彼女は遠慮しながらこう言った。 『自分としては、割り切れない・・・。二人のモラルにギャップがあったら、その行為は ナンセンスになると思うの・・・』 それは俺が求めていた冷静な回答だった。 俺は、彼女の手を取り、手の甲にそっと口をつけて立ち上がり、彼女と共に部屋を出た。 駅までの道、二人とも無言だった。俺はひどく疲れを感じていた。 それでも彼女を家まで送ることにした。 途中、文学部キャンパスに寄り、散歩した。幾分疲労感が抜けていた。 生協の前の屋上で、夕風に吹かれながら歌を口ずさむ。 4曲、5曲。Gは『うまい、うまいわ』と喜んで手を叩いた。 俺は「赤いグラス」を口笛で吹きながら、彼女の後ろからさりげなく両手を回してそっと 抱きしめ、白いうなじに軽く唇をつけた。 彼女は悲しい表情で『このままの状態でいたいの。わかってほしいわ・・・。 きっとそれを許した後は、別離があるのみだと思うの。今のままをずっと続けたいの。わ かって!あとで悲しむのが恐いの・・・・』と、哀願するように言った。 俺は離れた。彼女は真剣な眼差しで俺をみつめた。そして諭すようにこう言った。 『もっと包み込まれる状態になったら、私からするわ。わかって・・・!』 この言葉が強烈に俺の心を揺さぶった。 俺は黙ってうなずき、彼女を家まで送っていった。 一人で帰る道すがら、『そうだ!俺は自分中心の偏狭な心しか持っていなかった。相手の 心を察し、優しく包み込んでやる心に欠けていた』と、痛感していた。 20歳の成人の今、初めてそれを教えてくれたのは、あの清楚で優しくて美しい、控えめ なGだったのだ。 俺は何かとても大事なことを教えられたと思った。そう考えた瞬間、心がスーッと晴れて いくのを感じた」。 (注)この後、8月18日から25日までの期間、私は理科大学の友人と奈良までサイク リング旅行に出かけた。Gのことも他のガールフレンドのことも、勿論、職場のことも、 学校の夏季のレポートのことも、大学紛争のことも、全て忘れて長い距離を真っ黒に日焼 けしながら、毎日朝から夕方までペダルをこいでいた。 姫の面影も何もかも、全く脳裏に浮かばなかった。帰京すると、あの真夏の緑陰の清涼さ に代わって、澄んだ水色の空に目が映るようになった。それはGの微かな変貌と似ていた。 夏も終わろうとしていた。 ・8月28日(水) 「久しぶりにオリエントでGに会う。 髪型をシンプルに変え、刺繍の入った水色のブラウスが、とても良く似合っていた。久し ぶりに冗談を言い合って談笑した。そして小雨が降る舗道を肩を寄せ合って帰っていった」 ・9月27日(金) 「昨夜、1か月ぶりでGと会った。 飯田橋の喫茶店で待ち合わせ、軽食をとってから四谷までゆっくりと歩いていった。 四谷のルノアールに入り、お互いに近況を報告しながら、他愛のない話を楽しんだ。 それから上智大学の前の土手を歩いた。人影は無く、夜風が心地よく吹き抜け、暗闇の遠 くにネオンが瞬いていた。 彼女の柔らかな肩にさりげなく手を置くと、波打っていた。 俺は彼女の両肩に手を置き、正面から彼女の白い整った顔を見つめた。 頬が微かに赤く染まっていた。 Gも俺の目を見つめ、すぐに目を閉じた。俺はいつくしむように、軽くそっと彼女の熱い 唇に唇を重ねた。そして唇を離し、改めて彼女の目を見た。彼女も潤んだ目で俺の目を見 つめ返した。その瞬間、俺と彼女は夢中で身体を抱き合い、激しく狂うような口づけを交 わした。 全てのことが忘れ去られ、うねるような愛おしさだけが心を支配していた。 それからしばらく、彼女の熱い頬に頬を重ねてから、俺たちは離れた。 Gは、身体から理性の支柱が抜け落ちたように揺らめいていた。そのGの身体を支えなが ら、もと来た道をゆっくりと帰って行った。 俺はポックリと心が解放され、何も目に映らなかった。 そして訳もなく、微かな空虚感に襲われていた。 街の雑踏がやけに煩わしかった。 これを書いている今頃、Gは何を考えているのだろうか」 ・10月2日(水) 「昨日で21歳を迎えた。明確な決意などは何もしなかった。 ただ漠然と「何事も粘り強く実践していこう」と思った。 俺が不在の時、職場のTがプレゼントを俺の席に置いといてくれた。 夕方近くに、電話でお礼を言っておいた。(略) YとSとで飲みに行き、そこで乾杯をした。 良い気持ちで帰宅すると、Mから長距離電話があって、『手紙を出す暇がなく、電話で誕 生日を祝おうと思ってしたの・・・』と。 Gから手紙が来ていた。開封するとユーモアに満ちた綺麗なバースデー・カードが出てき た。自筆は「M・G」のみで、日付は30日になっていた。皆に心から感謝しなくては。」 ・12月24日(火) 「今日はクリスマスイヴ。(略) Gに電話したら案の定、出てきたのはあの意地悪叔母さんだった。 『バイトに行っていませんよ。エエ、この前もちゃんと言っておきましたよ。エエ』 何か絶望的だった。少し前だったら、まだこんな感情に襲われなかったろうに。それにし ても、Gがバイトを始めたとは驚いたが、何となく動機が分かるような気がする」 ・昭和44年1月18日(土) 「いま、オリエントでこれを書いている。 3日後からの学年末試験を控え、本日で3学年の授業は終了した。 5つの論文と8つのテストを控え、余談は出来ないはずだが、Gのところへ電話して呼び 出した。昨年9月以来のデートだった。 彼女は赤いセーターを着、簡単にまとめた髪型をしてきた。 ちょっと太ったのかな?と感じたが、顔におできが出来て通院中で、注射のために顔がむ くんでいるとのこと。 また、全体から醸し出す雰囲気が以前より変わったと感じたが、冬休みの間に洋菓子店で 製造のバイトに行っていたとのこと。そうした体験が彼女の雰囲気、いや性格を少なから ず変えてきたのだろうと感じた。 何となく、人間として幅が広がったようであり、積極的・開放的になってきたようだ。以 前の彼女は内向的で、控えめで、自我を出さない美しいお嬢さんという感じで、新鮮さ (真の若々しさ)に乏しかった。だが、それらのイメージから一歩飛び出した印象が強か った。 それは彼女の成長であり、魅力の倍加であり、歓迎すべきことだった。」 (注)試験が終わり、春休みになった3月中旬、私は一人で1週間の四国旅行を行った。 Gには予め、予定を伝えといた。鳴門―丸亀―松山―道後―宇和島―高知―琴平―高松の コース。彼女の故郷・宇和島による予定だった。 宇和島に行く前日、道後の安宿からおばさんに電話のかけ方を教えてもらい、電話交換手 を通して彼女の実家に電話を入れた。しかし、「はい」という声が聞こえた瞬間、音声は 乱れ、ツーツーという雑音が耳に流れた。何回も同じことを繰り返したが会話は成り立た ない。そこで通じた瞬間に「明日の急行で伺います」と大きな声で発したが、通じている 自信は全くなかった。私はがっかりして、電話を切った。 翌朝、「どうしようか?」と迷っていた。すると、おばさんに「どちらに出かけるの?」 と聞かれたので、咄嗟に「あの、高知まで・・・」と答えていた。 おばさんは三坂峠を越えて高知に行く長距離バスを教えてくれた。 安くて早くて便利だと。 私はガラガラのバスに乗り、山道を長時間揺れて高知に入った。 車中で、「これで良かったのかな・・・。万が一でも急行を待っていることはないだろう な」と気がかりになりながらも、心のどこかで、「仕方がない。これでいいのだ」と納得 させていた。 帰京し、新年度が始まって間もなく、Gから電話があった。 あの日は、朝から急行の到着に合わせ、母と一緒に1日、駅で出迎えていたとのことだっ た。 俺はその言葉を聞いた瞬間、母娘二人がいつ来るかと駅で佇んでいる姿を想像し、申し訳 なさで胸が詰まり、しばし絶句してしまった。 この時に、電話が通じていたか否かの判断は無用とし、とりあえず宇和島を訪れたら良か ったのだ。 今なら100パーセント、そう決断したと思う。 しかし、50年前の当時の私は、そこまで真剣に考えられなかった。さらに「恋人だと堂々 と言える関係ではないだろうし、ましてや結婚を前提とした付き合いをしているわけでも ないので、騒ぎ立てて相手に迷惑をかけないほうが良い」と考えていた。 このころ、私はGの気持ちが日に日に「ステデイな関係」を私に期待してきていることを、 うっすらと感じていた。だが、「その気」がある振る舞いをして、最後に相手を偽ること は、絶対にできないと考えていた。 端的に言えば、以前、Gに映画「ドレイ工場の」感想を尋ねたとき、『私は社会について は未経験だから、何といっていいか・・・』と呟いたように、私も『まだ21歳だし、大人 の恋愛などは未経験だから・・・、今は結婚など全く考えられない』という心境が本音だ った。 Gは素敵な女性だ。しかしGの10倍も素敵な女性が現れても、当時の私には結婚というこ とは考えられなかった。 一方、この4月から私たちは4年に進級し、私は社会学専攻のゼミ、Gは東洋文化のゼミ に追われ、さらに卒論や教職課程や就職活動などで、多忙になっていた。 私は、マスコミ関係に就職しようと、夏季に大手出版社の入社試験を受け、内々示を貰っ ていた。一方では、市ヶ谷にある「大臣官房統計調査部」の職場で、バレーボール部の主 将や労働組合の青年対策部長、文化サークルの主宰者としての活動が面白く、このまま2, 3年はこの職場を利用しながら何か知識や技術を磨き、いずれ本当にしたい仕事に転職す ることを考えていた。そして、取り合えず現在の待遇を少しでも良くするために、10月 の国家公務員中級職試験の受験勉強を始めることと、大学院受験の二股を目指すこととし ていた。家庭の経済の関係から二文に行ったが、家計は落ち着きを増し、私自身も働いて 稼ぐという行為に慣れ、先が読めるようになってきた。 (結果は、中級職試験に合格したので、数年厚生省に在職することとし、出版社は辞退し た) そうした中でも、翌年の安保条約改定阻止や、大学管理を巡って大学当局を糾弾する全共 闘・過激派の各セクトは、全学一斉大学封鎖等の激しい闘争を展開し、あるいは機動隊と 衝突するなど、大学紛争は激化の一途を辿っていた。 そして休講も増え、Gと会う機会もめっきり減り、ともするとお互いにこのまま自然に忘 却してしまうのではないかと、私はぼんやりと考えていた。 だからか、Gの名前が日記に出てくるのは、前回会った時から約4か月後の事になってい た。 ・昭和44年5月2日(金) 「久しぶりにGに電話した。今までにない彼女の元気で明るい声が聞こえてきた。 『どうしているかなと気になったので電話したんだ』『明日から茅ケ崎の海に行ってくる の。この頃サバサバしているでしょ?自分を変えるように努力しているのよ。ジメジメし てもしょうがないから』『今度、いつ会える?』『そのうちにね』 『何かおっかなくなったみたいだな』『そうお?』」 ・9月11日(木) 「Gに電話した。元気な響きが伝わってくる。彼女は大学紛争のことで、全共闘や革マル のことを手ぴっどく非難し続けて喋った。俺はそんな彼女の陰・静の性格から陽・動への 変貌に、いささかたじろき、驚いた。彼女は変わってきたと思った。それは以前から俺が 期待していたことなのだが・・・・・。 でも、好き勝手に喋っていくGは、確かに変容し始めているように見えるが、俺にはそれ が無理しているように感じられてならなかった。 『会おうか?』『落ち着いてから、そのうちにね』『前もそんなこと言ってたね。 落ち着いてからというのは、来春ごろということかな?』『・・・・・』 彼女が体(てい)のいい言葉を返してくるのは、この頃の状況から十分に予想はしていた。 以前は、誘えば必ず来たが、何か期するところがあるのだろう。 俺はそれが、彼女にとって自己の可能性を追求するものだと推察し、 『じゃあ、また・・・』と言って電話を切った。 ・10月6日(月) 「早稲田に行って、バリケードで封鎖された文学部キャンパスに入り、学割を貰ってきた。 すると、スロープの下に座っている白いセーターを着たGに出会った。 彼女と気さくに語らったあと、俺は遅れてきたMさんと一緒に帰った。 Mとローリエに入り、語らった。 恋愛論でMはこう語った。 『私は・・・美化されたり、高められたりする男性よりも、例えば「ちっとも美人でもな ければ、頭もいいとは思わないが、君の優しいところが好きだよ」なんて、率直に見てく れる男性のほうが、私としてはついて行けると思うの・・・。 いつでも飛び込んでいけそうな、優しく包み込んでくれそうな雰囲気の男性を、女性は求 めていると思うわ・・・・。 女は所詮、男に強引に引っ張っていって貰いたい、弱いもんだと思うの・・・・』 ・10月28日(火) 「今(午後6時45分)、教育実習基礎演習を終え、野島とブルボンでディスカッション してから「社会演習」を受講している。 もう夜風は冷たく、コートが欲しいくらいである。 帰りがけ、女友達とスロープを降りていくGの姿が見えた。 Gはすごく綺麗になっていた。それは先ほどの野島も言っていた。 黒いセーターにクールにアップした髪型が、白い肌と顔をみずみずしく美しく浮き立たせ ていた。 彼女と語らった1年半あまりの日々が、今は懐かしく脳裏に蘇った。」 日記に記されたGの名前は、これが最後だった。 その後、Gとは1度も会わなかった。 最後に会ったのは、翌年3月の卒業式だった。 私が文学部のスロープをおりていくと、偶然、向こうから薄紫の着物と濃い紫の袴をはき、 髪にピンクのリボンをつけたGが、女友達と上がって来るのがわかった。 私は立ち止まり、彼女が近づくのを待った。 付き合い始めた1年半前、「私は紫陽花の花が大好き」と言っていたG。 あの頃は、まだ薄黄色の儚い花だった彼女が、今は見事な紫色に変わり、清楚で気品に満 ちた花となって咲いているように映った。 私に気づいたGは一瞬立ち止まり、少し緊張した表情をにこやかな笑顔に変え、 軽く頭を下げ、そして再びスロープを上がっていった。 私も軽く微笑み、黙ってスロープを降りていった。 いつか二人で満点の星空を見上げながら歩いたスロープを、今は別々の方角を向いて別れ ていった。 これがGとの最後だった。 今回の西日本豪雨災害で報道された、宇和島の被害。 不意に宇和島出身のGさんを想い出し、長々と日記の文章を引用しながら、まだ若くて未 熟だったが、それでも悔いなく精一杯生きていた50年前の日々の追憶を書いてみました。 きっと、Gさんは今頃、夫という大きな木に守られながら、その緑陰で安らかな日々を送 っていることと思います。 ただただ幸多かれと、祈るばかりです。 それでは良い週末を。 |