終 戦 記 念 日 に
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「(略)苦難に満ちた往時をしのぶ時、感慨は今なお尽きることがありません。 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省と共に、 今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に 倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」 これは、昨日15日に行われた「全国戦没者追悼式」における、天皇陛下のお言葉の後半 部分。 私には、今年の天皇陛下のお言葉が、いつにも増して重く深い意味合いに感じられた。 そして、皇后陛下と並んで歩むお姿には、誰もが容易に近づけない凛としたものが漂って いた。 私はこのお言葉を聞いて、「これは天皇皇后両陛下の万感が込められた、日本の反戦平和 を願う究極の、そして最後の叫びだ」と思った。 さらに、これは全国民に対するお言葉にとどまらず、特に、その後に官僚・秘書官が推敲 した追悼文を読み上げた安倍首相、並びに現在の政治をもてあそぶ「戦争を知らない」国 家中枢の人たちへの「親としての戒め」である、と直感した。 しかし、現在の政権与党の人々の中で、この両陛下の深い思いを、果たしてどれだけの人 が感じられたかというと、全く疑問だ。ほとんどの人が「まあ、例年とほぼ同じだな」程 度で聞き流していただけではないだろうか。 この追悼式の前、8月6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日の両平和祈念式典で安倍 総理が挨拶した。私はNHKのテレビで聞いていたが、客観的に見ても「核廃絶のやる気」 「被爆者などへの思い」が全く感じられない、これまた官僚・秘書官が作成した文章の棒 読みだった。 そして例年のことながら、日本の総理大臣であるにもかかわらず、まるでアウエー(敵地) での式典に参列しているような、表情と行動に終始しているようだった。 その背景には、広島市長や長崎市長が悲願として訴えていた「核廃絶」への具体的な政策 の中でも、特に関係者が期待を寄せていた2017年7月に国連本部で議論された「核兵 器禁止条約」が、圧倒的多数の国の賛成により採択されたにもかかわらず、日本は5大核 保有国(米、英、仏、ロ、中)と共に不参加(棄権)をして、賛成に回らなかったことが 要因としてあると思う。 世界で唯一の、二度も被爆した国・日本。 その日本が、「米国の傘で守られている現状から、米国の意向に従わないと、日本の安全 保障は成り立たない」という立場から、「日本は核保有国と非核保有国の橋渡しになる」 という苦しい弁明で棄権しているのだ。 要するに「核の抑止力は必要」という日本の態度。 私は、橋渡し役はいいことだと思う。しかし賛成国になって核の脅威、悲惨さ、核拡散競 争の不毛さを、唯一の被爆国として堂々と訴えていけばいいこと。 その程度の「プリンシプル」さえ、ないのだろうか。米国に忖度して出来ないのだろうか。 さらに、いまだかって政権側から、国会議論やマスコミなどを通して、「日本はなぜ棄権 に回ったのか。これからの核廃絶へのプロセスはこうだ」という、わかりやすく説明を受 けた記憶がない。 「核禁止・核不拡散などは、理想論だ。現実にはパワー・ポリティックス(武力を背景に した政治・外交)の世界なんだよ」という人がいるが、それなら口先だけで有権者には 「核廃絶」を唱え、実際には政権与党一丸となって、国民の目の触れないところで「核の 傘=日米軍事同盟の強化・米国の核戦略への依存」を進める現実を、どう説明するのか。 まさに「面従腹背」。 日本も核が必要なら(多数の現職議員はそう思っているだろうが)、まさに親分・米国に お伺いを立て、「非核三原則」を見直し、憲法改正等を行い、国民の多数の信認を得て実 行すればいいのだ。 責任というか、その帰結は国民ももつのだから(世代交代が進む今、意外と憲法改正、核 を含む軍事大国への邁進が早晩多数になると、私は推察するが)。 一方、今の政治は、嘘と虚飾と言い訳と問題のすり替えと情報操作(隠蔽)で成り立って いる、と感じている国民がどれほどいるのか、疑問だ。 天皇皇后両陛下は、きっと近年の危うい政治姿勢や国民の独裁政治を許す風潮に、深く危 惧されておられるのではないだろうか、とも推察している。 話は変わって。 15日の朝、感動するニュースが。 山口県の山中で行方不明になった2歳の子が、68時間ぶりに救助された。 生存が絶望的になる72時間が迫っていた。 発見・保護したのは、何と78歳のボランテイアの男性。 発見されたのは、男性が山中に捜索に踏み込んで30分ほどのこと。 この男性は、65歳で正業の魚屋を引退した後、ボランテイアとして東日本大震災や西日 本豪雨災害など被災地の復旧作業や、捜索活動のボランテイアとして13年間も各地を飛 び回っているとのこと。 「子供は山を下りるより、上る習性がある」と判断し、上ってみて沢にいた子供を発見し たとのこと。 それまでの警察官や消防署員などの大量捜索活動は何だったのだろうかと、不思議な気が した。 この「奇跡の生存」を確保した78歳の男性は、締まった身体と、日焼けした顔、その中 でも目がキラキラと若々しく輝いていたのが、とても印象に残った。 比較が妥当かどうかわからないが、天皇陛下の優しい目つきの中に毅然とした黒く輝く瞳 と、このボランテイアの人の力のある澄んだ目は、何か似ていた。 双方とも「目的・使命感」にあふれ、「無私無欲」の純粋な心が宿っているのではないか、 と推察させていただいた。 この救助劇の一件は、素晴らしいの一言だった。 あれやこれやがあった、15日の終戦(敗戦)記念日。 猛暑が続いてきましたが、だんだんと天の計らいで気候も穏やかになっていくかもしれま せん。 何事も永遠ということはないのですから。 良いことも、悪いことも。 それだけを確信している今日この頃です。 それでは良い週末を。 |