母 と 玉 子
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この夏は猛暑続きの毎日。 冷房の効いた室内や車内。外に出ると35度以上の炎暑。 夜は熱帯夜で寝苦しく、これでは体調が崩れます。 地域の知人や、馴染みの店の者と話をすると、誰もが「今年の夏は身体が怠くてたまらな い」と一様にぼやいています。 私も、今夏ほど食欲が落ちた夏を知りません。 焼き魚や牛肉の冷しゃぶ、ナスやキュウリやトマトやレタスなどの野菜、冬瓜のスープな どが出ても箸が進まず、ビールや赤ワインを軽く飲みながら、少しだけおかずを食べ、ご 飯一膳で終わり。 ただ、何とかご飯を一膳食べられるのは、玉子をかけて食べるから。 いわゆる玉子かけご飯。 ご飯の上に、キムチか納豆を少しのせて。 今の体調は、この夕食の時に食べる玉子かけご飯の、玉子一つで持っているようなもの。 昔から、玉子が好きでした。 昭和30年代、私が小学生から中学生の時、両親そして兄弟5人(昭和37年に5男が生まれ て6人になった)の大家族で、3食のおかずは貧しいものでした。 朝は味噌汁と漬物とご飯。これに週に一度くらい納豆が。 夕食はそれに魚の干物か野菜(ゴボウ・人参・玉ねぎ)のかき揚げなどが一品。 たまに、玉子焼きが出た時は、母が予め銘々皿に分けておかないと、兄弟が取り合って喧 嘩するほど。 それだけ玉子焼きは美味しかったのです。 当時は、矮鶏(チャボ)という種類の小さなニワトリを4羽ほど飼っていたので、チャボ の小さな玉子(通常の白色レグホーンの玉子の半分ほど)が溜まったところで、朝の玉子 かけご飯や、玉子焼きを食べることが出来たのです。 今夏は猛暑続きで食欲がわかなかったと述べましたが、考えてみると昔の夏も同様だった 気がします。 特に夏休みの頃は学校給食もなく、朝夕はおかずの粗末さからほとんど食欲がわかない毎 日でした。 一番覚えていることは、夏休みの昼食は一人で勝手にお櫃の冷えたご飯を茶碗によそり、 そこに水道の水をたっぷり注ぎ、上から「アジシオ(味塩)」(味の素と食塩が混ざった 調味料)を振りかけて、冷や汁のように腹に流し込んで食べていたことが、多々あったこ とです。 昼はそれで終わり。 そんな食の状況にあって、玉子は食事の救世主だったのです。 これまた古い話で、それでいて今でも鮮明に覚えていることがあります。 私が小学校1年の時の、秋の運動会の日のこと。 幼稚園に行っていなかった私は、この日、生まれて初めて「運動会」という行事に参加す る緊張と興奮から、朝早く目ざめ、少しでも早く学校に行かなくてはと気がせいて、朝食 を食べずに登校したのです。 そして、赤いハチマキを締めて教室から校庭に出る時、クラスの友達が「東井君、お母さ んが来ているよ!」と呼んだのです。 校庭を見ると、自転車から降りた母が近づいてきて、私を廊下に連れ出し 「朝仁、ご飯も食べずに運動したら、倒れてしまうよ。これを飲みなさい」 といって、普通の大きさの玉子を取り出し、その場で素早く殻に穴をあけ、手渡してくれ ました。私は生まれてこの方、生玉子をこのように飲むことなど一度もなかったので、何 を言っているのかわからなかったのですが「早く、玉子を吸いなさい」と言われ、穴から チュウチュウと吸って飲み干したのです。 クラスの何人かが、不思議そうな表情で見つめていたので照れくさく、飲み終わるとすぐ に校庭に駆け出してその場を離れました。 お蔭で運動会は、得意な徒競走も、競技の最後を飾る全校紅白リレーの選手としても1着 で走り終えることが出来、1等の赤いリボンを2つ胸につけ(注・当時は3着まで記章の 小さなリボンが授与された)、元気に帰宅したのです。 玉子は昔から大きな価格変動(上昇)はなく、美味しくて素晴らしい栄養食品。 最近まで「玉子はコレステロールが多く動脈硬化になりやすいので、食べるならせいぜい 1日に1個」などと言われていましたが、今では「何個食べてもOK。コレステロール値と の相関関係は無い」というのが定説に。 私は、そんな議論など全く関係なく、小さい頃から今日まで玉子料理を好んで食べてきま した。 そして時には、6人もの子供を元気に育ててくれた亡き母を、しみじみと想い出すのです。 母と玉子には、本当に感謝です。 それでは良い週末を。 |