霜 月 に 思 う
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先週のエッセイ「読書の秋に」で、「秋たけなわ。スポーツの秋、芸術の秋、味覚の秋、 読書の秋」と書きました。そして、芸術の秋の内容として映画・演劇・絵画など」と表現 しましたが、私の生活にとって大きな比重を占める音楽が例示していなかったことに、気 づきました。 これはとんだミス。 私にとって音楽は、毎日の生活をいろどる大切な糧(かて)。 私の一日は、スマホの付帯サービス「dヒッツ」に登録した100曲ほどの音楽による、 リズム(適当な行動テンポ)とメロデイー(感情の起伏・自律神経の波)で血が通い、ま さに生活が彩られたものになると言っても、過言ではないでしょう。 例えば。 朝、事務所に向かう道中では、バド・パウエルのテンポの良いピアノ演奏「クレオパトラ の夢」、ドリス・デイの明るい歌声「ケ・セラ・セラ」とか、サザンオールスターズの名 曲・青春の象徴を感じる「希望の轍(わだち)」、日本のフオーク歌手の元祖・吉田拓郎 の前進感が溢れる「元気です」とか・・・。 夜は、低音の魅力・フランク永井(昭和のベスト3に入る歌手、と私は評価)の、「君待 てども」、秋元順子(ちあきなおみの選曲は出来ず)のロマンチックな「星影の小径」と か・・・。 私がスマホを使うのは、もっぱらこのミュージックと、あとは電話(長電話が多い)。た まにメールと写真機能。 フエイスブックは10年前、後輩に誘われてグループに入り、簡単な自己紹介をしてデビ ュー。 すると翌日、金髪に染めた若い女(横顔写真)から、「是非、お目にかかってお話をした いです。でもここではなんですから、下記までご連絡ください」のメールが。すぐに後輩 のF君に「いかがわしいメッセージだね」と苦笑したら、「それは無視したほうがいいで す。あちら系だと思います」と。翌日に管理者から「不適当」と削除されていましたが。 そんなことで、すぐに退出。 LINEも煩わしいから、家族間だけ。もっぱら台北にいる次男坊夫妻とのやりとり。 しかし、今やどこにいてもスマホ人間ばかり。 駅のホームでも車内でも、まず10人中9人はスマホの画面に首ったけ。 こんな国民の全てといっても過言ではない社会現象は、有史以来初めてでしょう。 私には、誰もかれもが表情のない匿名の画一的な人間に変容していっているような、不気 味な光景に見えます(私が軍国主義で政治の総裁者だったら、すぐにでも憲法改正を図り、 戒厳令状態をでっち上げ、徴兵制の導入を行い、一気に軍事体制の強化を進めるかも知れ ません。そのチャンス到来です) 昔、TVが普及しはじめた時、夜は猫も杓子もテレビの前に。 当時の高名な評論家・大宅壮一氏は、この社会現象を「一億総白痴化」と表現。 今は、スマホがそれでしょう。 今朝のTVで、ある脳外科の医師が「スマホばかり見ている現代人に、今、脳過労から来る スマホ認知症が増えている。特に若い層に」と、警告を発していました。 「物忘れが多くなった」「漢字が思い出せない」「スマホがないと、目的地に行く自信が ない」「仕事や家事の段取りが悪くなった」「やる気や興味がわいてこない」云々が、ス マホ認知症の兆候とのこと。 ある評論家は「一流大学出身者でも、型にはまった既存の仕事はできるが、創造すること が出来ない。」「スマホなどで情報を大量に摂取しても、それらを駆使してオリジナルな 何かを作り出すこと、自分の意見を構築することが出来ない。個性がない」と批評してい たが、同感。 「認知症」の65歳以下の患者数は、10年前の3倍に増加したとのこと。 現在は小・中学生でさえもスマホやゲーム機器を持って、親子で夢中にかじりついている 光景が一般的に。だからこれからは、うつ病などの精神疾患を含め、スマホ認知症患者は 加速度的に増えていくことでしょう。 スマホ現象は、社会学的には「退行」(後戻り・衰退)、「逃避」でしょう。 毎日の嫌なこと、不安なこと、怖いこと、不満なこと、辛いことなどから逃避したり、見 て見ぬ振したりするため、スマホの画面にかじりつく。そして、SNSやゲームや色々な アプリに没頭して、束の間の自己慰安に浸るのでしょう。 その程度で納まらない者は、ツイッターなどで匿名をいいことに、ヘイト・スピーチや個 人攻撃を行う。これでもかとばかり、次から次へと酷い醜い汚い言葉を連射してうっぷん を晴らす。 なぜ怒りを、もっと社会の悪い者などに向けないのか。なぜ自分を表明し、正々堂々と相 手に向かって議論できないのか。 なぜ、他の人とコミュニケーションを図って自分の本音を出さないのか。 なぜ、スマホに夢中になるエネルギーと時間を、他の人たちとの連帯や、地域や職場や社 会の改革のためにも、使わないのか。 なぜ、たった一度の人生なのに、機械の一歯車になって毎日毎日、ただただ「忙しい」と 言いながら、平日は職場と家の往復を判で押したように繰り返し、休日はやることもなく、 せいぜい車でファミレスに行って食事をし、買い物をして帰る。 新たなことを始めるとか、新たな仲間を作るということとは、全く無関係・無作為。 そんなパターンをずっと続けて、何とか家を建てたと思ったら、退職。気が付けば高齢者。 それはそれで、平穏無事。幸せなこと。 でも、それは全て「自己保身第一」の価値観に呪縛されているからではないのだろうか。 本当に、自分本位・自分勝手で卑怯で、「強い者には従順で弱く、弱者には冷たく攻撃的 な人間」が増えてきました。 「○○ファースト」「自分の利益が第一。それ以外の事は関心がないし、他人の事などは、 知ったものじゃない」と。 そして、インターネットの架空の世界と実社会を混在させ、退行、逃避がさらに進むと、 突如として「攻撃」に。 簡単に人を殺したり暴力をふるったり。それも弱者を標的に。 卑近な例では、店の店員に怒鳴り散らして土下座させたり、駅員に罵詈雑言を吐いて蹴飛 ばしたり・・・。 殺人から詐欺から街中のトラブルまで、社会が殺伐としていると感じるのは、私だけでし ょうか。 今、政治や経済の分野で起こっている事や社会の動向より、インスタグラムで「どこそこ の旨い店」とか「いま、異性にモテてる服」「パワースポット」などといった写真に夢中 になったり、内的な事にしか興味を示さず、LINEなどで愚にもつかない日常のやりとりを したりして、「可愛い」「いいね」と喜んでいたほうが、ストレスが溜まらないと思って いるのでしょう。テレビでも、お笑いや料理や旅行やクイズや健康番組ばかり。 社会が幼稚化、漫画化、単純化(劣化)してきたと感じます。 政治家にとっては、今はいい時代になったでしょう。 不祥事を犯そうが、失言を繰り返そうが、すました顔をして「今後は、しっかりと重責を 全うしていきます」と平謝りでチョン。 政治家は「国民は、自分の損得だけにしか興味が無くなり、無党派層は政治に関心など持 たなくなった」と感じており、何をしても平気と思っているよう。 とんでもない、末世的な時代になりました。 いやはや、音楽の秋について述べようとしていたら、スマホから現在の社会のことになっ てしまいました。 いずれにしろ、アメリカの中間選挙の結果、イラン制裁、米中貿易戦争、日韓対立の再燃 (徴用工問題)、北朝鮮非核化の停滞、そして、沖縄県民の民意を無視した、国の辺野古 移転の強硬策など、それらの行方から、いつなにが爆発してもおかしくはない時代。 そして、国内では超高齢社会、巨大な財政赤字、大震災の勃発、軍国主義化の4つが、国 の浮沈を決する重大事項。 国内外ともに、全く予断を許さない平成最後の秋。 来年春からの元号は何という名前になるかわかりませんが、色々な分野、地域から破綻が 急速に始まる時代になる予感がしています。 余程、人類が、各国が、日本が、日本人一人一人が、覚悟を持って自立して生きていかな くてはならないことは、きっと間違いないことでしょう。 それでは良い週末を。 |