東井朝仁 随想録
「良い週末を」

先 生
貴方は、人から「先生」と呼ばれたら、どんな気持ちになりますか。
あるいは反対に「先生」と呼ぶ人は、どのような方ですか。

広辞苑によれば、先生とは「@先に生まれた人A学徳のすぐれた人。自分が師事する人」
とあります。
@ は文字通り当然の定義ですが、自分より年上の人ならすべからく「先生」の敬称を使
うという事は不自然で、実際的ではありません。したがってAの定義になるのですが、私
はやはり「自分が師事する人。自分に何かを教えて下さっている、あるいは恩を与えてく
ださっている尊敬すべき人」と解釈しています。

しかし、世の中一般ではだいぶ違うようです。
だいたい、世間で「○○先生」と敬称をつけて呼ぶ場合は、職業的・資格的には学校の教
師、医師、そして政治家(特に代議士)に対して。
他には弁護士や公認会計士など、こちらが重要な案件の処理を依頼している場合は、先生
の敬称をつける場合が多いでしょう。だから「何かをお願いし、指導や治療を受けている
場合」の状況により、人によって先生の範囲が広くなります。
例えば腰痛を治すために、針・指圧・マッサージの施術を継続的に受けている時の鍼灸・
指圧・マッサージ師や理学療法士、あるいは華道や茶道や書道や絵画や料理や外国語会話
など、何らかの指導・教育をしてくれる人に対しても、「先生」と呼んでいるケースが多
いでしょう。
また、その場限りのケースでも、講演会の講師に対して「○○先生の、とてもユーモラス
で示唆に富んだご講演、誠に有難うございました」などと呼んて、敬意を表しています。
だいたい「先生」と呼ばれたほうは、悪い気がせず、呼ぶほうもそれが自然に出るのだっ
たら、双方ともに結構なこと。

先生と呼んでいれば無難というケースは多々。
以前、私共数人で初対面の人と挨拶を交わした際、、誰かが相手の名刺を見ながら、親し
げに「○○先生」と謙譲して挨拶していることがありました。名刺を見ると○○研究所主
任研究員とあります。この方に、これから依頼事を相談し、話を良好に進めるために、こ
ちらが一歩下手に出る必要を感じていたからでしょう。こうしたことは、しばしばありま
す。この様な対応をする人は、他の場面でも色々な人に可能な限り「先生」と呼びます。
相手の心証を良くするための処世術と思っているのでしょう。役人が省内の専門委員会な
どの委員に対し、どの分野どんな肩書の方に対しても、審議を円滑に進めていただき、
「委員」として事務局の提案に賛成の同意を得るため、「先生」と呼んで丁寧な対応をす
るのも同様。また、与野党を問わず、どんな代議士に対しても「先生」と呼ぶのも、党内
の部会や国会の委員会審議において、省益に関する法律・予算などを通しやすくするため
の鉄則。

役所や会社の世界では、相手が代議士や医師や教授だと「先生」と呼ぶほうが無難で得策。
それは世間一般でも言えること(役所や会社ほどではないが)。
私でも今まで、都道府県や市町村や民間団体が主催する講演会の講師として出向くと、随
分「先生」と呼ばれて遇されてきましたが、満更ではない気持が正直なところ。
なぜなら、1時間から1時間半ほどの講演は、こちらも「先生」と言って貰ってもおかし
くはない、という自負があったからです。
だが今なら、何の関係もないのに普段の生活の中で、相手から「東井先生」などと呼ばれ
たら、おちょくられているようで「先生と呼ばれて喜ぶほど、俺は馬鹿じゃないぞ」と思
うでしょう。
昔、バーやキャバレーや料亭などで「東井先生、何をお飲みになりますか」などと言われ
て悦に入っていた若い頃を思い出すと、赤面のいたり、恥ずかしくなります。

私が10年ほど前まで、代表権常務理事の役職についていたJA三重県厚生連の時代、県内
16か所ある農業協同組合の組合長の何人かが、いつも私に会うと「東井先生」と呼んで
いたので、何度か「私に対しては先生ではなく、さんづけか、常務と呼んでいただいたほ
うが良いのですが」と言おうとしたが、たまに会う事しかない人だから意識する必要はな
いか、と割り切っていました。特に地方や医療関係の組織では「先生」と呼ぶことが多い
ようです。
三重県厚生連は7つの病院を有していましたが、先生という言葉が飛び交っていました。
勿論、学校内も同様の事でしょう。しかし、外の人が見たら「特殊な世界」です。
仲間内なら「Aさん」、組織内なら位階に従って「院長、診療部長」あるいは「局長」
「課長」などと役職名で呼ぶか、「Aさん」で良い、と私は思っています。病院内では誰
もかれもが「〇〇先生」と呼び合っていますし、国会でも与野党を問わず「○○先生のご
指摘の通り・・」とか、先生の敬称を年中使っていますが、私は、自分たちが特権階級だ
という意識を当然のように内に秘めているからと推察しています。
現在はどうか知りませんが、医師同士・議員同士で「○○先生」と呼び合っている光景を
見ると、強い違和感を感じます。選挙民も地元に利益誘導をしてくれる人なので「おらが
国の先生」と喜んだり、患者も自分の病気を治してくれる人なので「先生」と呼ぶのは自
然に感じますが、そうでない他の人々は、「Aさん」「A議員」でいいのではないかと感
じているのですが。

私が厚生省(現・厚生労働省)の本省に人事異動した頃、職場ではインターンを終えて入
省した若手医師(当時は厚生省の医系技官へのなり手がなかったので、関係者があの手こ
の手で若手医師をスカウトして回っていた)から古参の人までに対し、周囲の職員は「○
○先生」と呼んでいたことに対し、私は非常に驚いた経験がありました。
先輩に「何で先生と呼ぶんですか?」と尋ねたら、「医者だからだよ」「病院の医者だっ
たのですか?」
「違うよ。医師免許を持っているからだよ」と。
「それなら国家資格を持っている、国家公務員試験を合格して入省してきた技術職の職員
は、みな先生では?」
「いや、医師の場合だけ。人によっては薬剤師にも先生と呼ぶ場合があるかな・・・」
私は「臨床経験もさほどなく、行政職で入省してきた人を先生と呼ぶのは、いかがなもの
か。
国家公務員は、行政職以外に、国立研究所等で働く研究職、国立学校の教育職、国立病院
で働く医療職があるが、こうした職種の医師なら先生でも違和感がないが・・・。行政職
の中で「先生」というのは、おかしくはない?」と感じていました。
だから私は、厚生省に在職中は、一貫して「Aさん」「A課長」などと呼んでいました。
彼らもそのほうが親密さを抱いてくれたのか、色々な医系技官と昼食に行ったり、飲みに
いったりしていました。どちらかというと、私は一般事務官の連中と上下関係に縛られな
がら、人事や人のうわさ話など面白くない会話をするより、医系技官や法令事務官などと
付き合っていたほうが、楽しかった。
また、それぞれが辿る線路も走るスピードも異なる世界に属していたから、お互いに気軽
に付き合えたのでしょう。

閑話休題。
先日の経済誌「東洋経済」で日本の医師特集をしていましたが、医師免許を取得した人の
コースとして「大学病院・公立病院・私立の大病院などの勤務医、クリニック(診療所)
の開設」への道を辿るのが「定番コース」そして、厚生労働省の医系技官、健康保険組合
の常勤医師、介護福祉施設の専属医師になる道を「マイナー・コース」として位置づけ、
それぞれの辿る道を解説した記事が掲載されていました。
「厚労省の技官になるのは、マイナーか」と思いましたが、医師=臨床医・お医者さんの
概念は、その通りでしょう。
しかし、あの頃私が「先生」と呼ばなかった「Aさん」も「Bさん」も、立派な審議官・
局長になられて退職し、その後の後輩たちは、現在有能な「行政官」として保健・医療・
介護福祉行政において活躍されています。
みな、「行政官」なのです。
その中で得意分野・国家公務員試験の結果から事務官と技官に区別されるのです。
だから「先生」と言う敬称は、行政組織の中では馴染まないのです。
現在は知りませんが、やたらに「先生」の敬称を用いる組織は、自由で闊達な職員意識が
低下するでしょう。

私が「先生」と呼ぶのは、前述したように「自分に教育や指導を施し、健やかな心身や恩
愛を授けてくれた、尊敬できる人」。
何人かおりますが、いずれまた。
最後に、やはり「先生」とは、どのような分野の方でも「人の心に希望の灯をともしてく
れる人」と断言したいと思います。
そうした意味の先生が、これからの日本社会に増えていくことを、切に願うばかりなので
す。

それでは良い週末を。