2025年
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昨夕、久しくお付き合いしているA氏と、乃木坂の蕎麦屋で酒杯を酌み交わしながら歓談 した。 A氏とは、彼が某大手生命保険会社が設立した財団法人の常務理事をされていた頃からの ご縁。当時から20年近くたったが、A氏のイメージは全く変わらず。顔も性格も堅実壮 健。 私の経験では、一般的に民間大手企業の役職についていた人は、どこか如才なく、さりげ なく相手の足元(その人の地位・メリット)を見ながら応対する人が多いが、A氏は実直 な性格の持ち主。 財団の常務を退任された後は、中小企業診断士として、多くの中小企業の経営指導をされ てきた。 A氏とは毎年1回、夏の時季にお会いし、情報交換の酒宴をはっているが、今年の夏はA 氏が色々な懸案を抱えて多忙で、私のほうも都合が合わず、ようやく昨日の再会となった 次第。 昨年より少し痩せたというか、身体が締まった感じ。 私は彼に酒を注ぎながら「そういえば、お幾つになられました?」と聞くと、「78歳で す」と、杯を口に運びながらおっしゃった。 表情は年なりだが、話をすると若い。 私はそう思った。 背筋がシャキッと伸びた身体に、ベージュのジャケットと同系色のパンツ(ズボン)がマ ッチし、グレーの洒落た高級紳士帽子・ボーラーハットが良く似合っていた。 間違っても、駅の一角に集合してゾロゾロ歩いているジジババたちとは、異なる。 彼らは古い背広のズボンにジャンパー姿、帽子は一様にピケ帽もしくは野球帽。 そしてリュックを背負っている。 A氏の装いはキチッとしている。頭髪は薄くなっているが顔にむくみやシミがなく、身体 もたるみがなく姿勢が良い。 「78歳ですか。そう見えないなあ。仕事も大変なのに、元気ですね」 「やはり社会にかかわっていられるからでしょう。でも仕事はどんどん整理縮小している んです。新しいこと、例えば国家試験の受験者に指導しているんですが、今の教材なんて、 昔と全然違うので教えきれませんよ」 「社会参加はいいですよね。でもそれだけではないでしょう」 「最近、ゴルフをやっているんです。下手ですからハンデを沢山貰って。お蔭で先日のコ ンペでは優勝しましたよ。それと酒ですね。毎日飲みます。焼酎のお湯割りですね。 だから健診ではどこも悪くないんですが、γ―GTPが高いんです。 担当医からは、「Aさんに休肝日を設けろと言っても、翌日ドカッと飲んでしまうから、 言いません。ほどほどに」と言われているんですがね」 私は、78歳と聞いて、「ん?」と思った。 最近どこかで目にした数字。でもすぐに気づいた。 それは、今読んでいる書籍「すぐ、死ぬんだから」(内館牧子・著、講談社)の女主人公 の年齢だった。 物語の冒頭、主人公はこう述べる。 「年を取れば、誰だって退化する。 鈍くなる。緩(ゆる)くなる。くどくなる。愚痴になる。寂しがる。同情をひきたがる。 ケチになる。 どうせ「すぐ死ぬんだから」となる。そのくせ、「好奇心が強くて生涯現役だ」と言いた がる。 身なりにかまわなくなる。 なのに「若い」と言われたがる。 孫自慢に、病気自慢に、元気自慢。 これが世の爺(じい)サン、婆(ばあ)サンの現実だ。 この現実を少しでも遠ざける気合と努力が、いい年の取り方につながる。間違いない。 そう思っている私は、今年78歳になった。 60代に入ったら、男も女も絶対に実年齢に見られてはならない」 こうした考えの元、主人公は「どうせすぐ死ぬんだから、残された人生、好きなことだけ しよう。絶対に」と決意し、若向きの派手やかな服装とメイク・髪型の美容に金をかけ、 バランスの良い食事やストレッチや筋トレを励行。 10年前のクラス会ではババア顔にドンくさい地味な服装で、ブスが余計にブスになって 出席していた。 それが、今回の80代の「大台間近の同期会」に出席したら、、、、。 「会場を見回すなり、愕然とした。10年前の68歳の時、70の「大台間近の同期会」 をやったのだが、出席者の容貌は、あの時とは様変わりしている。 10年という歳月は、人をここまで汚く、緩く、退化させるのか。 私は若い気でいるが、ここにいるジイサン、バアサンと同じではないだろうか。不安がよ ぎる」 しかし、10年前と大きく違っていた。 同期の誰もかれもから「若い!」「絶対に10歳は若く見える!うちの女房とは大違いだ よ」と称賛されたのだ。 物語はそうして始まったのであるが、著者の内館さんは1948年生まれの御年70歳。 私と同じ団塊の世代なので、女性のみならず男性の読み手にも示唆と共感を与える小説に なっている。 話を戻して。A氏との酒宴を締める時、彼は「これから85歳までは、好きなことだけを やっていくつもりです」と。前述の小説の主人公のようなことをおっしゃる。 「それは何ですか?」と尋ねると。 「ゴルフと旅行ですよ!85歳過ぎると、どちらも出来なくなると思うので」 「それはいいですね。なるほど。足腰は大丈夫なんですか」 「私のゴルフは、手打ちですから。腰なんて使いませんよ。それに今のクラブは超軽量で、 これが飛ぶんですよ」と、嬉しそうに話されていた。 「85歳か、、。あと7年後、、、2025年ですね。大阪万博の年ですよ。Aさんなら、 今と変わらないんじゃないかな。7年後が楽しみですね」 そう言って、握手して別れた。 帰路の車中で、私は物思いに耽っていた。 「俺は2025年には78歳。喜寿を迎えた年の翌年だ。 果たしてその時、実年齢より若く見られるだろうか。 元気な後期高齢者になっていられるか。そもそもそこまで余裕で生きているかどうか。 かっての大阪万博が開催されたのは1970年3月15日からの半年間。俺が22歳の時 だった。 運行を始めたばかりの国鉄の東名夜行バスに、3月24日の夜10時半に乗り、3月25 日の朝7時半に大阪の梅田に到着。モーニングサービスをやっていた喫茶店で時間をつぶ し、それから万博会場の人の渦に入って行った。太陽の塔を仰ぎ見、物凄い勢いで各パビ リオンを見てまわり、その夜の夜行バスでトンボ帰りをしたっけ。 バスの車中で知り合った、ビクター専属の歌手・Bさんとは、今でも年賀状の交換をして いるが、7年後に万博会場で再会したら傑作だ。 それが叶ったら、「55年の歳月をへて、再び蘇る大阪万博の感動」などといった私小説 でも、書いてみたいものだ。 そのためにも、これからの7年間は健やかに悔いなく生きていかなくては・・・・」 2025年。 たった7年後。それもアッという間に来るでしょう。 世界も日本社会も激変していることでしょう。 だけど私は、人生の第4コーナーを緩やかに曲がり切り、そして最後のホーム・ストレッ チを、今までと変わらぬスタイルで走り続けていこう、と思っているのです。 小説のように、実年齢78歳より10歳若い、68歳に見られるだろうか。 すると7年後の見立ては、今より3歳も若返ることに。 見果てぬ夢に終わる確率99パーセント。 でも1パーセントの確率は残されています。 果たして・・・・。 それでは良い週末を。 |