東井朝仁 随想録
「良い週末を」

誠 実 に
別れと出会いの季節。
今、何人かの人からメールでの挨拶が来ています。
どなたも退職や人事異動やアドレスの変更など。
その中の、昨日受信したA君からのメール。

「ご無沙汰しております。新潟検疫所のAです。
このたび、早期退職して横浜へ帰ることになりましたので、ご連絡いたします。
思い起こせば平成2年に当時の環境整備課勤務(東井さんは水道整備課の総務係長)の時に
バッカス(注・厚生労働省本省の野球部)に入部して以来、東井さんと仕事+α(飲み会)
ができたことは大変楽しく、また、生き方(役人としてではなく、まず人としてどうなのか
を考えること。肩書きで威張らないこと。謙虚であること。その他、山ほど)の勉強になり
ました。とても有意義な時間でした。
30年近くの長きにわたり、公私ともに大変お世話になり、深く感謝しております。
今後は横浜で新たなチャレンジをしていきたいと考えております(もちろん厚労省の関係団
体ではありません。笑)
東井さんのホームページは今後も楽しみに拝見させていただきます。
大変お世話になりました。
ありがとうございました」

私は、A君の突然の早期退職に驚いた。
何か寂しい思いがした。
しかし、普段から物静かなA君の「役所の関係団体への、トコロテン式の再就職は望まず、
新たなチャレンジをしていく」という決意を信じ、期待したかった。
政府は現在、「働き方改革の推進」などといっているが、仕事にやりがいを感じ、将来に希
望が持てる職場づくりの根幹をなす、「個人の可能性の尊重」は見えてこない。せいぜい
「残業はするな。有給休暇をとれ」ぐらい。
役所は旧態依然の封建制度で、入省時に人事記録に記された国家資格でキャリアとノンキャ
リアの階級に分別され、役人人生がこの時に決定されてしまう。
だから多くの国家公務員は、数少ない本省の室長ポスト程度に血道をあげ、上にはゴマすり
と忖度を重ね、同僚の足を引っ張り、部下には威張り散らす(現に、本省の何人もの者から
「俺の誘いを断ったら、どうなるかわかるよな」と、ある上司に言われて困っている、との
声を聞く)。
そうした一部の人事権を握った室長・局の総括課長補佐クラスは、退職後、多くの天下り先
の認可団体のうち、年俸が良い団体の専務理事か事務局長ポストを獲得し、これをたらい回
しにして独占する。
そして、いい加減で自分達が退いた後は、子飼いの後輩を後任に就ける。
中には10年以上、70歳を過ぎてもそうした天下りポストにしがみついている者もいる現
状。
そうしたシステムは私が入省した時から続いているが、最近は早めの後輩への禅譲とか、プ
ロパーへの配慮もなくなり、やりたい放題の感。

今、重要なのは、ノンキャリアでもせめて課長ポストぐらいには昇級できるような、公務員
制度改革。
だが、昔からこれだけは岩盤で、手つかず。
キャリアも各種技官も、自分たちの既得権益を死守するからだ。
そして、最も弱い立場のノンキャリアは、数が多いにもかかわらず無気力。
それぞれが利己主義、自己防衛に走るのみで、労働組合は消滅し、「連帯」とか「団結」は
死語となっているから、下からの改革は絶望的。

官僚主義が貫徹した役所の組織は、強固なタテ社会。
士(キャリア・医系技官)農(ノンキャリア)工商(その他技官)の組織。
今日もみな、終日パソコンに向かいながら、分相応に黙々と仕事をしているのだろう。
そして歳月が流れ、60歳で定年退職した後は「お陰様でつつがなく、大過なく役所生活を
終えることが出来ました」とか「諸先輩のご配慮により、今春から○○法人に勤めさせてい
ただくこととなりました」の退職挨拶文がくるのだろう。
ああ・・・!
それぞれの辿る人生が、私にはよく見えるようだ。
つつがなくとは、何もしないでと同義語。
諸先輩のご配慮?
その法人からのたっての依頼で再就職するのではないのか?
しかし、そんなことを言っても詮無いこと。

50名ほどのバッカスの部員には、爽やかなキャリアや医系技官もいるが、殆どが一般事務
系職員。
このチームを40年ほど前に創設したのは、ヨコの関係を本省内に創るため。
私は、部員一人一人、誰もかれもが「誠実」であると感じている。
大袈裟に言えば、このチーム活動は「霞が関の奇跡」「最後の良識」キャッチフレーズ、部
の理念は「一人は皆のために、皆は一人のために」自己本位の先輩や同輩などの行動などに
は目もくれず、潔く志をもって自分と仲間を信じて進んでくれることだろう。
私は、そう信じている。

何が早期退職の動機になったのかは知らないが、A君も人にやさしい誠実な部員だった。
きっと、人生の栄冠は君たちに輝く。

それでは良い週末を。