東井朝仁 随想録
「良い週末を」

また春が来た
大きなしっかりとした木製の楕円形のテーブル。
その真ん中に見事な桜の枝が活けられた花瓶が置いてある。
枝の桜は満開。
これは庭に咲く桜木からとってきたもの。
室内は外の冷気とかけ離れて、植物園の温室に入ったような温かさ。
テーブルを囲んで、これまた綺麗な外出着を着た12名の高齢の女性が座っている。これら
の女性を温かく包み込むように、施設の女性職員4名が、奥のキッチンでお茶を入れたり、
お茶菓子を運んだりしながらも、高齢の女性達をヘルプするように、気づかいや声がけをし
ている。
しかし私には、当初想像していた車椅子や痴ほう症気味の方は見かけられず、皆さんどこが
要介護なのか判別できないほど、お元気そうに見えた。
私は、隣の御年80になられる、薄紅色のブラウスが良く似合う小唄の先生Sさんと、テー
ブルの中央に座り、黄な粉と黒ゴマで包まれた一口団子を食べながら、お茶をすすっていた。
ほんの少し前に、篠笛の演奏を終了した安ど感から、職員の方々の手作りの甘い団子も、温
かな薄茶も、とても美味しく感じられた。
そして、「今年もまた、春が来た」という感慨を楽しんでいた。

これは今週月曜日(4月1日)の、午後1時半から3時半までのこと。
場所は、世田谷区若林にある「デイサービス・M」
指定地域密着型通所介護事業所。
ここでのボランテイア活動として、Sさんは三味線と小唄、私は朗読と篠笛をさせていただ
いたのである。
まさか、この日にこうした施設を訪問してボランテイア活動をすることになるなど、5日前
までは全く想像もつかなかったのだが。
事の発端は、3月28日(木)、地元の上馬地区会館の会議室で開催された「朗読の会」に
傍聴参加したこと。
私は昨年頃から、長年通っていたNHKカルチャーセンターのヴォイス・トレーニング講座
(講師は日本のヴォイス・トレーニングの第一人者・笠井幹男氏)が閉講になったので、こ
れに替わる何かを探していた。
そんな3月中旬、帰宅の途中で通る地区会館前の掲示板に、「朗読をしませんか」というサ
ークルの募集チラシが目につき、「月一、第4木曜日の午前」という気楽さも手伝い、電話
で申し込み。
そもそも、私は小学生の頃から国語の朗読などが好きなほうで、6年生の時は放送部の部長
として、毎日の朝礼の際のアナウンスや行進曲のレコード操作、放課後の下校呼びかけの放
送、学芸会等での司会進行を行っていた。
しかし、複数の他人の前での朗読は、この小学生のとき以来、60年ぶり。

当日。
部屋のドアを開けると4人の中・高年齢の女性が既に雑談していた。
「私でもいいんでしょうか?」と遠慮しながら自己紹介をすると、「どなたでも歓迎ですよ」
と励まされ、全員の滑舌レッスン(ヴォイス・トレーニング)が開始。
その後、各自順番に朗読。
これは、ジャンルを問わず、自分の好きな読本を持参し、一人5分から10分程度の章を朗
読するもの。
読了後は皆で感想を述べ合い、S先生が一言助言。
先生も含め4人全員で1時間程度かかって個人朗読が終了した後、S先生から「せっかく来
られたんですから、東井さんもいかがですか?」と言われ、「次回は出席するかどうかもわ
からないから、やってみようか」と瞬時に思い、S先生持参の読本を、やや早口で朗読。
10分ほどで読み終えると、皆さんが「お上手!」と言われるので、「いや、駄目ですよ」
と苦笑。
すると、S先生が「お上手でしたね。特にしっかりとした発音で、感情が移入されていて、
良かったです」と言われ、続けて「来週の月曜日、M施設で朗読のボランテイアをしてくだ
さいませんか」と。
私は事の成り行きにびっくりし、「いや、まだ1回もレッスンを受けていませんし、他の方
にお願いしますよ」と固辞。
しかしS先生に「是非、是非」と言われ、「それなら、考えさせていただき、後でお電話し
ます」と返答。

気が付くと4月1日(月)。
昭和の大女優・高峰秀子さんのエッセイ「お姑(かあ)さん」を朗読。次にS先生が三味線
の弾き語りで春にちなんだ小唄を。
そしてこれまた前日に「折角だから篠笛を吹こうか。朗読より喜ぶだろうし」と思いつき、
Sさんに電話。「それはいいですね」と言われ、急遽、最後に私が篠笛で「山桜の歌」など
3曲を演奏。
全体で1時間半ほどで終了。
そして全員でのお茶の時間に。

余談。
名優であり名エッセイシストでもあった高峰秀子氏のエッセイを、快調に朗読して、いよい
よ最後の段落に。
エッセイの肝(きも)は、5歳で女優デビューして以降、養母とその家族に、「カネを稼げ」
と言われ続け、長じても金をむしり取られる日々に、「疲労困憊」。
そして、誰も信じられない暗い日々の中で知り合った、許婚者・松山善三(映画監督)。
許婚者の小柄な姑(かあ)さんとの初対面で、申し訳なさそうに姑(かあ)さんに言われた
一言。
「あなたに・・働いてもらうなんて・・・本当にすみません・・・ごめんなさいね」
高峰氏は、この優しい一言で、人を信じる心を取り戻し、女優としてもうひと踏ん張りでき
る元気を貰ったのだった。
そして、朗読の最後の数行。
「私は、いまだにお姑(かあ)さんの一言を、私の宝として大切に抱きしめている・・・」
本には(ここで間を置く)との鉛筆書きを記しておいた。
しかし。
私は10秒たっても、次の2行に進めなかった。
職員の方もSさんも、そして聞き手の穏やかな表情の通所の方方も、「どうしなのだろう?」
と思われたに相違ない。
私は、感極まって声が出せず、嗚咽が出ないように唇を固く閉じて我慢していたのだ。
でも、口は閉ざしていても、目から涙が伝わって落ちていた。
1分ぐらい経ったのだろうか。それともその半分ぐらいか。
ようやく、絞り出すように声を出した。
「われという 人の心はただひとつ
 われよりほかに 知る人はなし」
全て読み終えて、私はハンカチで涙を拭きながら、深々と詫びるように頭を下げて礼をした。
「お恥ずかしところをお見せして、すいませんでした・・・」
読み手が勝手に感動して涙を流すなど、朗読には値しない。
そう思って、恥ずかしかった。
しかし、朗読の先生でもあり小唄の先生でもあるSさんは、「素晴らしかった!」と、おっ
しゃって席に戻る私を迎えてくれた。

私達二人は、皆さんの大きな拍手に送られて部屋を出た。
その時、職員の「東井先生、待って!」という声で振り返ると、テーブルの斜め前に座って
おられた女性が、職員に肩を支えられながら「良かったです。良かったです。ありがとうご
ざいました」と私に礼を。私は彼女の両手を握りながら「お元気でね。お元気で過ごしてく
ださいね!」と励ましてその場を去った。

世田谷線の若林駅に通じる細い道を歩きながら、「良かったか・・・」と心の中で呟いてい
た。
来るときは氷雨が降っていたが、いつしか雨が上がり、西の空が明るく輝いていた。
今年もまた、春が来た。
いつの春にも増して、今年の春は息づいていた。

それでは良い週末を。
良い新年度を。