ひ こ う き 雲
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今日(5月16日)の西空も、晴れていて綺麗。 時々流れ雲が太陽を隠し、あたりの光が途絶えますが、通り過ぎるとまた、初夏の眩い陽光 が射し込みます。 私は、自宅二階の自室の窓から、はるか遠方に聳える大きな1本の深緑の樹を眺めたあと、 西の空を仰ぐのです。 これは、晴れた日の夕方のルーチン。 現在の時刻は午後5時。 日没にはまだ1時間以上あるので、西空に夕焼けはありません。 でも、吹き込む夕風は昼の暑さから一転、心地よい涼しさに替わりました。 太陽が西の彼方に燃え落ちる時が近づいていることを、肌と空気の香りで感じます。 我が家の南西側の窓は、全て隣のマンションの裏庭に面しているので、都会の二階建ての小 さな家としては、幸いに西への視界が開けているのです。 私は昔から、日の出や朝日より、夕日や夕焼けが好きでした。 なぜだかわかりません。夕日のほうが穏やかで優しく、少しロマンチックな気分になるので、 心が安らかになったからでしょうか。 小さい頃は、どちらかというと神経質で人見知りするタイプでしたので、一人でいる時間が 緊張感がほぐれて好きだったこともあるでしょう。 ともかく空を仰ぎ見ることが好きでした。 夢が浮かび、寂しさや嫌なことを忘れ、心がゆったりとして、本当の自然な自分に戻れるひ と時でした。 だから今でも、街を歩いている途中で立ち止まり、あるいは喫茶店の窓辺に座り、空を眺め ることが多いのです。 42歳まで住んでいた目黒区下目黒の自宅では、小さい頃から二階の広い瓦屋根に降り、 長々と仰向けに寝そべっては、青い空と流れる白雲を仰ぎ見ながら、色々なことを夢見てい ました。 もうあのような、傾斜の緩やかな広い屋根は、現在の都会の中では見当たりません。 あの頃は、澄み切った青空を眺めていると、突然、米軍(進駐軍)機が轟音をたてながら家 のすぐ上の空を低空飛行し、その機体からB29だと確認したりしたことがしばしばありま した。 長じては、近所にあった二谷英明夫妻と娘の家のあたりの上空を、何台ものヘリコプターが 旋回し始めたので、何事かと下駄をつっかけて駆けつけると、周辺にマスコミの車が殺到し ていたことから、二谷友里恵さんと郷ひろみの結婚の取材だったと知ることがありました。 私が43歳の平成3年に、目黒から引っ越してきた現在の世田谷区上馬の家。 小さな木造二階建てのこの家では、寝そべることが出来る屋根などは全く無く、東南・真南 には隣家の3階建てと4階建てのマンションがあり、遠くの空までは見渡せず、仕方なく南 西向きの自室の窓を開け、西空ばかり眺めることになったのです。 今や、隣近所というか東京の殆どの地域では、昔ながらの庭付きで瓦屋根の広い木造二階建 ての家などは次々に売却・解体され、そのあとに組み立て式のチープで細長い3階建ての家 が、敷地いっぱいに何棟も続々と建てられています。そして、幹線道路沿いでは、狭い30 坪ほどの敷地でも10階建て以上のペンシル・高層マンションが次々に建てられています。 だから、西空の眺望もいつまで可能かはわかりません。 旧家が売却され、そのあとに高層マンションが建築される可能性があるからです。 我々団塊の世代(昭和22年〜25年頃生まれ)は、同居していた家の老親が亡くなって相 続問題が発生し、あるいは30歳代前半で建てた家が老朽化したりで、それぞれ売却してい なくなってしまう時期に当たっているようです。 また、来年の東京オリンピックまでに、不動産業界は古家をどんどん買い上げ、そのあとに 建てられるだけ家やマンションを建て、稼げるだけ稼いでしまおうという算段があるのでし ょう。 住友不動産などからは、毎日のように「上馬でご売却を考えておられる方へ」といったチラ シがポストに入れられています。それも、それぞれの支店が競い合って。 例えば我が家などには地元の三軒茶屋店や駒沢大学店をはじめ、下北沢、渋谷、用賀店など からも投函されているのですから、そのしつこさに呆れてしまいます。 街を歩いていても、土木・建築関係のトラックや、コンクリート・ミキサー車、中小工務店 の工事用軽トラックが頻繁に行き交い、あちこちから工事の騒音が響き渡ってきます。 経済界では、日本の景気が下降気味になってきたいま、来年の東京オリンピックが終わった ら一段と景気が冷え込む、という予測をしている業界が多いのではないでしょうか。 当然、消費の冷え込み、個人所得の低下、数年後に迫った超高齢社会の出現による社会保障 費の膨張、財政赤字の増大、それでいて産業界における5G(第5世代移動通信システム) 分野をはじめとした国際競争における立ち遅れ、成長分野の曖昧さ、大企業の業績低下及び 外国資本による吸収、AI(人工知能)の発展による各分野での人材の不用化等々。 日本社会の先行きを予想すると、業界ならずとも、一般的な国民なら誰もが不安と心配を抱 くのは当然。 だから社会は殺伐としてきており、人々は先の事は考えずに「今さえ良ければ」「自分さえ 良ければ」と、「個人主義」「利己主義」「刹那主義」に陥っているのではないでしょうか。 「これからの日本はどうなるのだろうか、巨大地震がいつ来るのか、経済大恐慌が勃発する のか、中国や韓国や北朝鮮と国交断絶し、一触即発の事態が迫っているのではないだろうか。 老後の資金は足りるだろうか。がんや認知症や寝たきりになったらどうしようか」などと漠 然たる不安を感じながらも、日々の仕事と暮らしで精一杯の中、希望や勇気や知恵が湧いて こず、だから「重い、暗い、深刻な話はしたくない、聞きたくない、見たくない、考えたく ない」と、逃避行動をとる人も多いでしょう。 スマホに見入り、スマホのイヤホーンを耳に当て、社会の現実から気をそらす、嫌な情報を 避ける。自分の世界に浸り、他人には深く関与せず、事なかれ主義に徹して日々を生きる。 そうした人が世代を問わずに増えているような気がします。 だから、テレビでは愚にもつかないお笑いや料理や旅行や病気などのバラエテイ番組ばかり。 それだけテレビの画面を見て、一日の憂さを晴らす人が多いという事かもしれません。 マジになって社会的な事を報道するテレビ番組も、仲間や知人や職場の人や地域の人と真剣 に議論する人も、めっきり減りました。 半面、北方領土の「ビザなし交流団」に参加した丸山議員(35)が、団長などに「戦争で この島を取り返すことは賛成ですか、反対ですか?」「いや、戦争はすべきではない」(団 長)、「でも取り返せないですよね。戦争しないとどうしようもなくないですか?」と話し ていたニュースが、一昨日入りました。 私は驚くと共に、この様な考えをする戦争を全く知らない若い議員がいよいよ政治の世界に 多数出てくる時代になったと、痛感させられました。 言論の自由ですが、経済・民間交流を通して平和的な実現を図るために、長年尽力してきた 元島民らの心なんて、全くわからない「常識」に唖然としました。暴言を吐く議員は過去に も多かったですが、またまたこうした人が政治家になる時代になったのか、と。 それでいて、こうした言論を諫める文化人に対しては、SNSで「反日!」「お前など日本 から出ていけ!」と寄ってたかって罵詈雑言をはいて炎上させる人も増えています。 普段は大人しく、我慢を重ね、格差社会の犠牲者になっている者ほど、人を叩き、弱者を虐 め、日頃の憂さを晴らしているのではないでしょうか。 権力や無法者に対して、その不満を行動にして敢然と抗議をするのではなく、より弱い者を 作り出して攻撃する。 老人や子供や身障者などを標的にしていじめる。 こうした者は、一党独裁的な政治と、これに追随する官僚、経済界、マスコミによって形成 された情報管理社会が、言い換えれば国民の一億総白痴化、総無気力化、総無関心化、総利 己化が進む現代社会が生み出した落とし子、と言えるのではないでしょうか。 私は、今の日本には2つの異なった社会がある、と感じています。 単純な話、年齢40歳以上の世界と、40歳未満の世界。 この二つは、思考も価値観も文化も異質。 どちらが良くてどちらが悪い、と言う話ではありません。 そして、対話や教育や人間関係を通して、価値観や行動様式が同一化・同質化するとも、思 えません。 解決する方法は20〜30年の時が流れること。 すると、我々団塊の世代をコアにして、大多数の「旧国民」がいなくなるからです。 ざっくり40歳で線引きしましたが、それほど「若い世代と中年・高齢者世代」は異質にな っていて、今までの先輩たちの文化が、これから先、若者たちに継承されていくとは、到底 思えないのです。 そして期待も出来ないのです。 こんなに断絶している(と私は感じている)時代は、今までの日本の歴史でも無かったはず です。 それ以外では、私が以前から私的に述べている「どこかの国との交戦、経済大恐慌、大震災 の発生」しか、無いのではないかと推察しています。 そして、次代を担う若者たちは、さらに国際化の進展・大量の外国人の流入・移住、IT・ AIの発達により、無国籍化(日本文化の消滅)していくのではないかと、予想しています。 平成が終り、令和の時代がスタートして、日本の時代は「歴史的転回」の時代になったと思 います。 今の時間は午後6時30分。 このエッセイを書き終えて、再び西の空を眺めています。 薄暮の街の屋根や木々を渡ってきた涼しい夕風が、火照った頬に心地よいのです。 日は沈んでも、西の空の上空は薄いブルーが広がり、その下は薄いオレンジ色に染まってい ます。 その薄いブルーの西空のはるか上空を、沈んだ太陽の光を受けてキラキラとダイヤモンドの ような光を発しながら、飛んでいくのが見えます。 そして、白い一条の飛行機雲を残しながら、視界から消えていきました。 あの飛行機雲は、60年前に目黒の家の屋根から眺めた飛行機雲と同じ。 天空の青さも、西空の茜色も、そしてキラキラと西日に輝いて飛行する飛行機も。 当時の私は、飛行機雲の美しさに見とれながら、飛んでいく先の茜空に向かって、子供心に 未来への夢と希望を描いていました。そして密かに心をときめかせていたのです。 しかし今は、夢も希望も描こうとは思いません。 ただじっと、安らかで平和な明日を祈るのみなのです。 それでは良い週末を。 |