あ り が と う
|
「ありがとうございます。助かりました」 そう言って、2歳ぐらいの男児の手を引いて階段を上り終えた若い女性が、深く会釈してく れた。 私は、大きなキャリーケースを手渡し、無言のまま軽く右手を上げて、改札口を先に出てい った。 場所は、私の事務所の最寄り駅である地下鉄「青山1丁目駅」の、長い上り階段。 ここにはエスカレーターもエレベーターもないので、大きな荷物を持った人だけではなく、 老人や乳幼児連れの女性の難所。 私は5年前から駅員に「上りのエスカレーターを設置するように」働きかけていたが、まだ 実現していない(工事中)。 今朝(5月23日)、この階段を上り始めようとしたら、子連れの女性が重そうなキャリー ケースを持ち上げ、一段一段上り始めた。私は少し上って振り返ってみた。女性は幼児の手 を引きながら難渋していた。 それもバランスが悪くて危なっかしい。 私は日頃から「最近はコロコロと転がすだけで楽なキャリーケースや、ベビーカーに幼児と 小物を満載して出歩く女性が多いが、エスカレーターやエレベーターのない階段などを想定 しているのだろううか?」と、常々首をかしげていたのだが、この時はやむを得ず、すぐに 女性のところに行き、「持ちましょう」とケース(バッグ)を持ち上げ、先に上って行った のだった。 そして冒頭のシーンになるのです。 駅の地下構内から外に出ると、空は五月晴れ。 左側の青山1丁目交差点の一角は、赤坂御所。 昨夜のTVニュースを見ていたら、天皇・皇后両陛下のパレードは、皇居を出て青山通りを 通り、この交差点を右折して御所に入られるコースとのこと。 しばし立ち止まり、その御所の木々の緑を眺めていたら、先ほどの若い女性から受けた「あ りがとうございます。助かりました」という言葉が、まだ耳に残っていた。 それだけ、何ということはないが、最近の私にとってはちょっぴり気分が良くなることだっ たのだろう。 考えてみたら、全くの他人からお礼の言葉を受けたのは、久しぶりのことだった。 お店で買い物をしたり、飲食をしたりした時は、カウンターやレジの店員が「ありがとうご ざいました」と、お決まりの声を出すが、これはマニュアル通り。馴染みの店になると「ま いど!」とか。 高級バーや高級料亭ではマスターや女将が出口まで付き添って来て、「ありがとうございま した。またよろしくお願いします」と深々とお辞儀をされ、さらにこちらが角を曲がって姿 を消すまで手を振って見送るところもあるが、これは他の飲食店と異なり、見送りまで含ん でのサービス料と考えたほうが良い。 だから一人当たり単価は数倍する。 こうした場合も、「ありがとうございます」の言葉を受けても、金銭勘定があってこその行 為と思えるので、さほど嬉しくはない。「この店は真っ当だな」と評価をするが。 人によっては、小料理屋やバーの席に座り、おしぼりで顔を拭きながら「俺はこの店の柱2 本分ぐらいは貢献してきたからなあ。だからサービスしてくれよ」とか、上客気取りで得意 そうに言っている人を見かけるが、「あんたはそれだけ金を払ってきたと言いたいのだろう が、店のほうも柱2本分のサービスをあんたに払ってきたはずだ」と言ってやりたい時があ る。 店のほうは何もしないでお金を恵んでもらっているわけでもなく、客も何も食べず、飲まず、 人的サービス、物的サービスを受けずに、ボランテイア的に店に金を払っているわけでもな いはず。(なかには、女の色香に惑わされ、裏酒場のスナックなどの店に何回も足を運んで は、ドンキで仕入れてきた安ウイスキーの水割りを2,3杯飲むだけで、大枚を何枚も払っ ている馬鹿もいるが) 話は戻ります。 商売上の紋切り型の事は別として、「ありがとう」とか「ごくろうさま」などの言葉には、 無私無欲から自然に思わず発する感謝の心がある。 また、そうではくてはならないと思います。 こうした感謝の言葉を自然に口に出せる人が、私には魅力的に映り、好きななのです。 今でも覚えている、生まれて初めて身内や友達以外の、見知らぬ人から受けた「ありがとう」 の言葉。 それは私が小学6年生の時。昭和34年の10月1日。 国鉄(今のJR)目黒駅前で、赤い羽根の共同募金のお願いをしていた時。 首から紙の募金箱と赤い羽根の束をぶら下げ、「共同募金にご協力をお願いいたします!」 と声を張り上げていたら、通勤客の流れの中から一人のOL(当時はBG)らしき若い女性が 近づいてきて、100円玉を入れてくれました。 よく見ると、近所の路でたまに見受けるお嬢さん。以前から子供心に「美しい人だな」と思 っていた人。 私は、ふっくらと盛り上がっているクリーム色の薄いセーターの胸に目が行き、どきまきし ながら、たどたどしい手つきで左胸の上に赤い羽根をつけた。 私の胸は高鳴っていた。 つけ終わると、その人は「ありがとう。ごくろうさま」と言って、微笑んで去って行った。 私はその言葉を聞いて、すごく晴れがましい気持ちに満たされた。 「共同募金って、ありがとうと言って貰えることなんだ。あの人にそう言われたんだ」とす ごく嬉しかった。 次の出来事は、私が中学1年の終わりの春休み。 私は新聞配達で、早朝の住宅街を駆け回っていた。 ある日、大谷石の門構えが立派な家で、ポストに新聞を投函したら、ちょうど、門石の上に 2本並んで置いてある牛乳瓶を、その家の娘さんらしき人が取りに来た。 そして、「ごくろうさま。この牛乳飲んで」と言って、フタを開けて牛乳瓶を差し出してく れた。 「いいの?」とたずねると、「どうぞ飲んで」と。 私は一気に飲み干し、牛乳瓶を返すと「頑張ってね」と言いおいて家に戻って行った。 何か力がみなぎってくる勇気を与えてくれた、生まれて初めて見知らぬ赤の他人にかけられ た優しい言葉だった。 それは、今も忘れない。 こうした言葉を受けて、どんなに多くの子供たちが勇気を得ただろうか。 また反対に、否定的な言葉で怒られて、どんなに多くの子供たちが心に傷を受けたことだろ うか。 言葉の使い方が出来ない馬鹿教育者、指導的立場の者は、皆、即刻辞めてほしい。 以前にも一度書いたが、あのロック歌手の永ちゃん、矢沢永吉さんも、小料理屋のカウンター で一緒の時、お茶を運んだ店員に「ありがとう」、カウンター越しに御膳を出してくれた料 理人に「ありがとう」、ご飯のお代わりをしてくれた店員に「ありがとう」、そして「おし ぼりの交換をしてくれた店員、水菓子を運んでくれた店員に「ありがとう」。 絶えず、あのはっきりとしながら、少しヨコ文字を歌う時の様なつぶした発音で「ありがと う」と言うのには、驚きました。 やはり、大した人だと感心しました。 聞いているはたの者も、「ありがとう」とか「ご苦労様」とか「いいなあ」とか「頑張って」 とか「良かった」とか「大丈夫」とか「うれしい」とか「しあわせ」とか「好きだ」という、 肯定的な言葉を聞くと自然に心が明るくなるようです。 「ありがとう」と自然に言えるか、「ありがとう」と言って貰えることをしているか。 「駄目」とか「嫌い」とか「つまらない」とか「いやだ」とか「不味い」とか「最低」とか 「どうせ」とかのネガティブな言葉を多用していないか。 最近、反省することが多々あります。 何気ない言葉は、自分も周囲をも幸せにするし、不愉快・不幸せにすると言えるでしょう。 まずは、1日に一回は「ありがとう」と言ってみよう。 この後、配偶者と夕食。 「出来たわよ」 「うむ・・・」 これで45年間。 これではいけない。 「ありがとう・・・」と言わなくては・・・。 お店ではどんなところでも、「美味かった。ありがとう。また来るよ」と自然に出るのに。 さて、どうなるかです。 それでは良い週末を。 |