樹木さんと島田さんの話(2)
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昨年9月に亡くなられた女優の樹木希林(享年75歳)さん。 彼女の配偶者(夫)は、ミュージシャン・俳優の内田裕也氏。 彼も、樹木さんの後を追うように、今年の3月に亡くなられた(享年79歳)。 二人は1973年(昭和48年)、樹木さんが30歳の時に結婚。 だが、すぐに別居し、結婚後8年たった1981年(昭和56年)、内田氏は樹木さんに無 断で離婚届けを役所に提出するが、樹木さんは離婚無効の訴訟を起こし、勝訴。 したがって二人は夫婦のまま、その後も別居状態が続く。 マスコミ・世間一般では何となく「女優・島田陽子とのハワイでの不倫密会が写真週刊誌 「フライデー」に掲載され、内田裕也は離婚届けを出し、これが認められずに、島田は内田 と結婚できなかった」と、今でもそう思っているし、現にネットのウイキペデイアで検索す ると、そうしたことがまことしやかに書かれている。 (女優・島田陽子さんは、映画「砂の器」「犬神家の一族」や、テレビドラマ「白い巨塔」、 アメリカのテレビドラマでゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞した「将軍」、そして 清純派で売り出して人気を博した「われら青春」など、数知れないほど主演を演じてきた女 優) しかし、島田さんと内田氏が初めて知り合ったのは、島田さんが主演し、内田氏も出演した 映画「花園の迷宮」(1988年)の撮影の時。内田氏の離婚届けの提出及び樹木さんの離 婚無効の訴訟勝訴は1981年だから、離婚騒動から7年後のこと。それを曖昧にして「不 倫⇒離婚届無効⇒島田はあれだけ内田に貢いでも結婚できなかった⇒国際女優・島田は今や 借金地獄に」と言うストーリーを作ってしまうのだから、マスコミは怖い。 また、「島田の借金は、内田に貢いだせい。特に内田が1991年の東京都知事選に立候補 した際、その選挙資金を捻出するため」というが、彼女は「私が内田さんのためにお金を出 したのは、一度だけ。それは彼のロックコンサートの費用の半分を協力したこと。これは貸 したのではありません」と、静かに答えたことを、私は今思い出す。 過日、私が島田さんと都内のレストランの個室で食事しながら「内田さんのことを愛してい たの?ハワイに一緒に行ったとか、お金を面倒見てやっていると聞いたけど」と彼女にさり げなく尋ねた時に、返ってきた言葉。 彼女は微笑みながらこうも言っていた。 「内田さんは純粋な人。ロックコンサートや映画に出ても、それでお金を稼ごうとか、売れ る売れないなんて考えない人だった。子供みたい。彼はいつも、誰かがサポートしてくれて いた。それは彼の人間性だと思う」 「彼は、おっかない人?暴れるとか」 そう尋ねると、クスクス笑いながら「と〜んでもない。喧嘩は弱いし、臆病なんですよ。い つも私に甘えてくる感じなの」と。 島田さんが内田裕也氏と付き合っていた(彼女の表現では「友人だった」)のは、内田氏が 1991年の東京都知事選に立候補の意思を表明した時まで。 彼の政治への意気込みに対し、島田さんは「反対」を唱え、結局「お互いに別の道を歩みま しょう」ということで離れた由。 そもそもの話になるが、私が島田さんと知り合ったのは、今から21年前の1998年(平 成10年)、私が50歳の頃。島田さんは45歳ぐらいだっただろうか。 きっかけは、私が40歳ぐらいの頃から知己を得ていた、3歳年上のH弁護士。 彼から職場に電話が。「お久しぶりです。今夕空いていませんか。女優の島田陽子さんと飲 むんですが、来られませんか?」と。私は「誰ですか?」と尋ねながら、「ああ、あの「白 い巨塔」の東佐枝子(注・野心家・財前教授の恩師であり仇敵であった東教授の愛娘役。正 義感溢れるおしとやかな美人)さんか。それはいいですね。行きます」と、すぐに応えてい た。 場所は、六本木の「アマンド」の二階。 H弁護士と窓辺の席で珈琲を飲みながら交差点を眺めていると、H弁護士が「ああ、来まし た」と指をさした方向を見下ろすと、長身の彼女が颯爽と小走りに渡ってくるのが見えた。 それから3人で近くのレストランに行き、ビールとワインを飲みながら大いに歓談した。 彼女の顔はすっぴんだった。 「化粧はされてないですね」と私が言うと、「プライベートの時は、いつもそうですのよ」 と微笑んだ。 その後、彼女とはプライベートで何回もお会いしたが、いつもせいぜい薄化粧で、それは映 画やテレビのヒロイン役を演じている顔より、はるかに清楚で美しく見えた。 この20年の間で、彼女は私が依頼した幾つもの講演会に講師として参加してくれたり、職 場の仲間との懇親会に誘うと、気軽に参加して皆と一緒に歓談してくれた。勿論、一番多か ったのは、二人であちこちの店で飲み語ったこと。気取る人ではなかったので、行きつけの 店以外に飛び込みで居酒屋に入り、酎ハイなどを飲んだりしてだべった。 また、彼女の父上が病気で倒れた時は、私と相談しながら世田谷区桜新町にあるマンション の自宅で、地域の訪問診療を行うクリニックを探し、在宅看護に精を出されていた。その甲 斐もなくご逝去された時、私は彼女から連絡を受け、通夜に行った。 マンションの狭いリビングの1室に祭壇が設けられたが、親族だけの通夜のせいか、部屋に は母上と妹、妹の子供、それに葬儀社の若い男と、私だけしかいなかった。 すぐに僧侶の読経とご焼香は終了。ひっそりとした中、島田さんは「東井さん、お寿司を取 りましたから食べていってください」と気丈に言い、私にビールを注いでくれた。 皆黙って、黙々と食べていた。そんなことが、つい先日の事のように浮かんでくる。 あるいは。 島田さんはリューマチで、指が腫れていた。 「どなたかいいお医者さんがいないかしら・・」と途方に暮れた感じで尋ねられたので、日 本を代表するリューマチ・難病の名医・N氏を紹介したり、その後、軽井沢に居を移されて いた時、母上の入院先として佐久市民病院の事務長に依頼して入院措置を行ったり・・・。 両親に対する彼女の思いは、異常なほどであった。 父親に対しても母親に対しても、病気を治すためだったら何でもするといった強い一念で、 身をすり減らして尽くされていた。 「あなたは、立派だよ。これほど日頃から親孝行する人は、滅多にいないよ」 そう言うと「今まで苦労を掛けてきたから・・。私は長女だし」と呟いていた。 その彼女から、最後に連絡があったのは2年前の春だった。 ある日の朝、突然に。 携帯を耳に当てると島田さんからだった。 「東井さん、ご無沙汰しています。いまロスから帰国して成田にいます。 実はお願いがあるのです。今日の今日で申し訳ありませんが、今夕、ホテルニューオータニ で開かれるAさんのデイナーショーに行っていただけませんか?」 私はぼっとした寝起きの頭で「急に電話してきたと思ったら、何なんだ」と思いながら、 「いや、今日は駄目ですよ。それより私の事務所が静かで誰もいないから、そこで一度会い ませんか。色々と聞きたいこともあるし・・・」と答えていた。 この頃、一部マスコミやネットで、「国際女優・島田陽子、AVに出演」というニュースが 流れていた。 その件が一瞬、脳裏をかすめていた。 「いえ、今日はこれからすぐに岡山に行かなくてはいけなくて・・・。来週帰京したら、お 電話します」 彼女はそう言って、電話は切れた。 それ以来、連絡はない。 数年前、二人で熱燗を酌み交わしながら雑談している時、彼女が「東井さん、私がこれから 映画に出るとしたら、どんな映画がいいと思います?」と、艶やかな表情で聞いてきた。 「そうだなあ・・・。サスペンスものかなあ。恋愛ものの文芸大作かなあ・・・」と答えて いたが。 今なら、きっぱりとこう断言する。 「貴方は絶対、社会派的な作品がいい。自由と平等と正義を貫くような主人公役を。 例えば、戦後ヒットした黒澤明監督の「わが青春に悔いなし」の原節子のような。 村八分にされても、あそこはアカの家だと迫害を受けても、女性の権利擁護を主張して戦っ た、貧農の家の名もない主婦のような役がいい」 話は変わって。 今から10年ほど前になるだろうか。 場所は乃木坂の行きつけの蕎麦屋。 そこで私は午後3時ごろから、上京していた広島県庁のS課長と日本酒を酌み交わしながら 旧交を温めていた。 店内は私たち二人と、向かいのカウンターに背中を見せている一人の客だけ。 色々な話が進む中で、私は数か月前に佐久総合病院主催の講演会に島田さんと一緒に佐久市 まで行ってきた話になった。 すると、前方の男が、身体を半身にしながらじっと聞き耳を立てている姿に気が付いた。 だからと言って別に何も感じなかったが、その男が急に立ち上がった。 そして何か言いたそうな表情で、こちらを眺めながら、そわそわして立っていた。 その時、はじめて「内田裕也か!」とわかった。 白いコートを着て、やけに異様に見えた。 私は「島田さんの話が出たので、気になっているのだな。今のところ彼女の悪口は言ってい ないが」 そう考え、瞬時に話を加えた。 「島田さんは今時の人にはない丁寧な日本語を使う。それに女優だからと言って偉ぶったり 格好つけたりすることはない。誰にも優しい人だよ。親の教育が良かったんだと思う。 いい人だ」 そう言い終えると、内田氏は踵(きびす)を変え、黙って店を出ていった。 内田裕也氏は、事あるごとに「ロックンロール!」と叫んでいるが、彼自身のヒット曲は何 もない(注・自身がそう発言していた)。 でも、島田さんが評するように「何かを持っている人」なのだろう。 それにしても、樹木さんも内田さんも島田さんも、みな個性的で味があります。 特に昭和の時代、かろうじて平成の時代半ばまでは、人もドラマも社会も面白かった。 私は最近、色々なことを回想しながら、そう痛感しているのです。 これからの令和の時代? ズバリ、無味乾燥、一億総画一化が進むでしょう。 それを操るのは、馬鹿な政治家や現場を知らない幼稚な役人の上に構築された、独裁政治。 そして、これに唯々諾々と従う、多くの愚民。 これらを遠隔操作するアメリカ(もしくは中国)。 これが日本の姿になるでしょう。 だから、樹木さんや内田さんや島田さんなどの個性的で魅力的な芸人や芸能は、全く生まれ てこないと思います。 そもそも「日本の文化」「民度」が、がらりと変わってきているのですから。 さて、あなたはどう思うでしょうか。 それでは良い週末を。 |