東井朝仁 随想録
「良い週末を」

息(いき)(2)
「息」とは呼吸。吐く息、吸う息。
息とは、まさに私にとって「意気」、「活き」「生き」でもあります。

前回、前々回のエッセイで触れましたが、今年に入ってから立て続けに親しい人の訃報が入
り、また、自宅裏に周囲の住民の迷惑など考えないマンション建設計画が公示されたので、
これに対して見直しを要請する運動を起こしたりと、急に色々なストレスが重なることが多
く、これに加齢が影響しているせいなのか、春先から頭が重く「不整脈」がしばしば出るよ
うになったのです。
こんなことは、今までにない経験。
2月に循環器内科クリニックに行って検査をし、「単発性の不整脈」と診断され、与薬を服
用し始めてとりあえず事なきを得ていましたが、嫌なことや怒りや不満になることがあると、
不意に不整脈が出るのです。
「これは、薬で対処する問題ではないな。心臓の器質に問題がないとしたら、やはり根本的
には自律神経の失調が原因だろう」と考えました。また、不整脈の原因として、身体の新陳
代謝を促進する「甲状腺ホルモン量」の増減があり、そのバランスを司るのが脳(脳下垂体)
とのこと。
甲状腺ホルモン量が多くて機能が亢進されると、頻脈やイライラ、疲れやすいなどの症状が
出て、不整脈も生じ、心臓にダメージを与える。そのことを承知していたので、再度クリニ
ックに行き、甲状腺機能検査を受けたら、「甲状腺ホルモン量は正常」とのこと。しかし、
「脳のほうが甲状腺に「もっとホルモンを出しなさい」という命令をしている。この命令量
はTSHというが、この数値が高い。だからといって治療は必要ない。脳を休めること。貴
方は神経過敏で、何事もやり過ぎるのではないか。そのことは性格的な問題で悪いことでは
ない。だが、これからは年齢相応に、ほどほどにすると良いのでは」との所見。
この助言も良かった。医師は慶大医学部卒の65歳ぐらいの人。最近では稀にみる良き医師。

私は、そこで今後の対策を考え、ハタと気づいたのが「脈が乱れたら、深呼吸すること」と
いう言葉。
深呼吸の効用。呼気(吐く息)は副交感神経を、吸気(吸う息)は交感神経を高める作用が
ある。
私が三重県厚生連に勤めていた頃、不整脈のような症状が出たことがあり、鈴鹿中央総合病
院の浜田院長(循環器内科)に診てもらったのです。すると「検査結果では心臓には異状が
ない。ストレスからきているのやろ。東井常務はナイーヴやからな。でもナーヴァスになっ
たらあかんよ。不整脈が出たら、ゆっくり深呼吸するといい。続けているうちに脈がおさま
る。薬など飲む必要はないで」と言われたのを思い出したのです。
それで、早速、昼夜を問わずに気が付いた時に、深呼吸を励行し始めました。
心を静めて椅子に座り、呼気は口から「アー」と音が聞こえない程度に静かに長く息を吐き、
吸気は鼻から大きく深く吸い込みます。
これが不整脈には効きました。
夜中に嫌な気分で目が覚め、不整脈が出ていたら、迷わず深呼吸を続けたのです。
すると、10〜20分ぐらいで脈が落ち着き、安らかな気分で床に就けるのでした。
昼間も、頭が疲れたり胸がドキドキしたりしたら、電車の中でも部屋の中でも、例え3分ぐ
らいでも深呼吸を。そうしたことを繰り返すうちに、不思議なほど心も静まるようになり、
4月以降は不整脈が出なくなりました。
そのような経験から、今、つくづくと「息」の大切さを痛感しているのです。
特に、「息」の心身に与える健康効果を再確認できたのは、前回のエッセイの終わりにご紹
介した、藤平光一氏(1920年〜2011年)の「氣の呼吸法」(幻冬舎文庫)などの書
物を再読したからです。

藤平氏は慶応大学経済学部に入学後、山岡鉄舟の高弟に禅や呼吸法を学び、19歳の時に合
気道の開祖・植芝盛平の門下に入って合気道を始められ、最高段位10段を得られた。
その後、1974年に「心身統一合気道」を創始されて以降、日本国内にとどまらず、広く
アメリカやヨーロッパなどに頻繁に出かけ、「氣の原理」の普及活動に励まれ、多くの会員
を擁するようになった。
あの、プロ野球の大打者・王貞治氏も、デビュー当時は「三振王」と罵倒されるほど打撃不
振。
そこで、心身統一合気道を習っていた巨人軍コーチの荒川氏に連れられ、藤平氏の指導を受
けて「一本足打法」を完成させ、偉大なホームラン王になったのです。
「荒川さん、王さんは右足に突っ込むクセがある。なぜ直してあげないんです?」
「私も気づいていたのですが、どうしても直らないのです」
「では、私が直してあげましょう」
そして、「腕を上げる時は臍下の1点に心をしずめたまま、腕の力を抜いて上げること。次
に右ももを上げるときに腕の重みは下にしたまま、それを崩さぬように右ももの上げ下ろし
を稽古すること」と指導された。
同様に、西武の知将・広岡監督も、藤平氏の「氣」による指導によって、チームを日本一に
導びかれた。
その教えを引き継いだ東尾監督も、速球派だが荒れ球が多かった松坂大輔投手に「氣の呼吸
法」を教え、緊張して体が硬く、腕も自由に動かずに制球が定まらないクセを見事に克服さ
せ、一流の投手に育て上げたのです。

氣の根本原理は「心が身体を動かす」ということ。心身を統一して「心を静め」「氣を出し
て生きる」ことこそ、健康や仕事や幸せの要諦である、ということ。心技を極めるのは本人
の「やる氣」の積み重ねで奥が深いだろうが、心身統一の原則はいたってシンプルでわかり
やすい。
例えば、心身統一の四大原則は@臍下(せいか・へその下)の1点に心を静め統一すること。
(注・へその下10センチほどの1点を意識していると、自然に心が静まる)A全身の力を
完全に抜くこと。(注・身体の力を抜いて、リラックスすること。心身統一の一番強い状態)
B身体のすべての部分の重みを、その最下部におくこと。(注・心が落ち着いてくる)C氣
を出すこと。(注・生き生きとした輝かしい人生を歩もうと思ったら、強気になること。心
を積極的に使うこと)

私は、これらの@を意識して「氣の呼吸法」を行っています。日常生活の場面、特に会議で
の発言やスポーツでのプレイの場面ではAを、寝る時はBを、そして人生を生きていく上で
の全般の姿勢ではCを意識してと考えていますが、すぐに忘れてしまうのが悪い癖。
この4大原則は「心身を統一させる方法」であって、藤平氏の勇壮で不屈な人生から導出さ
れた理念は、「「氣の威力」(講談社文庫)、「氣で病を癒す」(サンマーク出版)、「幸
福の秘訣は氣にあり」(東洋経済新報社)など、多くの書籍に記されています。どの御本も
単なるノウハウ本ではなく、大変面白く、ためになり ます。
「氣」の説明もその数々の著書の中で説明されていますが、短絡して言うと「氣とは無限に
微小なものからなる、無限に大きいもの」という事でしょうか。空気も水も万物も全てがこ
の無限にゼロに近い微小なもの「氣」から形作られ、命ができていると。数々の宇宙の星も
地球も人も動物・植物も、これら万物は「氣」の集合体。
「氣」の要素は、例えば1を2で半分に割り、さらに1/2で割り、さらに・・・。
これを無限に繰り返してもゼロにはならない「何か」。
この無限に小なる「氣」が離合集散して万物が形作られていると。
したがって、大宇宙も「氣」の集合体。
この大宇宙の一部分として人間も形作られ、大宇宙という「氣」の一部分として息づいてい
る。
私は「氣」というものを、そのように理解しているのですが。
だから心身も、大気と一体となって呼吸することにより、生命力が高揚して「元氣」になれ
ると考えるのですが、いかがでしょう。

私が藤平氏と知り合ったのは、氏が「財団法人氣の研究会」を創設された、1977年(昭
和52年)の10年後、1987年(昭和62)の頃。
当時の私は、厚生省保健医療局企画課で、新設されて間もない「保健医療関係法人の指導監
督・許認可事務」を担当する指導係長の任にありました。そこで所管45法人(うち4法人
は在任中に設立)の役職員の方々と交流していましたが、そのうちの一法人が「氣の研究会」。
法人の会長である藤平氏とは、氏の奥様と、藤平氏の後継予定者のM専務理事を交え、新宿
の料理屋で酒を酌み交わしながら歓談したのが最初。
それから氣の研究会は、栃木県市貝町の田園地域に550畳の大広間からなる武道場などを
建設され、落成式の当日は私もお祝いに駆け付けたり、あるいは法人主催の「心身統一合気
道競技大会」が代々木の体育館で開催されたときは、厚生省の後援名義使用を許可し、私も、
国内外から多数出場した選手の迫力ある実技を、招待席から終日見学させて貰ったりしまし
た。
その後も、奥様や専務理事さんが、私が主宰した関係法人の有志の集まり「とわ会」に出席
されたり、現在は本部師範である片岡氏には、私が三重県厚生連に勤めていた頃に、看護学
校の「特別授業」として、「氣を活用した看護・介護」の講演を行っていただいたこともあ
りました。
患者さんの看護や介護で腰を痛める看護師やスタッフが多いのですが、心身の自然な使い方
で腰痛などの職業病を予防できると思ったからです。

今回は、私にとっての「息・呼吸」について書きました。
そして「深呼吸の大切さ」とともに、日頃の生活で大切な心を再認識しました。
それは、藤平氏も強く言われていた「心も言葉もプラスにする」ということ。
亡き母がよく私に諫めていた「朝仁。先案じせず、陽気に勇んで日々を送らせていただくん
だよ」ということ。
息の合った人たちと、息の長い付き合いを楽しみながら、元気に陽気に勇気を持って、限ら
れた人生を日々悔いなく生きていきたいもの、と思っているのです。

それでは良い週末を。