東井朝仁 随想録
「良い週末を」

この地で生きる(1)
過日この欄で、地下鉄車内の広告文をほめたことがありました。
それは人材派遣企業の「続けられるバイトより、続けたいバイトがいい」というコピー。
私は思わずニンマリ。まさに正鵠を得ていると。

先日、懐かしい昭和の連続テレビドラマ「二人の世界」(全15話)を、DVDで観ました。
1970年〜1971年にTBSで放映された木下恵介劇場のドラマ。
主演は伸び盛りの若手俳優だった竹脇無我と栗原小巻。
主題歌は同作品に出演していた、元祖・ジャニーズの「あおい輝彦」。
当時、ドラマの人気と共にこの歌も大ヒット。
ドラマは「甘い恋愛生活から厳しい結婚生活に入った二人の、様々な困難を乗り越えて明る
く生きていく二人の世界と、それにかかわる当時の社会をリアルに描いた佳作」。
このドラマで、主人公の男性・竹脇無我は、栗原小巻と結婚し,悩んだ末に3年務めた大手
商社を退社。
スナック経営を目指して脱サラ。
なぜ、当時なら一生安泰の大手商社を辞めてしまうのか。
それは、大きな商談が成就する寸前、所属する部の上司のミスで破談に。その責任を同じ部
署の平社員の彼が負わされ、営業部から総務部に「左遷」されたことが要因。
前途有望な男がこうした理不尽な目に遭っても、日頃は仲の良い同僚や先輩たちは「そのう
ちに戻れるさ」「そんなこと気にしていたら、サラリーマンなどやっていけないぞ。気にす
るな」と表面は同情しても、内心では「気の毒だな。これでライバルが一人減った」と相対
的な幸福感をかみしめていた。
それがサラリーマン世界の実態。
異動した彼は、来る日も来る日も単調な事務処理に明け暮れる毎日。
「こうした組織の掟に従って生きるのがサラリーマンの宿命と割り切って、俺は果たしてこ
れから先も会社で働いて行けるだろうか」そう問い続けながら、いつしか覇気のない、笑い
のない人間に。
かっては溌溂として、明るく優しい笑顔が魅力的だった夫の変貌。
心配した新妻から、そのことを指摘され、「俺は何も気にしちゃいないさ」と強がりの笑顔
を妻に返すのだが。
そしてある休日。
気分転換に、夫婦二人で近所に開店したスナックに、夕食に出かける。
そこで若い夫婦が、力を合わせて明るく元気に働いている姿に、新鮮な衝撃を受ける。
それから、彼は単調な仕事の合間に「脱サラ・転職」を真剣に考えるようになる。
そんなシーンに、名ナレーターの矢島正明の声が響くのです。
「人は幸せになるために生きている。幸せになるために働いている。しかし、一日の大半を
占める職場の仕事がつまらなかったら、これほど不幸なことはないのではなかろうか。たっ
た一度しかない人生なのだから。そう次郎(竹脇)は悩んでいた」と。
そして冒頭のように、周囲の驚きをよそに、脱サラするのです。
「会社を辞めたら、今までの様な生活をするわけにはいかなくなるけど、それでもいいかい?」
「だって、貴方がそうしたいと思うんだったら、私は大賛成。二人で頑張ればなんとかなる
でしょう。貴方が活き活きしているのが、一番嬉しいの。駄目だったら、私もどこかで働くわ」
「こいつ!」

いま(9月5日午後3時)。
車中で眺めた広告のコピーは「この地で生きる」。
はて、何の広告か?と思いきや、災害避難訓練の広報。
広告主は行政と鉄道会社だったか?
何処に避難・引っ越しするとかではなく、「今のところで生き抜く!」という気概が込めら
れているようです。
これも良いコピー。

先ほどまで、長男と昼食とビールをしながら2時間ほど喋ってきました。
長男は昨年暮れに、ある大手商社を退職して個人会社を設立。現在は農業の流通関係の仕事
をしています。
私は彼に、「これからは、外国のどこかに友人を作り、そしてそのあたりに住めるところを
作っておいたほうがいいぞ」と、私見を。
仕事は冒頭のコピーのようなことに賛成し、住むところは「この地で生きる」と反するよう
な私見だったので、帰宅してから思わず苦笑。
この続きは次回にでも。

それでは良い週末を。