東井朝仁 随想録
「良い週末を」

花 言 葉 の 唄
今日は水曜日。天気快晴。最高気温は19度の予定。
近所の地区会館の桜が咲き始めました。
以前までは「桜を切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」の言葉通り、ここの巨木の一本桜は、ほとん
ど手を入れられず、自由にのびのびと八方に枝を伸ばしていた。
満開の時は、爛漫に咲き誇った桜花の枝が、風に吹かれてゆらゆらとたゆんでは、少しの
花びらをハラハラと散らしていたものです。
その美しさは、例えようのないほど。
しかし今では、以前の優雅な美しさは見る影もありません。
太い何本もの枝が、ズバズバと切り落とされ、人の頭髪に例えれば無慈悲に「校則に従っ
て長髪にハサミが入れられ、散切り頭に矯正された」様な有様。
校則とは、今の社会では「近隣住民への迷惑を防ぎ、安全を確保する」という行政の大義
名分でしょうか。
「花びらや落ち葉が屋根や樋(とい)に落ちて困る。毛虫がわく」という近隣住民の苦情
(たった1軒としても、こう呼ばれるご時世)に、行政は従うしかないのでしょう。
あるいは、近年の暴風雨の襲来による倒木被害を防ぐため、行政が各地で統一的に行って
いることでしょう。やむを得ません。
それにしても切りすぎ!(イチョウやケヤキ並木も、無残なほど)
したがって、都内で息をのむような桜の絶景を見るとしたら、千鳥ヶ淵とか目黒川とか○
○公園といった、お堀や池や川沿いや土手や墓地に限られてきます。
それでも桜が咲く季節は、路地裏に咲く小さな一枝の桜を見ても、心が浮き立つようです。
春の花だったら、桜だけではなく何でも好き。春の花々は、寒い季節に別れを告げ、優し
い陽射しとそよ風に包まれた光輝く季節の到来を、賛美しているからです。
新型コロナウイルスの流行や経済の悪化などが社会を暗くしていますが、自然だけは不変
です。
近年の異常気象・世界的混乱は、尽きない欲望で狂奔する人類への、自然界からの戒めの
様な気がしてなりません。
「この戦争に勝利する!」とか「我が国は断固たる決意で敵に打ち勝つ!」とか、各首脳
が記者会見でさかんに叫んでいますが、全てを「戦争」や「敵」や「政権力の偉大さ」に
例える表現には、とても違和感を感じ、心が委縮する思いです。

昨日の夕方、駅からの帰り道で花屋に寄りました。
それまでの、梅や桃やボケ、ノースポールや水仙やデージーやヒヤシンスやクロッカスな
どにかわり、今は、チューリップやキンギョソウやキンセンカやガーベラ、ツツジやバラ
やマーガレットやナデシコやシャクナゲなどの鉢植え・切り花が店頭に置かれています。
その中から、薄紫色のカンパニュラの鉢植えの花を買って帰りました。
昔は「ふうりんそう」と言われていたもの。
清楚でどこか控えめでいて、ついつい気になって目が行ってしまう花。

私は、春夏秋冬それぞれの季節に、何がしかの小ぶりの鉢植えの花を買い、玄関前の小さ
な花段に幾つか並べ、さらに、一年中売られている赤や白や黄色の菊、カーネーション、
カスミソウなどの花束を、スーパーで週一の頻度で買ってきては、適当に花瓶に挿してい
ます。
そして、これもしばしばスマホの配信サービス(200曲ほど登録)で、ある歌を聴きな
がら眺めてみるのです。

その歌は「花言葉の唄」(西條八十・作詞)。
この歌は昭和11年に発表され、以降、懐かしの抒情歌として少なくない国民に愛されて
います。
昭和11年は「2,26事件(一部青年将校のクーデター)」勃発の年。
昭和5年は昭和恐慌、昭和6年は満州事変勃発、昭和7年は「5、15事件」勃発。
日本は軍国主義が台頭し、戦争への道をまっしぐら。
昭和12年から昭和20年の敗戦まで、日本は日中戦争、太平洋戦争という悲惨な泥沼に
陥っていったのです。
だが、どんな時代でも、花々は国民の心を優しく慰めてくれていたのでしょう。

「♪可愛いつぼみよ 綺麗な夢よ
  乙女心に よく似た花よ
  咲けよ咲け咲け 朝露夜露(あさつゆよつゆ)
  咲いたらあげましょ あの人に」
現在では、「YouTube」などで聴けます。
加茂さくら、倍賞千恵子さんらの女性の歌声も良いですが、男心には舟木一夫の歌が馴染
むようです。
「♪白い花なら 別れの涙
  赤い花なら うれしい心
  青い花なら 悲しい心
  咲いたらあげましょ あの人に」

私があげるなら、カンパニュラの花。
カンパニュラの花言葉は「感謝・誠実な愛・共感」
幸いにこの花の鉢植えは、多数の花をつけています。
多くの人に一輪ずつでも渡したい。
そんな心境の今日この頃なのです。

それでは良い週末を。