東井朝仁 随想録
「良い週末を」

メーデーに想う
今日は、2020年5月1日(金)。
空は青く澄み渡り、木々の新緑を揺らす風は爽やか。
街は初夏の光が乱反射し、私の心は深紅のバラのように、何かを夢見て熱くときめいてい
る・・・か?
いやいや。答えはノー。
とりわけ今年の5月1日は。

今日はメーデー。
世界の労働者祭。働く者の連帯を祝う日。
日本でも随分昔から、代々木公園などに産業別の労働組合が集結し、歌を歌い、シュプレ
ヒコールをあげながら行進したもの。
しかし、もうこの10数年間は労働組合の組織率も驚くほど低下し、各中央組織も分裂し、
メーデーは日程や場所を別々にして開催。
「♪世界をつなげ、花の輪に・・」などと謳いながら、連帯感を求めて集うことは無くな
ってしまった。
さらに今年は「新型コロナ」で無開催。
もう、右だ左だ、保守だ革新だなどと議論するエネルギーは社会から失せてしまっている。
歴史は「連帯から孤立」「主張から沈黙」「自由から自粛」「他人(他国)より自分(自
国)」の時代に突入した。
コロナが終焉した後の世界は、自由経済と民主主義の旗は折れ、国家統制主義の旗を掲げ
る国が増えてくるのだろう。

振り返ると、若い頃はいつも、5月の輝く季節はメーデーから始まっていた。
私はオール厚生省の労働組合員として、職場の仲間たちとメーデーに参加し、青山通りを
意気揚々と日焼けしながら行進していた。
そして終点の新橋に到着した後は、多くの仲間たちと東芝ビルの屋上ビヤガーデンなどに
行き、大ジョッキの生ビールを飲みながら大いに歓談して騒いでいた。
社会にも、そして私の心の奥にも「連帯を求める」情熱が渦巻いていた。
しかし。
悠久の時は流れ続け、人も年を数え、変わっていく。
そして社会も変わり、歴史も変わる。
それが大宇宙の法則だろう。
その大自然の摂理を、今年のメーデー(5月1日)ほどひどく痛感する時は無い。

一昨日、娘と近くの店に行き、ビールを飲みながら夕食をとった。
そして色々な話をした。
その中で、娘が「職場の懇親会で、たまたま歌手の尾崎豊のことをチョット話したら、翌
日、先輩の女性から「東井さん、尾崎豊の話なんてしないほうがいいよ」と言われた」と
苦笑いしていた。
私は何のことかと一瞬分からず、そして驚いた。私も娘も尾崎豊のフアンでもないし、何
でもない。
娘は、昔の歌手の話題になっていたから、たまたま尾崎豊の名前は知っている程度の話を
したのだろう。それがどうも娘に言わせると「その場の空気を読まなくては」という先輩
女性の忠告だったらしい。
私が「そうか。尾崎豊は大人や社会に対して反抗するような歌を歌っていたからな・・・。
要するに、上司や幹部たちからみたら危険人物なんだろう。尾崎豊の歌も知らないくせに、
馬鹿な連中が多い会社なんだな。辞めちまえ、そんなレベルの低いところは」と、私は笑
い飛ばした。
しかし、帰路を辿りながら情けない気分になっていた。
「どこもここも忖度の社会になってしまったのか・・・」と。
この様な社会の風潮を、国民のみんなはどう感じているのだろうか。
やはり「仕方ないよ・・・」で終わりだろうか。

私が若い頃に流行った歌。
TVドラマ「若者たち」の主題歌。
「♪君のゆく道は はてしなく遠い
 だのになぜ 歯を食いしばり
 君は行くのか そんなにしてまで

 君の行く道は 希望へと続く
 空にまた 陽(ひ)が昇るとき
 若者はまた 歩きはじめる・・・」

若い人たちよ。
君たちはこれからまだまだ長い人生を生きていく。
だから、「志」(こころざし)を抱いて希望を持って進め。
希望だけは失うことなかれ。
必ず日は昇る!

そんなことを想った2020年のメーデーでした。

それでは良い週末を。