いま社会は変わる(1)
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新型コロナウイルス感染症は、パンデミック(世界的大流行)となり、現在、日本もその 第1波の大波にさらされている。この新型感染症に対する予防(ワクチン)や治療法が未 だ確立・完備されていない中、世界各国では唯一最大の感染拡大防御策として、都市封鎖 や他国・他州・他県との往来禁止、「3密」(密閉・密集・密接)政策などがとられてい る。日本も、全国民を対象として日頃のマスク着用・手洗い・うがいの励行勧奨や、「不 要不急の外出自粛」「在宅勤務」「休校」「特定業種の営業自粛」「イヴェントの中止」 等々が、国や都道府県から要請されてきた。 これらの要請の根拠となる、特別措置法に基づく「緊急事態宣言」が4月7日に出されて から1か月半が過ぎた。そして、対象地域を一部解除しながら、今日現在で対象地域は首 都圏の東京都他3県と北海道のみになる予定。 しかし、大都市・東京の解除の先行きは不透明で、解除された大阪などの府県も、第二波 の襲来を予測すると全く油断が出来ない状況が続く。 実質3月からの長きにわたる「自粛」期間。 大人も子供も、学生・生徒も勤労者も、主婦も年金生活者も、国民は疲弊し、ストレスは 限界にきている。 商店街や飲食街は閑古鳥が鳴き、少なくなった電車の乗客や街を行きかう人々はみな、マ スクをしてスマホを片手に、無表情に沈黙している。社会は沈滞し、閉塞感が漂っている。 だから経済は急激に悪化し、今後の深刻なデフレ不況、世界的な経済大恐慌の勃発さえ懸 念されてきた今日。 この様な世界、この様な日本社会、この様な時代を経験するのは、私は人生で初めて。 まさか、こんなに味気ない社会があるとは、、、。 この状況を、「1918年のスペインかぜの大流行(世界で4000万人以上が死亡)の 時と酷似している」、と評する識者も多い。 幸か不幸か、1914年に始まった第一次世界大戦(日本も参戦)の終結の遠因には、ス ペイン風邪が参戦国(英・仏・米・独など)の兵士にも多く及んだため、とも言われてい る。 そして第一次大戦後の日本では、1920年に戦後恐慌、1923年に関東大震災、 1927年に金融恐慌が起こり、さらに1929年のアメリカにおける株の大暴落に端を 発した世界大恐慌の余波を受け、1930年からの昭和恐慌へと突入。国民は窮乏生活に 陥り、同時に政党内閣への不信・不満が社会に鬱積する中、軍部が台頭。1931年には 日本の関東軍が満州に侵攻。1932年の「5・15事件」(海軍青年将校らによる首相 射殺・クーデター)など、多くの事件を起こしながら日本は軍国主義にひた走り、 1937年から日中全面戦争に突入し、そのまま第二次世界大戦、そして1945年の敗 戦に至ったことは、学校の社会科で学んだところ。 伝染病の蔓延、大震災の勃発、経済大恐慌、政治や経済への国民の不満、耐乏生活者の増 大、軍国主義の台頭、国民の行動や発言や思想の規制、外交の国際的孤立、クーデター・ 戦争の勃発・・・・。 こうした流れは「歴史的な過去」のこと。 しかし、現在の社会の雰囲気にナーバスな私は、例えば最近急にNHKなどから流れる 「新しい生活様式を!」というキャッチフレーズ、「テレワーク(それぞれ離れた場所で 働く)で、新たな働き方改革を」とか「ソーシャル・デイスタンスを」という要請の響き をも感じる報道に、とても違和感を感じるのです。 要するに、コロナ対策とはいえ「人と人との物理的な距離をとれ」「協同したり、協働し たりするな」「直接、親しく近づいて話をするな」「飲食や会合や集会で群れるのはやめ よ」「仕事も遊びも生活も、パソコンやモバイルや電話を使い、金のやり取りも、申し込 みや申請や個人認証はカードやスマホで行い、飲食などはソーシャルデイスタンスを守り、 テイクアウトや出前で家庭内で行え」という風な感じ。 「これからの時代は、新型コロナが完全に終息するまでに、新しい生活様式=分断社会の ルールを守れ」という感じ。 そうこうするうちに、そうしたことが当たり前になり、「異質な者」は社会から排斥され るような雰囲気が醸成され、国民はひろく「分断」されながら、いつか来た道を羊のよう におとなしく、間隔を取りながら行進していく日が来るのだろうか。 「そんなたわごとを」と苦笑する人が多いでしょうが、あとで「想定外だった」とか、今まで耳にタコが出来るほど聞き飽きた言葉だけは、聞きたくないものです。 ともかく、事態はコロナ禍の収束だけで分断したいものです。 それでは良い週末を。 |