時は命を刻(きざ)む
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昨日は、2020年(令和2年)6月10日。 この日の朝、厚労省のS君から次のメールがあった。 「おはようございます。一昨日はお電話を頂き、ありがとうございました。 ところで、東井さんはお忘れかも知れませんが、25年前の今日、私たち夫婦は結婚いた しました。 お陰様で無事に銀婚式の日を迎えることができました・・・」 S君は私が係長の時の係員。 会計課から保健医療局に交換人事で来ていたが、寡黙で真面目で仕事のできる青年だった。 私は翌年に異動し、以後、彼とは余り会う機会もなく7年が過ぎた1995年(平成7年) の初春、私が47歳の時。 突然、彼が彼女を連れて私に挨拶に来た。 彼は「こんど、○○さん(注・環境庁勤務)と結婚することとしました。 つきましては是非、東井さんに仲人をしていただけませんでしょうか」と緊張しながら依 頼の言葉を述べた。 「いやあ、それは構わないけど。でも、所属の課長とか上司にやって貰った方がいいんじ ゃないか。今まで私も多くの後輩の結婚式に出てきたが、たいてい直属の職場の偉い人に 仲人をやって貰っているケースが多かった。自分の将来の人事を考えて、人間関係がなく ても職場の役職の高い人に仲人をして貰っておけば、何かメリットがあるからね。私ごと き(当時は老人保健課の総括課長補佐だった)より、そのほうがいいんじゃないか?」 すると彼はきっぱりと、「いや、彼女とも話しましたが、先輩の東井さんにお願いしたい のです」と頭を下げた。 「・・・・」 私は、少し考えてから「わかった!私どもで良かったら、やらしていただくよ」と言って、 彼の手を握った。 S君はようやくほっとした表情で笑顔を見せた。 S君のメールが来る2日前、どう思ったか、S君の近況が気になって職場に電話をした。 そして、毎日を元気に過ごしている様子や、来年定年退職を迎えることなどを聞いたばか りだった。 私はメールを読んで「もう25年もたったのか。今日の6月10日が銀婚式だったか!」 と深い感慨に浸った。 慌てて机の書類箱に収めてある「能率手帳」の束の中から、1995年(平成7年)の黒 表紙の手帳を取り出し、6月10日(土)の欄を確認してみた。 そこには「S君挙式。於ホテル東京。12時25分・ホテル入り口右手の婚礼部。13時 55分・結婚式。14時55分・披露宴」と記してあった。 このブラック・インキの万年筆で書かれた文字を、しばし眺めていると、厳かな雰囲気の 中に、ほのぼのとした雰囲気が漂っていた結婚式の日の様子が、まざまざと蘇ってきた。 それは月並みな表現だが、ほんの十年ほど前の出来事だったような気がしてならなかった。 あれから、早や25年の歳月が流れたのだ。 「そういえば今日は時の記念日だ。彼が今の時と、今までの時の流れをを知らせてくれた みたいだ」 そう思った。 私は、改めて今までの能率手帳を整理してみた。 一番古い手帳は、1975年(昭和50年)版だった。 私が結婚したのは、その前年の1974年(昭和49年)10月。27歳になった時だっ たから、心機一転、来るべき年から手帳でもつけようと考えたのだろう。 あれから45年の歳月が流れ、手帳も46冊目になった。 その1冊1冊には、その年その日の主な「生活」が記されている。 時が流れるとともに、振り返ればそこには自分の歩んできた道ができ、色々な生活の足跡 という想い出が残されている。 「時は命。時は生活(生存して活動すること)」 自分の時を刻むことは、自分の人生を刻んでいくこと。 だから、漫然と時をやり過ごすことは、無駄に命を捨てているようなもの。 たった一度の二度とない人生なのに、勿体ない・・・・。 私は、そう考えるのです。 あと4年後の2024年(令和6年)に、私が順調に時を刻み命を刻んでいたら、金婚式 を迎える ことになります。 その時は、ホテル東京でS君夫妻でも呼んで、内輪の食事会でもしてみようか。 そんなことをふっと想像してみた、2020年の時の記念日でした。 それでは良い週末を。 |