7月1日(1)
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前回のエッセイで、ある精神・神経科医師の作家が「私は人生を最も価値あるものにする 言葉は『ありがとう』だと思っています」と自著に書いていた部分を引用し、「私も同感 である」と述べました。 人に少しでも何かをして貰ったら「ありがとう」と素直に感謝の言葉を言うこと。 日常生活において少しでも嬉しいと感じた時は、「ありがたいな・・」と呟くこと。 無事に一日が終わって床についたら、天井を見上げながら「神様、ご先祖様ありがとうご ざいました」と、心の中で感謝の言葉を述べてから寝ること。 こうした行為が自然にとれるように、日々努力しながら生きていきたいものだ・・・・と。 でも、どうというほどのことではないのですが、なかなかそうはいかないのが凡人たる所 以(ゆえん)か、と自省する日が多々なのです。 同じ「ありがとう」でも、これが人に言って貰った場合は別物。 嬉しくていつまでも忘れないものです(私の場合ですが)。 以前のエッセイでも書きましたが、中学1年の年度末に早朝の新聞配達をしていたとき、 郵便ポストの前で家のお姉さんに「ありがとう。ごくろうさま」と感謝の言葉で微笑んで くれたことや、高校時代に小学生の男の子の家庭教師(算数と国語)をしていたのですが、 1学期と2学期の通信簿の評価が上がり(2→3→4)、その都度、ご両親から何度も感 謝の言葉を受けたことなどは、あれから何十年たった今でも、鮮明に脳裏に残っているの です。 また、私が小学生から中学生の頃は、6人の子供の子育てや家事などで疲れ切った母親か ら、夕食の片づけが終った後に、いつも肩もみを頼まれて揉んでいました。 初めは「なんで僕(注・次男だった)ばかり頼むんだよ!」とブツブツ文句を言いながら、 母親の肉づきの良い大きな肩と背中を揉むのですが、「トモヒトの手が一番効くのよ。そ う、そこを強く押して」などと言われるので、むくれながらも段々と気合が入り、20分 ほどたって私の額から汗が滲み出るころ、「ああ、軽くなった。ありがとう。やっぱりお 前が一番うまいよ」と晴れ晴れとした顔をして礼を言ってくれるので、何となくすっきり とした気分になっていたのです。 やはり親子といえど、親から「ありがとう」と言われると、子供心に満足感が湧くもので す。 そうした体験から、私が大人になり、結婚して3児の親になってから、「子供の頃は贅沢 をさせない。我がままを言わせない。家の手伝いをさせる。そして、良いところは褒める。 感謝する」ことが我が家の子育ての基本となりました。 時と場面が変わり。 時は、3日前の6月28日の日曜日、午前10時過ぎ。 場所は、品川区西五反田の「桐ケ谷斎場」。 私の長年の知人だった、寺岡さん(享年80歳)の内内の「お別れ式」でした。 会場の参列者は家族葬で50名ほど。 「無宗教葬」の儀式。 私は、故人が大好きだったショパン曲が静かに流れる中、バラなどの明るい花々で飾られ た祭壇の前に立ち、しばし遺影を見つめてから、白いバラの一輪を献花し、深く一礼して 踵を返しました。 そして、最前列のご遺族にお辞儀をしたとき、隣の娘さんに支えられながら奥様が立ち上 がられ、私に一歩近寄り、「東井さん、色々とありがとうございました・・・」とマスク を通しながらも、しっかりしたお声で、お礼を述べてくれたのです。 この「ありがとうございました」のお言葉。 私にとっては、これも終生忘れられない言葉になるでしょう。 これを書いているのは、2020年7月1日(水)。 今日は、寺岡氏の満81歳の誕生日のはずだったのです(ちょうど今日から1週間前の6 月24日に、80歳でご逝去)。 長くなりましたので、続きは次回にでも。 それでは良い週末を。 |