赤 と ん ぼ
|
今週の日曜日(23日)の午後に、いっとき激しい雨が降った。 今夏も、日本列島の各地で「猛暑日」(気温35度以上)が続いている。 時には40度を超える最高気温を記録したところもあった。 それが、東京ではこの日曜日の午後の驟雨で、すとんと気温が下がった。 といっても、37度から34度程度に落ちただけだが、体感温度は久しぶりに30度を下 回ったぐらいに感じられた。 陽が落ちると、昔の東京の夕暮れの街(当時は、どこの家にも大なり小なりの庭があり、 色々な庭木が植わった平屋か二階建ての家々からなる、静かな街)が蘇ったような、懐か しい空気に満たされた。涼やかな夕風がコンクリートとモルタルの家々を、爽やかに吹き 抜けていたのだ。 夕食前に、室内温度を28度に設定してあるクーラーを、一度止めてみた。 夕食後に戻って見ると、室内は30度だった。 以前は、32〜3度に上がっていたから、やはり少しは気温が下がってきたことが実感さ れた。 私の二階の部屋は、南西の角部屋なので強い陽射しをもろに一日中浴びている。 それで、夏の初めには、外窓の一面に風通しの良い厚手の麻のカーテンをぶら下げてブラ インドにしているのだが、さして断熱効果はない。 それほどに、近年の射光は強烈になったようだ。 だから、帰宅すると素早く部屋に飛び込み、クーラーのスイッチを入れる。 行動がもたもたしていると、すぐに汗が顔に滴ってくる。 温度計を見ると室内は38度。 ここで長湯はしたくない。 そこで、本棚に置いてあるお湯になったミネラルウオーターのボトルを持つて、下に降り る。 これが最近の帰宅後のルーチンに。今年で3年目だから、地球温暖化による気温上昇は、 大袈裟に表現すれば、この数年で毎年等差級数的に上がってきたと痛感させられる。 そうした異常気温が日常になってしまった灼熱の季節も、どうやら今週に入ってから「秋 モード」に切り替えられるようになったようだ。 二階の南西側の窓ガラスを開けると、向かいは隣のマンションの裏地の庭。 その上空を見上げる。遥かに西に続く大空。沈む夕日に陰った藍色の雲が、南西から西北 に流れ、そのさらに上には、白い筋雲が青い空に跳ね上がっている。 その二つの雲間には、茜色に染まり始めた水色の空が、美しく輝いている。 視線を隣地の緑の庭に移すと、夕風のそよぎに乗りながら、数匹の赤とんぼが気持よさそ うに飛び交い、どこからか、ヒグラシの「カナカナ・・・」となく音が聞こえてくる。 「今年も、秋がそこまでやって来たのか・・」 思わず、そう口に出したい気分になった。 私は、赤とんぼが飛び始める頃の、夏の終りの季節が一番好き。 晩夏。初秋。 その夕暮れ時は、1年中で最も期待と憂いがこみ上げてくる時間。 小さい頃は、目黒の家の縁側に座り、大きな椎の木や杉の木やモッコクなどに囲まれた広 い庭先を、ツンツンと方向を変えて飛び交う赤とんぼや、薄いブルーから茜色に暮れなず んでいく大空を、いつまでも眺めていた。 生まれて初めて、「生きていくこと」を真剣に考え始めた年頃だった。 その頃のことを思い浮かべながら、いま、世田谷のマンションや戸建てが密集した地上か ら西空を眺めていると、思わず唱歌の「赤とんぼ」の歌が脳裏に流れてくるのです。 「♪夕焼け小焼けの 赤とんぼ 負(お)われてみたのは いつの日か 山の畑の 桑の実を 小篭につんだは 幻か 十五で姐(ねえ)やは 嫁にゆき お里のたよりも たえはてた・・・」 ここの「負われて」を、私は最近まで「追われて」と思い違いをしていました。 気が付いたのは、篠笛の個人レッスンを受け始め、頂いた譜面を見てから。 この歌詞は、作者の三木露風氏の幼い頃の経験を歌ったものとのこと。 家事奉公の少女(姐や)の背中におんぶされながら見た、故郷の夕暮れ時に舞う赤とんぼ の風景。その時の姐やは15の時に嫁に行き、姐やからの便りも故郷の様子も、みな絶え てしまった。そして大人になった今、夕焼け空の下で竿の先にとまっている赤とんぼを眺 めていると、歳月の流れの無常さと共に、あの頃の優しかった姐やと故郷の情景がしみじ みと蘇ってくる。 そんな心情が、平易な表現から伝わってくる名唱歌。 それなのに、私は「作者が子供の頃、厳しい義父母に怒られて家を追われてしまい、行く 当てもなく悄然として佇んでいる時に眺めた、夕暮れ時の心象風景を歌ったもの」と思っ ていたのです。 15歳の姐やの背中に「負われて見たのはいつの日か」と歌った作者は、赤とんぼの記憶 が残っていることからして、物心が少しつき始めた2〜4歳の頃の話でしょうか。 そんなことを想像している私の目の前を、2020年晩夏の東京の赤とんぼは、今ひとと きの生を惜しむように、傾いてきた西日を浴びながら無心に飛び続けているようです。 いつか私も、「新型コロナやらで、何ヶ月も夜の居酒屋に通わなくなり、何ヶ月も都外へ の旅行をしなくなり、仲間とカラオケで歌いまくることも絶えてしまったあの頃は、はた して幻だったのだろうか・・・?」 そんな風に追憶することが、果たしてあるのだろうか。 かってのゼロ戦(太平洋戦争時の日本海軍の戦闘機)が「赤とんぼ」と呼ばれ、次から次 へと遠洋に飛んでは散華として消えて行ったが、そうした歴史の事実も「そんなことは、 幻じゃないの」という国民が多数を占める社会になる前に、そろそろ旅に出て、見知らぬ 街の見知らぬ居酒屋で、ぬる燗の地酒でも静かに飲むことにしましょう。 そして、裏通りのスナックにでも入り、見知らぬママさんを相手に、赤とんぼの歌をカラ オケで歌うことにしましょう。 私がとまるのは、竿の先ではなく、バーのカウンターの片隅。 それでは良い週末を。 |