東井朝仁 随想録
「良い週末を」

48年前の原点  
ここに色あせたガリ版刷りのB4サイズのビラがあります。
私が厚生省環境衛生局企画課に在職していた、1973年7月。
25歳の夏。
その頃に、私が一人で文章を書き、ガリ版で筆耕印刷し、霞が関の厚生省本省の
約2200名の職員に配付した「一人新聞」です。
先日、この黄ばんで端が破けている、わら半紙のビラ新聞を見つけ、久し振りに読み返し
てみました。
そこにはまぎれもない、今から48年前の私の社会人として、いや人間として生きていく
上での、私の原初的な理念の一端がありました。
いま振り返ると、「あの上下の位階秩序が貫徹した、国家権力の中枢である巨大官僚組織
の中で、それも統計調査部という現業的な職場から異動してきたばかりの青二才の一係員
が、よくこのような行動をとれたものだ」と、今更ながら驚き、苦笑しました。

だが、当時は「みんな、良く黙って劣悪な労働条件や不当な人事格差に我慢していられる
な。おかしいと思わないのだろうか。なぜ労働組合も強く声を上げないのか?!そもそも
なぜ多くの職員は組合にも入らないのか?」と、異様な本省の職場状況に深い憤りを感じ
ていました。
まさに若き者の特権でもある、「意気」に燃えていたのでしょう。

ビラ新聞は1号(1973年7月13日付)から5号(1973年9月4日付)までの発
行で、ひと夏の経験でした。
新聞の題名は「明日へ!」
題字の下に「文責・東井朝仁」と明記。
(匿名だと怪文書的に思われるのが嫌で、堂々と所在を表記しておくべきと思ったのです。
国家公務員法や就業規則に違反しているのなら、どうぞご自由に処分を。いざとなれば退
職すればいいと、腹をくくっていました)
表面と裏面に、それぞれ大きな字で見出しをつけています。
参考までに見出しを列記してみると。
1号→「沈黙に救いはない!/厚生本省の片隅から」
2号→「役人にとって、それほど沈黙は金なのか?!/厚生本省には、ヒラメが多いって?」
3号→「時よとまれ、君はまだ青春だ!/事務屋の呼称は何を意味する?!」
4号→「雨が上がって、君は虹を見たか?/これは組合の問題以前、良識の問題だ!」
5号→「さあ、明日へ!連帯の確かな一歩を!/職場民主主義を確立しよう!」

このビラ新聞を、本省の全職場(全部局)を回り、各職員の机上に配付したのですが、労
働組合の機関紙ではないので、私一人で昼休みに行いました。
組合員の私は組合の親しい役員たちにも声がけして配付を依頼しましたが、誰にも体よく
断られ、「仕方ないですね」と、独りで昼休みに各職場を回って配っていました。
そのうち、友人の男性と、政務次官(当時「牛若丸」との異名でやり手だった山口敏夫代
議士)付きの女性が手伝ってくれました(ちなみにその女性は、のちの私の配偶者)
このビラ新聞は週刊誌の「サンデー毎日」に特集で掲載されたりし、私も「当局」から本
意を聞かれたりしましたが、目的はピュアで「労働条件の改善」これだけしかありません。
人事課のノンキャリの担当官も「私も主旨には同感だが、立場上・・」と。
でも不思議と陰湿な嫌がらせはありませんでした。
そうした今から48年前の懐かしい青春の1ページを、このペラペラの一枚の半紙が思い
起こしてくれたのです。

いま、新型コロナ禍で日本という国は大きく変貌してきています。
社会は誰もが外向きから内向きに、発言から沈黙に、連帯から分断に変化してきているよ
うに見えます。今までもそうだった「羊の様におとなしい」国民が、さらに空気を読み、
忖度し、自我を出さず、長いものには巻かれ、強いものには弱く弱い者には強く、無関心
・無気力・無作為・無感動の自己中心主義を蔓延させていくのでしょうか。
そんな社会の状況下で違和感があるかもしれませんが、「そうだよね」と感じてくれる人
が今でもいることを少しは期待し、懐かしくも意気に燃えていた季節の追憶として、第1
号の拙文を再掲してみます。
ご笑覧ください。
それでは良い週末を。

『沈黙に救いはない!

また、夏がやって来た。日比谷公園の深緑の森は、今夜も一枚の版画を見るように、静と
して佇んでいる。
時折り、職場の窓から吹き込む湿潤の夜風は、それでも冷房が止まって蒸し暑いこの部屋
にあっては、少しは心地よく感じられてくる。
今夜も国会待機。みんな思い思いに席につき、それぞれの役割ごとに慌ただしく動き回り、
部屋の中には夜に至っての疲労感と弛緩したまどろみが押し寄せる反面、この臨場を乗り
切らんとする、張り詰めた雰囲気も漂っている。
しかし、僕(達)は、国会答弁の原稿の写し書きか、リコピー取りか、それとも課員全員の
夜食を注文して配膳したり。
各スペシャリスト達の執務に配慮を配り、フォローの雑務を組み立てていかねばならない、
「とっても大切」な役割を遂行する為に、ぬかりなく耳を澄ませながら新聞を広げている
のだ。
隣の課から、付き合い残業の連中の麻雀の牌の音が聞こえてくる。
「早く帰りてえな・・・」私は内心で呟く。毎晩こうなのだ。
それは、誰もみんな早く帰りたくないものはいないのだ。
帰る先には、一家団欒を待つ妻子が、いつ来るやもしれぬ待ち人を待つ恋人が、あるいは
飲み友達が、そして一日の勤務から解き放たれた自己の時間が待っているだろう。
だが、国民の生活を守り、健康で明るい豊かな福祉社会を築くために「今日も活躍する」
厚生省には、どの部局も夏の夜の暗闇の中に、今夜も煌々と窓明かりをともさねばならな
い「事情」があるらしい・・・。

また、夏がやって来た。
25歳、7−4号俸、中級職の「一般事務屋」。たいした給料もとれず、たいした仕事も
していない平職員の僕だから、せめて原稿の写し書きでも一生懸命にやらせて貰おう。そ
れが今、僕に要請された任務なのだ。
そしてそれが、今まさに僕が「明日へ!」を書き始める原点となろうから。

私事で恐縮だが、僕は、この4月1日に統計調査部から「厚生本省」に配転してきた。環
境と労働条件の大きな違いは、予想していた通りのものだった。
しかし、予想とはるかに食い違うものがあった。端的に言うならば、それは職場に働く者
の顔つきや態度に、晴れ晴れとした生気が、とりわけ青年のそれには楽観的な覇気が全く
感じられない事なのだ。
その判断は、僕が未だ本省の全ての情況を熟知していない不適切な決めつけかも知れぬ。
しかし、それを何といおうとも、実感として本省の職場にはフォーマル(公的・職場的)な、
あるいはインフォーマル(私的・仲間的)な同一感、連帯感が全く感じられないのだ。
口の利き方と物腰ばかり大人びていて、一体何を考えているのか不可解な若者、やたら物
知り顔で鷹揚な職制たち、疲れ切って魅力が出し切れていない女性陣・・・・。それでい
て手前の思惑ばかり「優秀」で、例えば組合の地道な活動に軽薄な一瞥しか投げられぬ者
等々。こう書くといささか辛らつだが、要は、「明るく働き甲斐のある職場」とは言い切
れない、一種名状しがたい忙しさと、苛立ちと、上昇志向と、諦めに混濁した雰囲気に毒
され、逆説的に言えば、そうした職場の雰囲気を自らが形成しているということなのだ!

しかし!誰もかれもみんな、一人一人、個人個人の立場に戻ると非常にいい人ばかりなの
だ。
だが、そうはさせぬ職場情況が彼等彼女らを支配し、「仕方がない・・・」という受忍→
現状是認の諦念に追いやっているのではないだろうか。
しからば、その職場情況を醸成するファクターは、一体何なのだろうか。
まさにそうした問題提起を基調として、「明日へ!」という極めて独断のそしり免れ得な
いだろうビラ新聞を、ここに作成配付するのである。
(何人かの厚生本省の劣悪な労働条件に対する声を掲載しているが、略します)

タバコに火をつける。紫煙をゆっくり吐き出し、ふっと職場の壁時計を見る。
夜の11時半を過ぎている。
今日もあと少しで終わりだ。
明日もまた、厚生本省という名の職場で、多くの職員がそれぞれの思いを抱いて仕事につ
いていくのだ。口でこそ言わないが、誰もかれもが「今日一日が良い日であるように」願
いながら。
しかし、みんなが願いながらも、そうはいかない現実が僕らを取り囲んでいることも事実
なのだ!
だが・・「沈黙から救いは生まれない」

いつかこの走り書きをガリ刷りして、厚生本省の片隅から出していこう。
たった一人でもいいから職場に配って行こう。
「何のタワゴトを言っているんだ!」と言われるかもしれぬ。
また、いわゆる「当局」の人から「こんなたぐいのビラは、共産党か宗教団体とかの組織
の連中が、不満を造成させるために出したのかもしれない」などと、アナログ(時代錯誤)
的な詮索をするだろう。
それはそれでいい。
だがしかし、それで厚生本省に働く2000名職員の腹の中にくすぶる「本音」を把握し
「不満」をクリアしたことには、絶対にならないのだ!

この「明日へ!」は、何回かで終了するやもしれない。
けれど可能な限り、職場にわだかまる「本音」を、声なき声を捉えて問題提起をしていき
たい。
まさに、私達の「明日へ」向かって!』

(欄外の書き込み:ガリ刷り印刷の段階で、僕の古巣・統計の友人N君に手伝って貰った。
これから遅くなった夜道を、二人とも黙って帰るだろう。
一人でも多くの職場の人に読んで貰いたい祈りを込めながら・・・)