東井朝仁 随想録
「良い週末を」

ファイト(5)
今回は、前回までの「読書」(story)に続く2番目のS、映画(screen)についての話。

私が劇場用映画というものを初めて観たのは、昭和30年代前半の頃の、東映の時代劇映
画だった。当時は小学生高学年で、兄(私より3歳年上)と隣の家の昌ちゃん(私より2
歳年上)と連れ立って、目黒駅近くの飲み屋街の裏手にある三番館(新作映画を、封切期
間の次の次の期間に上映する映画館)に観に行った。
今から思うと小さな映画館だったが、初めて入る館内は子供の目には「これが映画館!」
と驚くほど広く感じた。
当時の入場料は確か50円ほどだった(注・1957年・昭和32年当時のかけ蕎麦や食
パン1斤が30円、珈琲が50円、封切映画が150円のころ)。

観賞した上映作品は、当時売り出し中の東千代之介や中村錦之助や大川橋蔵といった、東
映の若きスターが主演の、チャンバラ映画の3本立てだった。
その後、美空ひばりが主演する映画も観たが、当時のおしゃまな美空ひばりが劇中で歌う
主題歌「花笠道中」のシーンは、今でも忘れられない。が、当時の映画は、小学生の私に
は面白くはなかった。
この映画館に入ったのは3回。その後は中学を卒業するまで、街の映画館に自分で行くこ
とはなかった。
その代わり、中学校の課外授業の一環として、目黒駅近くの目黒通り沿いにオープンした
東宝の近代的な映画館に、同学年の生徒全員で、学校から長い道のりを先生に引率されて
観に行ったことがあった。
その映画は、私が中学2年生の頃だったと思うが、「名もなく貧しく美しく」(主演、高
峰秀子・小林桂樹)という、終戦直後の社会で、貧困と差別に負けずに健気(けなげ)に
生きる聾唖者夫婦の物語。子供心に感動した映画だった。その他「喜びも悲しみも幾年月」
という、やはり高峰秀子が佐田啓二(俳優・中井貴一の父)と灯台守の夫婦を演じた映画
や、「路傍の石」も観たような記憶がある。
また小学校時代は、夏休みの夕方に小学校校庭を会場に、校舎の白い壁をスクリーンにし
て映写機で映写する「映画会」が、学校とPTA主催で開かれていた。私は兄弟や近所の
友達と連れ立って、校庭に敷く新聞紙や茣蓙(ござ)を片手に観に行った。
映画は「にゃんちゃん」「綴り方教室」など、文部省が推薦するような作品ばかりで、ど
れも身につまされる重い話だったが、観終わると何となく「僕も頑張らなくては・・」と
いう気になって、星が瞬く暗い夜道を、無言で帰って行ったこともあった。

これらの、セピア色に変色して記憶から消えてゆく幼い頃の映画はさておき、物心がつい
て映画の面白さを本当に知らされたのは、高校(奈良県の天理高校)2年の時。
大阪の映画館で観た、西部劇の「シェーン」(主演、アランラッド)だった。
この映画を観ることが出来たのは、従兄の先輩が大阪の上本町の映画館まで、近鉄に乗っ
て連れて行ってくれたからである。大阪の街に行ったこと自体も、この時が初めてであっ
た。
映画の主演は、西部劇には場違いの様な理知的な優男の俳優・アランラッド。どこかに流
れ者の憂いを秘めたシェーンを演じる、アランラットの甘いマスクとクールな演技。そし
て鋭いガンさばきには胸がときめいた。
特に最後の、ならず者一家との決闘シーン。
旅の途中で世話になった、広い草原にぽつんと佇む開拓者一家。そこの自分になついてい
る子供と、武骨だが正直で正義感の強い夫、そして密かにシェーンに好意を抱き、シェー
ンもほのかな愛情を抱いている美しい妻。その愛すべき開拓者の一家をならず者から守る
ため、ある日決然として、シェーンは「流れ者の私には、かかわりがない・・・」と立ち
去るそぶりをしながら、一人馬にまたがって街に出てゆく。
その後を必死で走りながら追う、子供のジョーイ。
街の酒場では、ならず者一家が雇った悪名高い殺し屋(凄みのあるジャック・パランスが
好演)を筆頭に、こわもての連中が待ち構えていた。
しかし、シェーンは素早いガンさばきで、敵を次々と殺し、最後に不敵な冷笑を浮かべて
出てきた殺し屋さえも、瞬きよりも早いガンさばきで撃ちたおし、何事もなかったかのよ
うに馬にまたがる。
陰でかたずを飲んで見ていたジョーイはシェーンに駆け寄り、「シェーン、一緒に帰ろう」
と懇願するが。
「だめだ。早く家へ帰って、強くたくましい男になれ」
涙ぐむジョーイの頭を優しく撫でながら「パパとママを大事にするんだ」と言って、シェ
ーンは静かに去っていく。
その後姿に向かって、そばかす顔のジョーイは何度も叫ぶ。
「シェーン、パパは頼りにしてるって!」
「ママだって同じだよ!・・本当だよ!」
「シェーン!」
しかし、振り向きもせずに、朝ぼらけの平原をどんどん遠ざかっていくシェーン。
その小さくなっていく後姿を、いつまでも見つめながら叫ぶジョーイ。
「シェ〜ン!、カムバ〜ク!!」
その澄んだ声は遥かな山並みにこだまし、シェーンの姿と主題歌「遥かなる山の呼び声」
のメロデイーとともに、消えてゆく。

16歳で観た「シェーン」は、73歳になる今でも心に残る、私が今までで観た夥しい数
の映画の中の、ベスト10の一つともいえる忘れがたい作品だ。

ベスト10と述べたが、これは「良かった!」という感覚からであって、正直の話、名作
かどうかはわからない。邦画・洋画を問わずに、どれがベスト10かを選定するのは極め
て難しい。
断言できることは、好きな俳優が主演した映画の殆どが好き、ということ。その中で順位
をつけることは容易。
主演者が良いと脇役も裏方も生き、監督の意匠も表現しやすくなる。結果、良い作品が出
来上がる。私はそう思っている。男女を問わず大好きな俳優の演技には、観る者の心も俳
優の演技に自然に同化し、感化され、名状しがたい感動が湧いてくるのだろう。

そこで私の大好きな俳優を二人。

邦画では、三船敏郎(1920年〜1997年。77歳没)。
私の印象では、豪快、真剣(まじめ・本気)、温情、繊細、信念、そして強靭・・・。
それぞれの言葉に「〇〇な(の)人」をつけて表現しても、全て適切な俳優だと、私は感
じている。
彼の主な作品は多くの人が知るところであり私も同様だが、特に好きな作品を上げるとし
たら「羅生門」「用心棒」「椿三十郎」「赤ひげ」などの時代劇がいい。だがそれよりも
私は「酔いどれ天使」「野良犬」「無法松の一生」「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」
などの現代劇(?)が好きだ。
また、黒澤明監督が撮ったこれらの作品以外でも、三船プロダクションを創設し、石原裕
次郎と制作・共演した「黒部の太陽」やテレビドラマに進出しての「荒野の素浪人」など
も面白い。
東映では「日本の首領」で、敵方のドン・佐分利信と双肩したドン・三船敏郎もオーラが
出ていた。
また、森繁久彌の「サラリーマン社長シリーズ」に、森繁社長の会社経営を支援する先輩
役として出演。
「ちゃんとやっていますか?!」と、野太い声。
「はあ・・」
「今日はなんだい?金策の相談か?最近は夜遊びが過ぎる評判だが・・」
「はあ・・いえ・・」と、金策に来た天下の森繁社長が何も言えずにしどろもどろになる
シーンは、クスリと笑ってしまう。
背広をピシっと着た、ポーマードで頭髪を固めたオールバックの三船は、とてつもなく格
好いい。刑事役でも車夫でも町医者でも、その役に100%なり切りながらも、どこか毅
然としている風情がいい。
まさに大スター。

・その森繁の三船評。
「スターと呼ばれる人は数々いるけれど、僕たちの思うスターは、三船だね」
他に。
・黒澤明監督「めったに俳優には惚れない私も、三船にはまいった」
・橋本忍(脚本家)「一言で言えば存在感のある人である。三船ほどの人に会ったことが
無い」
・美輪明宏(歌手・タレント)「日本の映画評論家やジャーナリストのほとんどが、三船
さんは黒澤明監督の映画に出演したおかげで「世界のミフネ」になったと思っているよう
ですが、それは大きな間違いです。本当は「世界のミフネ」がいたから、黒澤監督は「世
界のクロサワ」になれたのです。三船さんは整った顔立ちをした美男子で、存在感、バイ
タリテイーがあり、さらにインテリジェンス、繊細さもありました。あの鋭い眼光、野太
い声も魅力的でした」

そして。ハリウッドを代表する大スターであり、名監督のクリント・イーストウッドの出
世作・代表作「荒野の用心棒」は、まさに三船の「用心棒」のリメイクであり、彼は三船
の演技に大きな影響を受け、三船を尊敬していたと言われている。
そのクリント・イーストウッドが、洋画を代表する私の大好きな俳優の一人。

クリント・イーストウッドは、1930年5月生まれ。
今年で91歳になる。
彼の今までの主演映画は、優に50を超えている。
そして40以上の作品の監督をしてきた(製作や音楽担当も行う。
彼はジャズやカントリーソングなどにも精通)素晴らしい才能と行動力の持ち主。
劇場映画以外にも、テレビドラマ「ローハイド」(1959〜1965年)などに出演して
きた。
そんな中で、私がクリント・イーストウッドのフアンになったのは、彼の出世作「荒野の
用心棒」を観てから。
前述したように、その起承転結が見事なストーリー、寡黙でクールな主人公の性格、弱き
を助け強気をくじく「勧善懲悪」のヒーローは、まさに三船敏郎とその作品に酷似
50以上ある彼の主演作から、幾つか私の好きな作品を順不同で思いつくままに選ぶとす
ると。

「荒野の用心棒」(1964年)、「ダーテイハリー(1)〜(5)」(1971、
1973、1976、1983、1988年)。
そして監督兼主演をした「アイガー・サンクション」(1975年)、「アウトロー」
(1976年)、「ペイルライダー」(1985年)「マディソン郡の橋」(1995年
・共演メリル・ストリープ)、「グラン・トリノ」(2008年)。
さらに、アカデミー監督賞と作品賞に輝いた「許されざる者」(1992年)と「ミリオ
ンダラー・ベイビー」(2004年)。
また、彼が82歳の時の「人生の特等席」(2012年)と、88歳の時の「運び屋」
(2018年)も、年齢を感じさせない、奇跡的としか言いようのない佳作である。

「ダーテイ・ハリ―」のワン・シーン。
ハリ―・キャラハン刑事(クリント)が、殺人現場で無残な死体を一瞥し、すぐに無言で
立ち去ろうとする。すると上司の一人が。
「やる気をなくしたんじゃあるまいな」と。
「そうじゃない。毎日ある殺しも、老人から年金を強奪する事件も、校内暴力も気になら
ん。平気だよ!」
「まあ、落ち着け」
「犯罪が増える一方で、社会には無関心と腐敗と官僚主義がのさばっている。だけどそれ
も平気さ。我慢ならないのは、俺たちだけ頑張っても駄目だという現実さ」

ある日、強盗殺人事件が発生し、現場では女性を人質にして逃げようとする殺人犯を、警
官や市民が呆然と見ている中、ハリーは平然と近づいていく。
「女性を放せ」
「お前も殺すぞ」
「拳銃を捨てろ」
犯人が女性の首から少し拳銃を離した瞬間、ハリーは犯人を的確に射殺して、女性を解放。
すると翌日。サンフランシスコ市警の上司と市長に呼ばれたハリーに市長が。
「マスコミが騒いでいる。警察は人殺しをするのかと。もうちょっと何とかならないのか、
ハリー!君は去年も街で人を拳銃で殺している」
黙って部屋を去るとき、ハリーは一言。
「男が女を追い詰めて強姦しかけていたんですよ。殺して悪いですか」
「強姦未遂と説明できるのか」
「裸の男がナイフを手に女を追っかけてりゃ・・。
まさか、共同募金の依頼をしていたとでも、言うんですか」
苦々しく黙る市長を後に、ハリーは去っていく。

クリント・イーストウッドは共和党の支持者。
しかし、トランプ・前アメリカ大統領を批判していた。
まだ、ハリーは健在なのか。

好きな俳優と好きな映画は、突き詰めると前述の二人。
しかし、何度も観る映画は他にも。
まず、山崎豊子原作の「白い巨塔」「不毛地帯」「華麗なる一族」
そして「沈まぬ太陽」。これらは新旧の映画や連続テレビドラマで、何回も観ている鉄板。
高倉健の「あうん」「冬の華」「居酒屋兆治」。
小津安二郎の全作品。「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋刀魚の味」等々。
それに前述の森繁久彌の「社長シリーズ」、加山雄三の「若大将シリーズ」、勝新太郎
「兵隊ヤクザ」「仁義なき戦い」の各全巻。
テレビドラマでは八千草薫と竹脇無我主演の「岸辺のアルバム」、松原智恵子主演の
「ある日わたしは」。森繁久彌の「だいこんの花」等々。

今年になって観た(観ている)DVD映画は。
・教場(木村拓哉)
・SP革命篇(堤真一・岡田准一)
・サンセット大通り(ウイリアム・ホールデン)
・祈りの幕が下りる時(阿部寛)
・グリーンブック ・ダイヤモンドは永遠に(ショーンコネリー)
・散り椿(岡田准一)

そして、私の好きだった青春映画は。
・めぐり逢い(酒井和歌子・黒沢年男)
・若者たち(全3巻)(田中邦衛・山本圭)
・追憶(ロバート・レッドフォード、バーブラ・ストライサンド)
・昼下がりの情事(オードリ・ヘップバーン)
・旅情(キャサリン・ヘップバーン)
これらの映画は、主題歌も絶品。
映画を観ながらテーマミュージックを聴いていると、心の中にじわりと「ファイト」が湧
いてきます。

映画は文学、写真、演劇、音楽の総合芸術。
何よりも視覚と聴覚を通して心に響く、一大娯楽。
コロナ自粛の生活の中でも、あるいはコロナが終息し、AIが進み、人々がロボットのよ
うに画一的になった管理社会の日常が訪れても、私は6畳の自室で、ゆっくりと珈琲を飲
みながら映画を観て、はるかな昔と来る季節に思いを馳せていくでしょう。

この続きは次回にでも。
それでは良い週末を。