東井朝仁 随想録
「良い週末を」

ファイト(6)
今回は、私の今までの人生において、欠かすことのない好きな3S(読書・映画・歌)
のうち、Song・歌について述べます。

歌は、小学生の頃から今日まで、大好きなことの一つ。
歌う(sing)ことも,聴くことも。さらに、好きな歌を楽器を使って演奏もしたいが、こ
ちらは残念ながらやっていない。せいぜい邦楽の篠笛のレッスンを月1回受けているだ
け。だがそれでも、篠笛を使って味わい深い歌曲を上手く吹けた時の快感は、大きい。
今回の主題は歌(song)を聴くこと。

私にとって歌は、日常生活に、いや極論すれば人生における必要不可欠なものの一つに
なっている。
人の趣味や好みは様々だが、私にとって歌のない日常は考えられない。
今まで述べてきた読書や映画より、歌は手軽に楽しめる最強のSではなかろうか。
特に現在では、歩きながらでも、電車の中でも、店の中でも、混雑する群衆の中でも、
時間が無くても、スマホのイヤホーンを耳に当てれば歌を聴ける。それも5分ほどあれ
ば1曲は聴ける。
私にとってこれは大きい。

話が少しずれるが。
私は、自宅ではCDをステレオ装置で聴いている。あるいはノート・パソコンを開いて
YouTubeで動画と共に視聴することもある。
結婚前は、当時人気だったパイオニア(その前はトリオ)の大型ステレオで聴いていた。
大きなスピーカー2つとサブの小さなスピーカー2つの4チャネル。ボーナスをはたい
て購入。母屋の応接室に置き、大音量で聴いていたが、高低音のきれいな音と迫力に魅
了されていた。
結婚後は住宅事情からこれを手放し、スピーカーやチューナーが一体化した小さなシス
テムコンポやCDラジカセ、そして、現在はCD専用の可愛らしい50センチ幅ほどの
音響装置「BOSE」で聴いている。
ステレオ(stereo)も、本来、音楽に付随した無くてはならないSなのだが、最早、50
年前のあの迫力ある大型ステレオの再現は不可能。(現在のスピーカーは小型でも、昔の
大型ステレオを凌駕する音量・音質と言われているが、私にはそうは感じられないが)
仕方なくスマホ(smartphone)のSを多用しているが、前述のようにこれはこれで、今や
歌を楽しむための必需品である。

私が25歳で厚生省本省の原局に勤務していた頃、昼休みになると時々一人で地下鉄・
丸の内線に飛び乗り、霞が関から四谷に出かけていた。目的は、駅から徒歩3分の新宿
通り沿いの、ビルの地下1階にある「ジャズ喫茶・いーぐる」で、ジャズ音楽を聴くこ
と。
当時、のん兵衛に評判の「四谷しんみち通り」界隈で飲んだ帰りに、1人で偶然飛び込
んで見つけた喫茶店だった。
地下に降りる階段の壁には、様々なジャズ・プレーヤーの演奏会のポスターが貼られ、
禁煙の店内はシックな装いで、正面の左右に巨大なスピーカーが設置され、比較的にゆ
ったりした両サイドの壁側のソファと、中間にテーブル席が配置されており、居心地の
良さそうな洒落た雰囲気だった。店内の一角にガラス張りのレコード室があり、大量の
レコード盤が収納され、店長がレコード・プレーヤーの操作や選曲をしていた。
勿論、店内はお喋り禁止。数人いた客はそれぞれ一人で珈琲を飲みながら、ジャス音楽
に聴き入っていた。
私はスピーカー近くの壁側のソファに座って珈琲を飲んだのだが、まず驚いたのは、ス
ピーカーから流れ出る音響の迫力だった。風圧があるとすれば、音響圧もある。次第に
そのジャズ特有のビート音になれてくると、今までに経験したことがない感覚に包まれ
てきた。
腹の奥まで揺さぶられるような音の迫力に身を任せていると、そのビートの効いた耳を
つんざくようなジャズ音楽が、店内には私一人しかいないような、妙に静かな、どこか
寂し気な、それでいて心休まる調べに感じられてきたのだ。
それまで「ジャズ」といったら、高校時代にマッチ箱ほどの大きさの、今なら500円
ほどで買える、簡単な組み立ての「鉱石(ゲルマニウム)ラジオ」で聴いていた、もっぱ
らグレンミラー楽団が演奏するデキシーランド・ジャズだった。
特にジャズのスタンダード・ナンバーである「アメリカン・パトロール」や「茶色の小
瓶」、「インザムード」「ムーンライト・セレナーデ」など。あるいは「聖者の行進」
とか。
それが、「いーぐる」に何回か通ううちに、今までの認識が吹き飛んだ。 グレンミラ
ーのような、いま流行の古関裕而の「マーチ・行進曲」のようなジャズしか知らなかっ
たので、様々な楽器が様々なプレーヤーによって様々な音を、勝手気ままに奏でながら
も、一つのリズムとメロデイーとして自然に融合・調和して、聴く者の心に溶け込んで
いく。それがジャズの魅力なのかと気づかされた。
歌謡曲やポピュラーソングのように、歌詞があり、はっきりした旋律(メロデイ―)が
あり、それをプロの歌手が歌う。そうした歌を聴きなれた者としては、ジャズはわかり
ずらい。しかし、奥深くて面白い。
そうしていつしか、昼休みになると本省の重苦しい無機質の職場から外に出て、昼のひ
と時を「いーぐる」でジャズのシャワーを浴びるのが至福の一服となった。
その時の経験からも、音楽をレコードやCDで聴くには、名歌手・名プレーヤーの歌曲
であることは当然のこととして、優れた音響装置(特にスピーカー)が絶対に不可欠だ、
と痛感していた。
ちなみに、渋谷のクラッシック音楽専門の「名曲喫茶・ライオン」(創業・昭和元年)
も、見事なまでの巨大スピーカーを1階正面の両サイドに配し、「帝都随一の立体音響」
を売りにしているだけあって、古い建物だが2階席まで全館内に響き渡る美しい音は、
荘厳の一言。

話が飛ぶが、7年前(2014年)に本屋で1冊のジャズ本を手に取って驚いた。
それは「ジャズ100年・ジャズ耳養成マガジン」(小学館発行)と題する隔週誌で、
全26巻(CD付き)発売予定の、第1号だった。
その創刊号は「ワルツ・フォー・デビイ、まずピアノトリオから始めよう」と題し、ジ
ャズピアニストの第一人者、ビル・エヴァンスやバド・パウエル、オスカー・ピーター
ソンらの曲が収められ、それぞれわかりやすく解説されているのだが、全巻の監修と主
解説は「後藤雅洋」とあった。
なんと、あの「いーぐる」の店長・経営者だった。
私はすぐに書店に全巻予約し、後日、「いーぐる」を訪れ、後藤氏とジャズ本の話で華
を咲かせた。
初めて店を訪れてから約40年ぶりだったが、店内は当時と殆ど変わっていなかった。
それが何とも嬉しかった。
以降、26巻まで溜まったジャズ全集から、適当にCDをセレクトし、私のワンルーム
・マンションの事務所で「BOZE」の音量を大きくして、トランペットの名ジャズ奏
者・マイルス・デイヴィスや、サックス奏者・ソニー・ロリンズ等の名演奏を、ソファ
に横になりながら聴いている。
加筆。
私が56歳〜60歳(2003〜2006年)の頃、三重県厚生連の常務理事として招
聘され、津市で単身赴任生活をしていたが、夕食後にさびれた商店街にある馴染みのレ
コード店をのぞき、主人に「何かいいCDはないかな?」と尋ねたところ、「ビル・エ
バンスなど、いいんと違うかな」の一言で、そのCDを即座に買い求めた。
その中の「マイ・フーリッシュ・ハート」は、心が洗われるような美しいメロディーで、
「これもジャズ?何と優しい、心が癒される曲だ!」と驚嘆したことがあった(おすす
めします)

更に話がそれて。
私が結婚したのは1974年(昭和49年)10月12日。27歳になった10月1日の
11日後。
市ヶ谷にある私学会館の最上階の大広間を、土曜日の午後全部を借り切り(仏滅の日で、
私共以外に披露宴をするカップルはおらず)、実行委員会形式で行った。仲人、ケーキ
入刀、お色直し、引き出物などの従来の形式は一切なしの会費制。司会進行も実行委員
会の諸氏が行ってくれたが、私は一つお願いをしていた。それは新郎新婦入場の際は、
ウエデイング行進曲などはやめて、このレコードをかけて欲しいと。それはジャズ奏者
のジョージ・ルイスが演奏する「世界は日の出を待っている」という爽快な行進曲風の
スタンダード・ジャズ。
この曲を知ったのは結婚2か月前の夏の終わり。
その頃、即興的に10月の結婚を決めていた。
付き合って足掛け4年目。プロポーズも何もなし。
二人で新宿のパブで飲んでいた時、「会場はどこも来春まで満杯だが、仏滅の日はガラ
ガラのはずだ。10月にでも披露宴の代わりに祝う会でもやるか。
どこか共済関係の会館が空いているだろう」「そうね」これで決まった。
そこで翌日、職場から電話して私学会館を予約。
その週末、たまたま阿佐ヶ谷の喫茶店で一人ぼんやりしていた時、店内に流れる躍動的
で軽快な音楽に覚醒させられた。「なんて明るい、希望に溢れた曲だ!」と。すぐに店
員にたずねて曲名を知った。そして帰りにレコード店でレコードを購入して帰宅したの
だ。
今振り返っても、人生の新たな門出にぴったりの曲だったと、しみじみ思う。

今でも、「世界は日の出を待っている」は大好きな歌の一つ。
「♪世界は待っているよ、太陽がのぼるとき・・」
あの時に巡りあった一つの歌に、その後、どれだけ勇気づけられてきたことだろう。
歌は人の運命を変える、と言ったら大袈裟だろうか。

歌は勇気。希望とファイトの源泉。
その好きな歌の数々については、次回にでも。
それでは良い週末を。