東井朝仁 随想録
「良い週末を」

終わりの始まり

ただいま帰宅。
時間は午後2時半。
天気はこれ以上にない快晴。
今日は六曜(ろくよう・その日の吉兆を占う古くからの暦法の一つ)では「先負(せんまけ)」。
「諸事控えめにして静観するのが良く、午後は大吉」ということ。
確かに、天気(ある場所のある時刻の気象(気温・晴や降雨など)は午後になっても吉。
あとは、これから就寝までの時間に、テレビのニュースから凶事が流れなければ、大吉と思
い込もう。
それほど、近頃は嫌なニュースが多すぎる。
いつなんどき、何か大変な事件が起こって日本中が唖然・騒然としてもおかしくはない雰囲
気がある。
私にはそう感じられるのだ。

ちなみに余計な話だが、気象用語では「今日の気候」とはいわず「今日の天気」という。
天気(ある場所の任意の時刻の気象状態)、気候(各地における長期にわたる気象の平均状
態)そして両者の中間にあたる天候(ある地域の数日間以上の天気の状態)。
これらは時間の長さで用語が変わるので、面倒。
天気→天候→気候となるのだ。
「今日の天候は爽快だな」「今週の気候は晴れが続くようだ」では、ペケになる。
そんなどうでもよいことを書くこと自体がペケなので、話題を本題に。

今週は事務所の移転で翻弄された。
現在の青山1丁目にある事務所を今月末で退去することに決めたのが、今月初め。
3か所目の事務所だ。
最初は、2007年末に三重県厚生農業協同組合連合会(いわゆる公的医療団体・厚生連)
を役職任期の中途で退任し、翌年1月に株式会社を設立した時。
事務所の場所は六本木7丁目の4階建て中古マンションの4階。
乃木神社のすぐ近くで、当時完成した高層ビル・ミッドタウンや六本木ヒルズ、六本木交差
点も近く、便利で華やかな地域だった。
そして外苑東通りを一本裏に入った閑静な立地で、使い勝手が良かった。
この事務所を拠点に、国際特許事務所で「丹精にんにく酒」の名前を国際商標登録し、瓶や
ラベルや化粧箱のデザインを決め、良質なニンニクを大量に買い求めるために信州の野辺山
の専業農家に出かけたり、佐久病院の実験農場にある小屋を借り、20名の看護学校の生徒
をアルバイトで雇って大量の生ニンニクの処理(一粒一粒薄皮まで剥いてカットする作業)
を行い、にんにく酒の醸造(こちらが搬入した2台の巨大タンクで、私が考えたレシピで熟
成・瓶詰めする)業務を、地元の老舗酒蔵に委託して実施。
通販での購買申込の受注・酒蔵への出荷依頼(運送はヤマト運輸と契約)と毎月の会計業務
は、実務会社に委託して行った。
しかし。2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災が発生。
この頃から健康酒の製造販売という商売(仕事)に対する情熱が変わってきた。
潮目が変わった。

この時の事務所ビルの揺れは凄まじく(注・都内のどこでも同様だったろうが)、以前にもこ
のエッセイで触れたが、室内の幾つもの低いラックでさえも転倒し、テレビや書籍や水槽や
花瓶などが、床に散乱した。
私は本震の長い強振に驚愕して窓とドアを開け放ち、窓枠につかまりながらおさまるのを待
った。
そしてようやく「終わったか」と窓から離れた瞬間、今度は本震より激しい余震が襲い、腰
高の窓から放り出される危険を感じ、私はその場に正座して観念した。
「駄目だ・・・」と。
だが、ようやく激震もおさまり、そっと窓外を見渡すと、地震の被害を見て取れるものは何
もなかった。
そこですぐ、帰路が混乱する前に帰ろうと外に出て、周囲の高いビルから出てきた放心顔の
人々の群れと共に、国道246号線(青山通り) の幹線道路を、黙々と長蛇の列を作りなが
ら自宅のある世田谷上馬まで、3時間歩いて帰ったのだった。
1週間後、事務所の階下の同年齢の住人と立ち話をした。
「玄関を見ました?亀裂が入っていたでしょう」と言われ、下に降りると。玄関の一部に長
い亀裂が入っており、道路に面した部分が少し陥没していた。
「東井さんは、これからどうするの。殆どの部屋の人は、引っ越す準備をしているよ」
「そうなの!お宅は?」
「私も来週、横浜に引っ越すよ。
このマンションはやばいよ。先日、隣のビルが耐震診断していた時、調査士に、このマンシ
ョンはどうですか?と尋ねたらね、苦笑していましたよ。この建て物は古い建築基準法の基
準にも満たない。耐震補強しても無駄だと。ヤバいですよ」

その翌年(2012年)の春、私は現在の青山のマンションに引っ越した。
14階建ての大きな高層マンションの5階の27uのワンルームを借りた。
ちょうど北東の角寄りの部屋で、窓からは道を隔てて建つホンダ本社のビルと、青山1丁目
交差点、青山御用地の緑の森が眺望できた。
ここは駅から徒歩3分弱と便利で、そばに青山ツインタワーの地下街もあり、環境も良好で
すぐに気に入った。
そしてこの年の秋、「一般社団法人・東井悠友林」を創設し、会社は清算した。
その悠友林の法人も、今年の9月で創立10周年になる。
光陰矢の如し。
歳月人を待たず。
つくづくそう痛感しながら、今月一杯で青山の事務所を閉じることとした。

今月5日に長男の嫁が、中学1年生、小学5年生の男児を連れて、シンガポールに赴任した。
子供たちは向こうのスクールに入学。
嫁は、ある大手企業のマーケテイング業務のエキスパート。
中国語も英語も堪能なので、東南アジア地域の販促を図る人材として適材だったのだろう。
長男は3年前に起業し、現在業績を伸ばしているので、日本に留まっての専業専念。
すると現在住んでいる白金のマンションは、一人で住むには勿体ない。
そこで「お父さん、一部屋でも使わない?」と息子に提案され、「そうだな。事務所として
使わせてもらおうか。今の所の家賃も馬鹿にならないからな」という流れになり、即、引っ
越しに。
特に事務所の移転先が、今までと同様に港区内だから法務局への「事務所所在地等の変更登
記」事務が簡便になる。
こうした潮の流れに乗っての事務所移転だ。
これも人生の流れの様な気がしている。

コロナ・パンデミックで、これからの世界も日本も至る所で混乱・対立・衰退現象が起こる
ことは必至。
特に日本のこれからは、政治も行政も経済も教育も何もかもが劣化してきているようで、一
体どうなることやら。
嫁や孫たちの赴任は2〜3年のはず。
将来がある中堅や子供たちは、どんどん新たな空気を吸って新たな太陽の光を浴びてほしい。
子供達も孫たちも、スマホと忖度と自己保身だけの狭い感動のない世界で一生を送ってもら
いたくはない。
我々は、「この地」で消滅しようが、仕方がない。
そんな思いが、今の私の心にはあるのです。

今週は引っ越しの準備で大変でした。
14年間で事務所にたまった物や書籍は大量。
一昨日は、私の長男と甥(兄の長男)の3人で、レンタカーで、ソファや椅子や机や資料な
どを、上馬の自宅と白金のマンションに搬送。
昨日は、粗大ごみを出し、電話・ガス・上下水道・電気サービスの契約解除などの手続きや、
ごみとして廃棄できないパソコンを専門店に持ち込んで処理したり・・。
明日からは事務所に散乱している多量の書籍や資料の分別・廃棄を続け、28日を目途に何
も無い空室の引き渡しを予定。
これでまた、一つの季節が終る感じです。

今日は朝から半蔵門に行き、篠笛の個人レッスンを受け、終わってから事務所に寄って先ほ
ど帰宅したのです。
おさらいをした曲名は「京の夜」
昭和45年度のNHK大河ドラマ「モミの木は残った」で、主演の平幹二郎が伊達藩家老・
原田甲斐として、思索に耽りながら一人で吹く、物静かであり激情を感じさせる曲。
この名曲を吹くコツは「こみ上げる感情をぐっと抑える繊細な心のふるえを表現すること」。
作曲は個人レッスンの師匠である福原道子氏の実父・福原百之助氏(人間国宝)。
彼が平幹二郎に篠笛を教示した内容が、前述のこととのことでした。

新型コロナも日本社会や国際情勢の混迷も、今までの時代の終末を痛烈に予感させる現象の
気がします。
一つ一つの物事が、これから終り(破綻)を呈してくることでしょう。
この世の中に「永遠」はない。
まさに、たった一度の人生もしかり。
終りがあるから、また新たな芽が出て生育していく。社会は進展していく。
そう思うことが大切なのかもしれません。

「京の夜」を吹き終え、半蔵門の街に出ると、まさに初夏の太陽が乱反射して、眩しく輝い
ていました。
今年も新緑の季節。まもなくゴールデン・ウイーク。
しかし・・・。
明後日から5月11日までは新型コロナ対策の「緊急事態宣言」による自粛期間になるはず。
電車に乗ると、おしなべて暗い表情でスマホを覗きながら沈黙しているマスクの乗客たち。
楽天的な明るさなど微塵も無くなった車中の若者たちを見渡しながら、以前なら「今は社会
や人生の節目の時だ。節から芽が出るんだ。さあ、頑張ろうぜ!」と叫びたい心情にもなる
のですが、今や私もその気概は失せてきました。
ここは原田甲斐の篠笛のように、悲しみと激情を抑制し、自らの心を安寧に保ちながら毎日
を過ごしていくべきだ。
毎日を「一日生涯」と思い、ちょっとしたことに喜びを感じながら・・・。
そんなことを考えながら帰路を辿ったのです。

今の時間は午後5時。
夕日がとてもきれい。
今日の「天気」は、いい天気でした。
これは小吉!

それでは良い週末を。