東井朝仁 随想録
「良い週末を」

コロナ禍の日常での雑感(1)

コロナ禍の収束が見えてこない。
ここ1週間の新規感染者数は、東京も大阪も、やや減少傾向に。
しかし、捉え方に間違いがあるかも知れないが、東京は、第1波(~2020年5月)、
第2波(2020年6月~9月)、第3波(2020年10月~2021年3月)そして
現在の第4波(2021年4月~)と、新規感染者数の拡大の波を繰り返している。
それも過去の推移を見ると、第1・第2波が小波だったのが、第3・第4波と大波になっ
てきている。

この1年半の期間で、何度か緊急事態を出したり解除したりを繰り返し、途中「もうピー
クだろう」との楽観的な声もあった。
現に、昨年の今頃は「アベノ・マスク」の配布や「Go Toトラベル」の開始に、失笑したり
喜んだりする余裕のある人々も、少なくなかった。国民は「Go Toイート」にはしゃいでい
た。
政府は「やはり、コロナ対策と経済の両輪を動かすことがベター。これぞ日本方式」と、
余裕を見せていた。

だが、今になって「まさか、新型コロナがこれほど大変になるとは・・・」
と嘆息している国のお偉いさんや業界関係者も、多いことだろう。
近年、地球温暖化の影響が顕著になってきて、毎年のように大自然災害が四季を問わずに
発生している。
これも今までは「想定外の出来事」「こんなこと、人生で初めて」と、国や地方公共団体
の担当幹部は「自分たちの防災対策には落ち度が無かった」というニュアンスの弁明を繰
り返してきた。
だが今では、そうはいかない。
今年も来年もさらにその後も、これから様々な大災害が各地で発生する可能性は、大と言
える。
だから、ブレーキが利かない資本主義の成長戦略=飽くなき大量生産と大量消費=地球温
暖化の進行=地球環境の危機=異常気象やパンデミック等の多発・常態化という現在の状
況を冷静に分析し、何事も先手を打って政策の立案・実現・見直しを図っていかなくては、
この先、我が国も世界も「持続可能」とはいかなくなるだろう。
何かが起こって「想定外だった・・」と呑気なことを言っていられる時代は終わった。
従来からの相変わらずの「Japan is No1」の驕りだけで、努力をせず、全てに安易で無責
任で保身だけでポストにしがみついている国や地方公共団体の政治家や役人は、もはや無
用、有害。
広い視野と鋭い洞察力、そして私心を排除して国や国民のことを第一に念頭に置き、身を
挺して決断・実行する政治家等に世代交代していかなくては、日本は持たないのではなか
ろうか。
今、早急に求められているのは、将来を鋭く見据え、グローバルな視点に立って物事を成
し遂げて行ける、細心大胆な行動がとれる指導者なのだろう。

現時点における新型コロナ感染予防対策としては、「自粛だけではもう無理。ワクチン接
種が最後の手」と考える人が殆ど。
ワクチン接種や治療薬の開発・普及は、去年の春から言われてきたこと。
それがようやく1年以上たった今、中国や欧米の先進国より周回遅れで、ワクチン接種が
始まった。まずは結構なこと。
だが、いかんせん「遅い」。
「まず第一に、国民の安全・安心を図るために」「スピード感を持って」「しっかりと」
「前例にとらわれず」そして、「決められる政治を」
この言葉は、菅首相以下、政権与党の政治家の常とう句。

だが、今回のコロナ禍で政治家や官僚たちの質が落ちたと感じ、次のような言葉を巷で吐
いている人が多いのが、現実 。
「すべてが後手後手」「何も決められない、進まない」「厚労大臣や西村大臣や何人かの
知事は汗をかいているようだが、他の多くの政治家は何をしているのか」「野党もだらし
ない。政権を罵倒するなら自分達の政策をもっと伝えろ」「政治家や役人の給料の一部を、
貧困者の救済に回せ」「日本の国がこれほど駄目な国とは思わなかった」等々。
ビートたけしは自著「コロナとバカ」(小学館新書)で、菅総理について「国民のために
働く内閣!ってスローガンを掲げたのには、笑っちゃったよ。それじゃあ、まるで安倍政
権が『国民のために』じゃなく、『自分のため』に働いていたって、バラしちまったみた
いなもんじゃないの」とかましていたが。

現場では、国や都道府県からの試行錯誤の果ての様々な指示に従い、今日も多くの医療従
事者や役所職員が頑張っている。
今は当面のワクチン接種に、日本社会の時限的な回復を託すのみだ。
そして。
これこそ最早「後手後手」になっていることだが、「東京オリンピック・パラリンピック」
の開催について、国も都も組織委員会も早急に「開催か延期か中止か」の結論を、国内外
に明確に発表するべきだ。
だが、首相の「東京オリンピック・パラリンピックを、人類がコロナに打ち勝った証のオ
リンピックにしたい」との開催の決意は、今日時点(5月19日)でも変わりがない。
それなら、7月までに人類(世界各国)がコロナに打ち勝つた証(コロナ禍の収束)が出
来る確信(可能性)があるのか?そこまで多くの人々を酷使し、多くの国民にリスクを負わ
せ、多くの国家予算を投下してまでする大義(意義)が、あるのだろうか?

テニス・プレーヤーの大坂なおみ氏の「危険あるなら議論すべき」や、同じテニスの錦織
選手も開催に否定的な発言をしているなど、五輪開催を懸念するトップ・プレーヤーの例
は枚挙にいとまがない。
国内のオリンピック出場候補選手の多くも、日夜、苦悩を抱えながら、黙々と激しい練習
を重ねているに違いない。
さらに先日、人気・実力ともに米国チームの花形である陸上チームが、「安全面の懸念」
を理由に、日本での直前合宿を取りやめたように、参加を辞退する国やプレーヤーが増え
ている。
世界では「今はオリンピックをやって喜ぶ時ではない」とした国が多いのだ。
主催国の日本でも同様だろう。
現に、各種の世論調査で、国民の6~7割が中止にすべきと回答している。
基本的対処方針分科会の尾身会長は、「議論すべき」と開催に慎重なニュアンスの国会答
弁をしている。
(注・私は尾身氏の本音は「新規感染者、重症者・死亡者が増え続けている深刻な状況は
すぐには改善されない。ワクチン接種も始まったばかり。ここで拡大を徹底的に抑え込ま
ないといけない。私としては、中止か延期にすべきと考える」が本音だと推察。だが、首
相・厚労省及び文科省幹部の手前、国立感染症研究所の予算や科学研究費が大幅に増額さ
れており、遠慮せざるを得ない心境ではなかろか)

私は、新型コロナ対策は別として、このオリ・パラの開催の是非の判断が、これからの日
本の運命を決定づける喫緊の政治課題だと確信している。
首相やその取り巻き(丸川・五輪相や橋本会長など)は、現時点では「不参加国が続出し
ても、米国さえ参加するなら、無観客でも何でも開催する」という意向で、小池都知事は
「まだ白旗を上げず、世論と国の様子をうかがっていよう。いざとなったら政府より先に
中止宣言をしよう」という腹積もりではないかと推察。
そして組織委員会と「東京五輪のオフィシャル・パートナー」契約を結んで様々な利益を
得られる大手マスコミ(朝日・読売・毎日・日経)は、「まだまだネガティヴな報道はせ
ず、ギリギリまで動向を注視」だろう。
しかし、誰からも、都民や国民に対する「コロナ禍でもオリ・パラを開催する意味・意義」
の説明が、全くなされていない。
そして世界に対しても、オリンピック開催国としての希望に満ちた力強い発信がなされて
いない。出来ないのだ。それでいて暗中模索の中、開催にこだわり、多くの団体や関係者
を疲弊させ、予算を湯水のように費消してきている。そして時間は刻々と過ぎているのだ。
だが、今日現在(5月19日)になっても、政府にも政権与党にも、東京都にも、マスコミ
の中にも、開催の是非を最終議論するよう訴える強い動きが出てこない。
それでいて「自民党内からも、開催は無理と発言する議員が多くなってきた」という新聞
報道が出たり、テレビのワイドショーなどでは、識者や芸人が訳知り顔で「出来っこない
ですよ」と発言している画面が出る。街でも知人らでも「無理無理」と、開催は中止にな
ると決めつけて納得している人が多い。

だが。
これも前述したように、「まさか!」「想定外」という声が上がる日が来ないとは、誰も
断定できない。
思考が停止したような政治状況の時は、とんでもない結論が導き出される可能性があるか
らだ。
それは、ともすると優柔不断、事なかれ主義、視野狭窄、情動的、他者追随、郷に入れば、
郷に従うなどの国民の気質から生じるのかもしれないが。
特に太平洋戦争前、日本の軍国主義の台頭、政党政治の形骸化、軍部独裁政治の誕生を許
したのも、つまるところ国家権力の中枢以外の全ての国民の「まさか」という心の緩みか
ら、といえば語弊があるだろうか。
太平洋戦争の末期、アメリカ軍による日本本土への大空襲や沖縄上陸戦で、日本は完全に
力尽きていたが、連合軍からの「敗北宣言」要請を無視。日本の軍部は「本土決戦・一億
総玉砕」を叫び続け、広島・長崎に原爆が投下されて国家存亡の危機に陥り、ようやくポ
ツダム宣言を受諾して「降伏」した。
余りにも当時の国の権力者たちの決断が遅かった。
「もっと早く国が決断していれば、多くの命が救われたのに・・・」
という悲しみの声が後世まで伝わっているのは、周知のとおり。

もう遅きに失しているが、首相や都知事や組織委員会は、国を挙げて一日でも早く「東京
オリンピック・パラリンピック」の開催についての最終決断を、明確に内外に公表すべき
だ。
開催するなら「来る東京オリンピックは、世界の平和と安定、全ての国の繁栄と友好を期
し、万全な新型コロナ感染予防体制のもと、将来に向けた勇気と希望あふれる大会として
開催する」とか、何か明確なメッセージを送るべきではないだろうか。
そして、中止するなら、その旨を早く、丁寧に説明したメッセージを公表すべきではない
か。

それさえも出来ないでこの状態を続けたら、きっと我が国の国際的な信用は失墜し、孤立
し、そして日本社会は一層の衰退を余儀なくされていくのではないか、と思うのです。

そんなことなどが頭に浮かぶ、コロナ禍の今日この頃なのです。
それでは良い週末を。