東井朝仁 随想録
「良い週末を」

コロナ禍の日常での雑感(2)

今月末までの「緊急事態宣言」が、またまた延長される見通し。
これにより、これからも今までの自粛生活が続く。
私は、とうにその積りでいたので(ほぼ全員の都民がそうだろうが)、これからも今まで
の日常生活を粛々と楽しんでいくだけだ。
しかし、「stay home(家にいる)」ではない。「enjoy at home(家で楽しむ)」が肝要。
何も、江戸時代の武士に対する刑罰の一つ、「蟄居」を国や都から科せられたわけではな
い。
自らの感染防止と、地域住民の役割として「自粛(自覚)」するだけだ。

私の家での楽しみ(趣味)は、今までのエッセイでも述べてきたとおり、読書、音楽と映
画の観賞の3S。
これまでの自粛期間中に、本は20冊ほど購入し、3分の2は読了。さらに「これから読
み直そう」と残してきた蔵書がたくさんあるので、読書の兵糧には事欠かない。
CD(音楽)もDVD(映画)も同様。
例えば映画では、「アカデミー賞受賞作品100枚と、人気映画50枚の計150枚ほど
のDVDが、殆ど手つかずで残してある。
「老後の楽しみに」などと悦に入って残してあるのだが、まさに「やるなら、今でしょ!
もう老後でしょ!」と言われかねない。
だから、わざわざ新刊本や新作映画のDVDなどに手を出さず、まずは今あるものを先行
すればよいのだが、これがなかなか。

昨日はTSUTAYAに行き、新刊本を数冊買い、レンタルショップでDVD映画を3枚、そして
コミックを2冊借りてきた。

これからの話が今回のエッセイの「さわり」になるのだが、そのコミック本を夕食後の腹
ごなしに見て読んだ(最近のコミックは説明文、セリフが多い)のだが、これが面白かっ
た。
試し読みの積りなので初めの2巻だけだが、この2冊だけで終了しても満足の一作だった。
感想文を書いても、「何のことやら?」と首をひねり、面白くもおかしくも無いだろうか
ら、本の簡単な紹介を。

コミック本の題名は「JIN・仁」(村上もとか・画)
2001年4月に第1巻が発行。今から丁度20年前。
その後、今日まで確か20巻まで発行され、テレビドラマにもなっている人気コミックと
のこと。
この20年間、「時代物か。あまり興味がそそられない」と思いながら、本屋では手にも
取らなかったが、少し気にはなっていた。
それは「仁」という1文字の漢字に。
それも訓読みの「HITO」ではなく音読みでズバリ「JIN」だったから。
何故なら、私の名前が「朝仁(トモヒト)」で、長男が「仁(ジン)」

終戦直後の昭和22年に生まれた私の名の由来は、父が「朝5時に生まれたこと、戦後、
庶民が天皇の名前を使用しても不敬には当たらなくなったこと」から、どうも、朝と仁を
用いたようだった。
また私は、第一子(長男)に仁(ジン)と命名したが、これは「人を思いやる心」を持っ
てほしいという思いと、これからの時代は、ヨコ文字でサインする時に「Jin」だと簡明
で良いと思ったから。
さらに母の「朝仁の一文字も使えば」と、配偶者の「それなら、儒教の5徳の、仁・義・
礼・智・信から、仁がいいのでは」という言葉があったからだ。
これからの長い人生において、親も人も呼びやすいほうがいい、と。ちなみに、第二子
(長女)は礼(あや)、第三子(次男)は隆(りゅう)。
礼は、「仁」を具体的な行動として表すことで、「人間として礼儀をわきまえた人になっ
て貰いたい」という意味から。また、秋篠宮文仁親王の御称号、礼宮(あやのみや)の呼
び名を参考。隆は5徳の感じではないが、「隆盛な人生を送ってほしい」という願いと、
漢字の座りが良いこと、訓読みの(たかし)より音読みのRYU の方が、端然として響きが
良いことから。

話が余計になったが、コミック「JIN」の1・2巻のさわりに。
主人公は南方 仁(みなかた じん)34歳。
東都大学附属病院、脳外科医局長。
(注・病院は、東都の当て名から、東京大学・東京医科歯科大学・東邦大学の名が浮かぶ
が、御茶ノ水駅前の外濠にかかる御茶の水橋の上から水道橋方面を見渡した風景描写、特
に右前方に聳える比較的に高層な建物と、その高台に建つ建物の玄関に至る長いスロープ
の形状からして、私は、順天堂大学附属病院と推察。3巻以降読めば判明するだろうが)

時は、2000年6月某日。
その夜、当直医だった仁は、急性硬膜外血種の患者に緊急開頭血種除去術を行った。
だがその後、数々の不可思議なことが起こった。
人間の胎児の形をした奇形の腫瘍を摘出し、手術は成功したのだが。
翌日。南方は食事中に突然の頭痛や「止めて!離さないで!」という空耳の発作に襲われ
たり、集中治療室の患者がいなくなったり。
そして階段を踏み外し、「落ちているのか?飛んでいるのか?」という感覚の中で意識が
なくなり、、、。
気がつくと、草むらに仰向けで寝ていた。
空には満天の星。「気を失って、誰かにこんなところに連れてこられたのか。だが、だれ
が何の目的でこんな所に・・」
服は勤務中の医療衣のまま、かたわらに救急医療用のパッキングが。
「なんでこんな物を・・・」
起き上がってふらふらと歩いていくと、そこには異様な風景が広がっていた。
「私は不思議な空間を転落し、気がつけばここにいた。どう見ても江戸時代としか思えな
い場所に・・・」
そう、時は1862年・文久2年、所は湯島付近だった。
仁は「神のいたずら」(注・この章の題目)によって、2000年から138年もの過去
に、タイム・スリップしたのだ。

21世紀の脳外科医が舞い降りた、激動する幕末の江戸街は、勤皇の志士と幕府の武士と
が、随所で切り合いをし、庶民は物騒な夜の外出を控えていた。そして外出自粛のもう一
つの要因。当時は、何と麻疹(はしか)が流行しており、何万人もの死者を出していた。
4年前の1858年(安政5年)には、コレラの大流行で江戸だけで3~4万人もの死者を
出したという。
「疱瘡(ほうそう)は美面定め(終わり)、はしかは命定め」と恐れられ、特に貧しい庶
民は不衛生な生活の中で、長屋の各戸の入り口に「厄除けの」お札を張って拝むしか、こ
の厄災から逃れるすべはなかった。

まず、仁を見舞ったのは夜道における乱闘事件だった。
江戸の街に出現した仁は、すぐに勤皇派の武士と幕府の上士(勝海舟と懇意)の乱闘に巻
き込まれ、危ういところで逃れたが、近くに上士が深傷を負って倒れていた。
仁は「前頭部の外傷はかなり深い。受傷後、立ち上がり、意識もしっかりしていたのは意
識の清明期か・・・だとすれば、急性硬膜外血種の可能性が高い・・」と判断。
「西洋人の服装をしておるな。お前は何者だ!?」と駆けつけた同藩の連中に、「私は医
者だ。早く手当てをしないと手遅れになる!」と促し。結局、たった一つ持ってきていた
救急切開セットを用い、気丈な若い患者の妹に手伝わせ、開頭手術を。しかし開頭の道具
は無く、当時のノミや金づちやヤットコを煮沸消毒し、消毒薬として焼酎を用い…夜明け
に無事手術は終わった。
仁は心の中でこう感じていた。
「目覚めぬ悪夢(注・タイム・スリップ)と呼ぶには、余りにも細部までリアルで、重い
実感・・・不思議なことに、私は今までの、どんな難手術をこなした後よりも、深い充実
感を味わっていた」

次に待っていたのは、江戸の街の至る所で発生している麻疹(はしか)の患者だった。
早速、大学附属病院時代の医療技術と公衆衛生の知識を思い出し、近くの貧乏長屋で苦し
んでいる患者の治療に当たった。

例えば。
まず、家族や周囲の者に「患者を別の部屋に入れること。部屋に入って世話をするのは麻
疹に罹ったことがある人だけ」と指示し、看病する人には「高熱に対しては、頭や脇の下
を水で濡らした手拭いで、こまめに冷やしてやること。部屋の中に湯桶も置いて、部屋の
湿気を保ち、患者が痰を出しやすくする。脱水を起こさないように、十分な水分を与える
こと。約3合の水に、あら塩を半つまみ、黒砂糖ひとつまみを入れる(注・スポーツドリ
ンクの味に似てミネラル成分が豊富に)」と指導。
解熱剤もなにもない状況で、可能なことはこうした対処療法だけだった。
そして時間が経過し、10人ほどの長屋の患者は、みな助かった。
誰もが、南方仁を「先生は神様のお使いだ・・」と涙して喜んだ。

しかしそもそももこの時代の人々には、栄養失調が多く、それが麻疹の死亡率を高めてい
る原因と、仁は思った。江戸の街を恐怖で覆った病魔は、なかなか簡単に退散せず、流行
は続いた。
そして仁は憔悴していた。
仁の頭に「厄除けのお札」に描かれていた大明神の声が、厳しく聞こえてくるようだった。
「おぬしの負けだ・・。たった今でも麻疹で死んでゆく・・江戸だけで何万人もの人が死
んでゆく…おぬしに何ができた?ほんのわずかな患者を、治療しただけか?!」
疲れ切った仁に、大明神の声が確かに響いた。
長屋の戸口に貼られた「厄払いの大明神」の紙を引きちぎり「こんなもので麻疹は治りま
せん!」と長屋の人たちを啓蒙した、あの日の元気は失せていた。
それでも仁は、勝海舟らと知己を得て、さらに激動と黎明の時代を進んでいこうとする。
だが、今度はコロリ(コレラ)の流行が江戸の街を恐怖に陥(おとしいれ)たのだ。

以上が、ごく簡単なさわり。
私は、夥しい数の本がひしめいている店内で、偶然「仁」という題名から手に取って、初
めの1・2巻を借りて読んだのだが。
まさか感染症の話から物語が展開するとは、驚いた。
まさに「神のいたずら」か?
100年に一度という新型コロナのパンデミックに襲われている2021年の日本。コロ
ナ自粛中の今、私に何の暗示を与えるのか?
南方仁が、現在にタイム・スリップしてきたら、どう思うだろうか。きっと驚くだろう。
この日本に吹き荒れている新型コロナウイルスの猛威、国民の不安。そしてなかなか収束
しない状況。
果たして「医療と科学が、あの江戸末期から160年ほどたったが、基本的にはあまり変
わらないな・・」と嘆息するか、「やはり私が東京にいた2000年から20年たって、
日本も随分感染症対策が進んだ」と感心するだろうか?

そんなことを考えながら、皆既月食の夜に床についたのです。
どこからか「頑張って・・・」という、優しい声が聞こえてくるような夜だった。
それでは、良い週末を。