コロナ禍の日常での雑感(3) |
・沢村貞子(1908~1996年・87歳没) ・高峰秀子(1924~2010年・86歳没) ・岸 恵子(1932~現在・88歳) この三人の名前を見て、3点、皆に共通している点が閃いた人は、どれほどいるだろうか? まず、三人の名前をすべて知っていることが前提となるので、果たして今の時代で答えら れる人がいるかどうか。 人それぞれの見方で、答えは異なるかもしれないが。 私のいう3点とは。 まず皆さん「女優」。2点目は、明治生まれの沢村さん、大正生まれの高峰さん、昭和一 桁生まれの岸さんと、みな「ご高齢」。 岸さんはこの8月で89歳になられる。 そして、3点目は「日本エッセイストクラブ賞の受賞者」であること。 私は、このご三方のエッセイを読む時は、いつも姉か(注・私には姉はいないが)母親の 優しい語りを聞いているような、柔らかな、それでいて何かを諭されているような心の和 みを感じていた。 そう。今回のテーマは、このご三方のエッセイのなかでも、特に晩年に書かれた文章で、 妙に印象に残った部分についての雑感です。 沢村さんは350本ほどの日本映画に出演し、日本映画界を代表する名脇役として活躍さ れた。 私の印象では、常に着物の帯をキリッと締めた昔気質の女性で、ポンポンと辛口の言い方 をする、少し怖いおばさんの印象が強かった。 が、エッセイを読んで健気で筋を曲げない、それでいて芯の心根が優しい、庶民的な女性 だと感心した。 それも当然、彼女は浅草生まれの生粋の江戸っ子。 狂言役者として有名だった父を持つ家庭で育ち、6歳から長唄と踊りを習い始めた。 兄は歌舞伎役者から映画俳優になった沢村国太郎、弟は加東大介、甥は津川雅彦等。生活 が厳しい中、家庭教師をしながら日本女子大学に進学するが、教師間の裏の醜い世界を見 て失望し、退学。 そして、1932年・24歳の時、プロレタリア演劇運動に傾倒し、治安維持法容疑違反 で逮捕され収監されている。官憲から「転向」をすすめらたが、これを拒否。10か月半、 独房に入れられた。退所後も運動を再開し、再逮捕。そしてこの時に転向し、懲役3年・ 執行猶予5年の刑で出所。兄の勧めで映画俳優の世界に入ったのだ。 その後、日活に入社。主演級のスターと何本もの映画で競演。 1936年・28歳で結婚。 しかし、終戦直後の1946年に離婚。その後、当時の京都の新聞記者(のち、ジャーナ リスト)の大橋恭彦氏の内縁の妻になったが、周囲は認めず、ようやく20年後の 1968年、正式に再婚。 こうした彼女の波乱万丈の経験が、様々な出汁と薬味となって、深みのあるエッセイを生 み出しているようだ。 だが、その深みのある味わいは、常に癖が無く、淡白で上品。 エッセイの内容は、身近なことを扱ったものが多く、常にシンプルでわかりやすい。 そして、明治から平成までの様々な人と時代の清濁を併せ飲みながら生きてきた、彼女な らではの純真な気持ちで溢れている。 彼女のエッセイ集、「私の浅草」私の脇役人生」「寄り添って老後」は、まさに日常の何 気ない風景や人情や社会や家庭内のことなどが、さりげないタッチで書かれている。 どんなに仕事で忙しくとも、二人そろって家庭で食事をする。それもすべて彼女の手料理。 そうしたことをまとめたエッセイ集「私の献立日記」(中公文庫)は、男性が読んでも面 白い。 私の極め付きは、「寄り添って老後」(新潮文庫)。 例えば、その中の「棄てられる」というテーマの項。 あるTV番組の座談会で、5人の出席者は『これからの日本経済発展のために、あらゆる ものをどんどんこしらえ、どんどん売り、消費者はどんどん捨てることが何より大切』と 発言し、全員が陽気で快活だった。 だが無言でいた沢村さんは、司会者に促されて、こう発言した。 「『でも・・・むやみにものをこしらえて売るより、一つ一つ、丁寧にこしらえたものを、 自分たちが暮らせるだけの値段で売る、と言うことも大切ではないでしょうか、少々高く ても・・・。そうすれば、どうしてもその品物が欲しくて、やっと買った人は永いこと、 丁寧に使うでしょう。そのほうが、お互いの暮らしにゆとりが出来ていいような気がしま すけれど、どうかしら・・』 すると、言い終わった途端に、評論家のXさんに叱られた。 『そんなしみったれた、古臭いことを言うと、折角、盛り上がってきた高度成長の波が止 まりますよ。景気が悪くなって失業者が多くなったらどうします? 高くなってきた土地の値段が下がったら、どうしますか?』 私は黙った。私にはわからない・・・(以下略)」 この当時のGDP至上主義、大量生産・大量販売・大量消費の経済政策は、国中をカネの 亡者にして狂乱させ、結局バブルが弾け、その後も日本は「夢よもう一度」の経済至上主 義路線をひた走って今日まで来た。 そして今まさに、暴走し続けてきた資本主義は崩壊し始め、日本の経済は衰退から敗退の 危機に瀕してきたのだ。 沢村さんが生きていたら、果たして、今の社会をどう思うだろうか? そして最終章の「生きのびて今・・・」 「(略)芝居物の家に生まれた女の子・・・オマケの私は、家事の手伝い、兄や弟の世話な ど、しなければならないことは沢山あったけれど…心は自由だった。 父から期待されることもなかったし、守らなけれなならない家風も、世間体への心配もな かった。 『ひとさまに迷惑をかけないこと、自分のしたことに自分で責任を持つこと。 それさえ守れば、好きなことをしてもいいんだよ』 母が、家庭教師をしながら学校へ通う私に、そう言ってくれたのは嬉しかったけれど・・・。 さて、自分で生きる道を探すのはむずかしい、ということが、だんだん、わかってきた」 そして沢村さんは、教会に通ったり新興宗教の話を聞いたりしたけれど、なんとなくつい てゆけず、選んだのが教師の道。その資格をとるために、やっと父親を説き伏せて通った 学校を、卒業間近に退学した。 「教師はいつも清く正しくなければならない、そう思い込んでいた私は、一つの椅子を巡 る先生たちの醜い争いが許せなかった。なんとも、幼稚で潔癖な娘だった」 次の夢は、新劇運動。 「『一生懸命働く貧しい人たちに、幸福を・・・』 そのスローガンに動かされ「今度こそ、そのために一生を捧げよう、と固く決心したのだ が、次々と色んなことが起こるたびに、人間という生きものの弱さが身に染みてわかって きて・・・また、夢が破れた。幻滅した (略)挫折して、立ち上がれなかった私をやさしく励ましてくれたのは、苦労をかけた母 だった。 『お前のしたことは、決して、悪いことじゃないよ』 その一言が嬉しかった…(略)」 その後。 「どんよりと曇ったある日の午後、縁側で新聞を読んでいた家人が、フッと言った。 『…海の見えるようなところへ引っ越したいなあ』 『えっ?引っ越すって・・誰が?』 『われわれが引っ越せたら、いいなあってことさ』 『私たちが?どこへ?』 『どこってことはないけれど・・・海の見えるところへ住みたいよ、 海はいい・・・』 『・・・そりゃあ、海はいいけれど・・・』 『・・・この頃、よく思うんだ。もう、あと幾らもない人生だからね。のんびり、海を見 ながら暮らしたいよ。そうすりゃあ、つまらない欲もなくなって、ごく自然に幕をしめる ことが出来るだろうからね』 どうやら本気らしい。そういえば、半年ほど前から体調を崩して病院通いをしている間、 いつも何か、考え込んでいた。その横顔が気になっていたが・・。 子供のない老夫婦が、どういう風に一生を終えたらいいか、悩んでいたのかも知れない。 二人とも、もう八十を過ぎている・・・」 「猫と女は引っ越しを嫌がる」と、昔の下町では、よくそう言われていた。 沢村さんも引っ越しは大嫌いだった。 その上、40年住み慣れた家にも深い愛着がある。 どうしよう・・どうしたらいいのかしら・・・と、沢村さんは悩んだ。 そして。 「一日一晩、考えたあげく、心を決めて家人に言った。 『引っ越しましょう。この暮らしを変えましょう。海の見える家を探して、のんびり暮ら しましょう』 気のせいか、家人の顔がサッと明るくなった。 『うん、そうしよう、それがいい』 急に老夫婦の陰居所探しが始まった。 (略) 運が良かったと思う、 葉山の一隅に、望み通りの場所(注・マンション)が見つかった」 それから。 「海の向こうに落ちてゆく深紅の夕陽を、拝みたいような気持で眺めていると、テラスで 植木に水をやっている家人の声がした。 『今日の夕陽は格別きれいだね…落ちかかると早いけれど・・・』 『そうね、ほんとに・・・あっという間におちてしまうわねえ』 私たちに残された日も、目まぐるしい早さで過ぎてゆく。 (ほんとに何もできない一生だった。でも、それでいいと思う・・・。 私なりに一生懸命生きてきたのだから・・・) これから・・・最後の幕がしまるまで、海を見ながら、ひっそりと寄り添って、自分たち の好きなように、自由に行きたい・・・私たち夫婦は・・そう願っている」 さらにそれから。 沢村さんの夫が亡くなった。 「どっちが先へ逝っても、お葬式一切しないことにしようね」 これが沢村夫婦の約束だった。 そして、エッセイも最終の最後に。 「(待っててね、私が行くまで・・・大丈夫、心配ないわ。 その手配は、もう、ちゃんとしてあるから・・・) 私の命が終ったら、すぐ、火葬して、骨を、あなたの骨と一緒にして、こまかく砕いて、 相模灘に葬って下さるように、『葬送の自由をすすめる会』にお願いして、手続き一切す ませてあります。 生きものの命というのは、死んだら、それですべて終りでしょうね・・・。 それで結構よ、あなたと一緒なら・・・。 それが、私たちの『寄り添って死後』ですもの。 待ってて下さいね・・・あなた。」 私は読後、椅子を立ち、しばらくの間、黙然と立ち尽くしていた・・・。 深い共感と、どこまでも一途だった沢村さんの生き方に感銘し、いつまでも心が震えてい た。 続きは次回にでも。 |