東井朝仁 随想録
「良い週末を」

出 し 切 る

私は今まで74年の人生という日々を歩んできた。
苦あれば楽あり、山あれば谷あり、嵐もあれば快晴の日もある道のりだった。
時には生死にかかわる出来事や、平和な普通の生活が根こそぎ奪われてしまうような危機
に瀕したことも多々あった。
だが、今振り返ると「人生とは、こんなにたやすく生きられる、幸せなものなのだ」と、
しみじみと実感している。

勿論、前述したように貧困や病気や人災・天災や社会的偏見や差別などに、誰もがいつ何
どきにも見舞われるかもしれない。その確率は等しく皆同様だろう。
私も病気や貧困や偏見(両親が天理教の布教師、私は職場で労働組合運動を行い、『アカ』
と陰口をたたく人もいた)などを受けてきた。
それでも「そんなことで、簡単に命を取られることはない。どんなに富や地位に汲々とな
っていても、明日急死するかもしれない。だからまずは今日一日を元気に楽しく生きるこ
と。人に笑われたりそしられても、そんな連中を相手にしなければいい。たった一度の人
生」と考えてきた。

私は社会人になってから、職場の先輩・上司などから「人生はそんなに甘くないぞ」と、
何度言われたかわからない。それでも自分の信念のままに仕事や人間関係やサークル活動
などを愉快にこなしていると、「これからが大変なんだぞ」とか、「他の部署に行けば、
もっと大変になるよ」と散々聞かされてきた。
でも、いつでもどこの部署でも変わらずに、楽勝だった。
厚生労働省ではどの部署でもやりがいのある仕事ができ、多くの仲間と野球やゴルフや組
合運動や文化運動に興じ、そして毎晩のように飲んで歌っての「愉快な日々」だった。
そして56歳になって厚労省を退職し、三重県厚生連本部に招聘されて新天地に行ったが、
ここでも楽しい4年間だった。

こうした「ゴーイング・マイ・ウエイ」の人生を歩んできたが、そうした生き方を可能な
らしめたのは、一つの「原体験」(注・人の思想形成に大きな影響を及ぼす幼少時の体験)
だったと、つくづく思う。
私が中学2年の時。
新聞配達の途中で交通事故に遭ったが、九死に一生(99死に1生)を得て復学した。
しかし、新学期早々の出来事で2か月のブランクができた。
その間に、トップクラスだった成績は急降下し、友達との交流も殆ど途絶え、頭痛と腰痛
(腰骨損傷)の後遺症に悩まされながら、再び家計のために早朝の新聞配達を再開したこ
となどで、私は孤独と不安と自信喪失と心身消耗で、呆然とした空白の日々を送っていた。
時々歩道橋や川の橋を一人でぼんやり歩いていると、衝動的に飛び降りようとする気にな
ることに気付き、それからは絶対に橋の上を歩かないように意識していた。
たかが中学生の心に「自殺」という言葉が浮かんでいたのだろう。
全く希望も喜びもない、辛く暗い日々が続いていたが、ある日、父の書斎に入って色々な
書籍を眺めていたら、一冊のパンフレットの様な小冊子があった。
表紙に「寄贈」とあったが、著者は当時の国会議員で、思想家だった。
これが、今思うと神の配剤とも思えてくる「原体験」だった。

そのひらがなが多い、万人向けの小冊子を何気なく読んでいたら、急に身体中が熱くなっ
てきて、私は夢中で読み始めていた。
中学2年でもすらすらと読める文章で、心に沁み通ってきた。
こんな感覚は生まれて初めてのことだった。

「人間は絞って空(から)にする。そこで、すべての親切がうけられる。
めぐみを受けることの出来る条件が出来上がる。
心を配る。汗をしぼって働く。力をつくす。知恵を絞る。出し切って自分を空にする。そ
れが天地のめぐみを楽しく受け入れる資格となる。良い運命の源となる」

「他人の心は他人にまかせて、自分が相手を美しく思う。人を尊く思う。
仕事を楽しく思う。どんなものでもおいしく食べる。これが心安らかな人である。
他人の思惑を気兼ねすることはいらぬ。自分が尊く思えばよいのである。
自らの心を明るく内容を豊かにすればよいのである」等々。

それから、私はケガの後遺症の不安や孤独や悲しみに陥ってきたら、すぐに家中の掃除を
黙々とするようになった。
幾つもの畳部屋の箒がけ、廊下や床の雑巾がけ、風呂洗いや庭の掃除等に励み、身体を動
かし続けた。朝夕は雨戸閉めや布団の上げ下げ、妹との炊事(父母は不在、兄は奈良の天
理高校に在学中。残されたのは私と妹と小学生の弟2人)。中学の昼食時間は、弁当持参
ができず、走って帰宅し、朝の残りご飯に冷えた味噌汁をかけて食べ、再び走って学校に
戻った。
ともかく、いそいそと身体を動かすこと。
「考えるよりも試せ。責めるよりも許せ。入れることより出し尽くせ」そう自分に言い聞
かせて行動しているうち、身も心も元気になってきた。
この時の原体験は、今に至るまで私の心の支柱となっている。

日本も世界も大変動の時代に入りました。
社会も様々に変容し、人々の価値観も生き方も多様化しています。
だが私は、これからも「ゴーイング・マイ・ウエイ」で我が道を進んでいきたい、と念じ
ているコロナ自粛中の今日この頃なのです。

それでは良い週末を。