東井朝仁 随想録
「良い週末を」

旅愁(3)

秋の気配は、朝夕の冷気を肌で感じたり、澄み渡る青空が広がっていたり、金木犀の花の
芳香に心が和んだり、紅葉や菊花やススキが目に入ったり、柿や秋刀魚や松茸などを食べ
たりした時に、しみじみと「今年も、まぎれなく秋が来たんだ・・」と感じられるもの。
これらは人間の五感である触覚(皮膚感覚)、視覚、臭覚、味覚の働き。
そう、もう一つ欠けているもの。それは聴覚。

昔なら、夜の大気が冷たい静かな路地を歩いていると、どこからかコオロギの鳴き声が聴
こえてきたものだが、今や、耳をすませば自動車の騒音ぐらい。耳に飛び込んでくる秋の
音は無い。
だが、前述の4感覚のうち、一つからでも秋を感じられると、私の場合は反射的に聴覚も
呼び起こされてくることがある。
これを能動的聴覚と呼んでも、良いのかもしれない。
例えば、日常における私の最も好きな自然の風景である、清涼な青空を仰ぎ見たとき、
「ああ、秋の空だな。きれいだ・・・」と感動していると、いつしか「♪夕空晴れて 秋
風吹き・・」という歌詞で始まる「故郷の空」という唱歌が聴こえてくる(気がする)。
もちろん幻聴なのだが、脳裏にはっきりとその歌(歌詞よりメロデイ)が呼び起こされる。
それはあたかも耳から聴こえてくる感じとなり、しばし立ち止まって、ほんのささやかな
幸福感に浸っていることがある。これは聴覚の反応と同様。頭の中にメロデイが響き渡っ
ている。

幸福感はドーパミン(神経伝達物質)によって、もたらされるという。
秋の季節を感じたとき、何となく幸せな感じになったのは、好きな歌「故郷の空」が心に
流れたからだ。その要因は好きな光景「澄み渡る青空」を仰ぎ見たからだ。
ちなみに、「好みの音楽は、ドーパミン生成を促進させる効果がある」
という、外国の研究結果も出されている。
そう考えると、日常生活における人間の五感は、どれも、むやみにおろそかにしていたら、
勿体ない。
今そこにある、たくさんの幸福感が素通りしていってしまう。

日本の四季の変化。それに伴う美しい自然と、多種多様で美味しい食べ物の恵み。四季に
合わせた粋な生活様式。そして、これらを上手に享受してきた、繊細で思いやりのある民
族性。さらには国民主権主義と基本的人権の尊重、それに恒久的平和主義を原理原則とす
る日本国憲法を尊ぶ、国民性。
日本は世界でも非常に魅力的な国土と文化を有し、慎(つつし)みのある親切な国の一つ
だと思う。
だが、今はどうだろうか?
自然は?都市と農村は?社会システムは?憲法の理念は?日本人の心は?繊細な五感は・・・・。

話を戻して。
秋になると思い出す唱歌は、前述の「故郷の空」のほか、「紅葉(もみじ)」「ふるさと
(故郷)」「赤とんぼ」「里の秋」「夕焼け小焼け」など多数ある。
だが私は、妙に「旅愁」の歌に惹かれる。
先の「故郷の空」の曲は、リズムが四分の二拍子(一つの節(区切り)で、四分音符♩を二
拍とる)というように、「イチ・ニイ」「イチ・ニイ」と、軽快なリズムである。
だから。
「♩夕空・ 晴れて・ 秋風・ 吹く
  月影・ 落ちて・ 鈴虫・ なく
  思えば・ 遠し・ 故郷の・ 空
  ああわが・父母・ いかにおわ・す」
という、チョッピリ哀感のある歌詞も、テンポよくカラッとして聴こえ、歌い方によって
は元気なマーチ(行進曲)にもなる。
だからかどうか、かってドリフターズがTVで歌って子供たちも口ずさんでいた「♪誰か
さんと誰かさんが 麦畑 チュッチュ チュッチュしている いいじゃないか・・・」と
いう歌も、このスコットランド民謡が原曲の「故郷の空」のメロデイを使用している。
リズミカルで親しみやすいメロデイだからだろう。

一方、「旅愁」はアメリカの楽曲。
私はこの唱歌が、一番「郷愁」「哀愁」をそそられる。
この歌は、1907年(明治40年)に日本語の訳詞がつけられて、国内で発表された。
ちなみに「故郷の空」は、その20年も前の1888年(明治21年)に発表されている。
どちらも欧米列強国の西洋文化を導入し、日本の近代化を図ろうとする国策から、音楽に
も外国の歌曲が取り入れられ、音楽教材として広まったのだ。
そしてこれらの歌が、それから優に100年以上も歌い継がれてきたのだが、当時の歌詞
の硬さはさておいて、今でも広く国民の間で愛されているということは、とても素晴らし
い、奇跡的なことだ。
唱歌は幼少時に学校で習ったこと、誰もが生まれて初めて本格的に覚えた歌として、長く
記憶に残るのだろう。それに多くの唱歌には、どこか「望郷の念」や「父母や朋友への思
慕」が色濃く込められており、まさに日本人のメンタリテイに溶け込みやすかったのだと
思う。唱歌「故郷(ふるさと)」などはその代表だろう。
その2番の歌詞。
「♩いかにいます 父母
  つつがなしや 友がき
  雨に風に つけても
  思い出(い)づる 故郷」
望郷の念、故郷の父や母や兄弟や友人への思慕。
そうした思いは、もしかしたら欧米もアジアもどこの国の人々にも、生まれた時から本来
備わっているだろう、人類共通の人間愛なのかもしれない。
しかし、たまたま誕生したところの国や地域や民族の違いから、そこの政治や宗教などに
支配され、教条的に思考や行動が規制・矯正され、その現象として原理主義のタリバンな
どをはじめ、世界には様々な原理と感情に支配された国や地域が存在する羽目になってい
る。
日本(に限らないが)の唱歌を現地語に訳して、タリバンやその支配下の子供や大人に聴
かせたら(その行為自体が抹殺されるだろうが)、どの様な反応を示すのだろうか?
そんな詮無い想像をするのも、ふけゆく秋の仕業か・・・。

ちなみに、「旅愁」の歌詞は次の通り。
「♩ふけ行く秋の夜 旅の空に
  わびしき思いに 一人悩む
  恋しや故郷(ふるさと) 懐かし父母(ちちはは)
  夢路にたどるは 故郷(さと)の家路

 ♩♩窓うつ嵐に 夢も破れ
  遥(はる)けき彼方に 心迷う
  恋しや故郷 懐かし父母
  思いに浮かぶは 杜(もり)の梢(こずえ)」

この歌は四分の四拍子(四分音符♩を4拍とる)なので、「イチ・ニイ・ サン・シー」と、
「故郷の空」より緩やかなテンポで、それだけしみじみとしたメロデイを味わえる。私の
好きな歌の一つだ。
話は少し飛ぶが。
小学6年生の時に、私は職員室に呼ばれ、ある女先生から「放送担当」をするように指示
された。小学生の時は部活などはなかったので、必要に応じて、何かの役割を○○委員と
して生徒に課していたようだった。
私が学芸会やクラスの行事で、たびたび朗読や司会進行をしていたから、目についたよう
だった。
それから毎日の朝礼の時は、一人で校舎2階の放送室から校庭を見下ろしながら、マイク
の調節や、退場音楽のレコードを掛けたり、午後4時になると、放送室のマイクで「下校
時間になりました。校舎にいる人、校庭で遊んでいる人は、早くおうちに帰りましょう」
とアナウンスし、その後、限られた学校のレコードから自分の好きなレコードを選択し、
下校の音楽を学校全体に流していた。
その中に、「旅愁」の演奏レコードもあった。
その静かなメロデイは、夕暮れの日差しが残る校庭一杯に、生徒が誰もいなくなるまで流
れていた。
62年前の目黒区立不動小学校の、隅のほうに紅葉した大きな樹がある広い校庭が、今で
も鮮やかに脳裏に浮かんでくる。

だいぶ以前にも述べたことだが、私は、第二次世界大戦の際に疎開していた「滋賀県甲賀
郡水口町」で昭和22年に生まれた。
しかし昭和24年の2歳の時に一家で帰京し、それ以降は東京暮らし。
その間も、帰郷したのは数回。それも実家がないので親類の家を訪問した程度。
そして結婚した機に、本籍を滋賀県から東京の目黒区に移した。
したがって、滋賀に対しては、ほとんど故郷という親しみのある感覚がない。
それでも、何かのおりに「琵琶湖周航の歌」を聴くと、洋々と広がる琵琶湖の湖岸で、釣
り糸を垂らしていた小学生の頃の夏の思い出が蘇る。

私の故郷は、40余年過ごした東京の目黒だろうか。その頃の小学校6年間と中学3年間
にできた多くの友達。社会人になって43歳まで親元の敷地内の家で過ごした日々。今も
わずかに残る、子供のころに遊びに行った古い邸宅の家並み。これらの懐かしい思い出は、
いまだ鮮明に残っているのだ。
次は高校時代の3年間を過ごした「青春の町・天理」になろうか。
学校での部活、クラス会、生徒会活動。仲間たちと繰り返したバンカラな好き焼き会や、
色々な連中が出入りしていた自室での歓談などの寄宿舎。家庭教師の謝金が入ると、仲間
と連れ立って行った、街中のお好み焼き屋やホルモン焼き屋。そしてガールフレンドと歩
いた山の辺の道や、大和三山を遠望しながら歩く夕暮れ時のあぜ道。
「つつがなしや、友がき・・・」と、今でも想い出す。

「住まいのあるところが、故郷なのではない。
理解してもらえるところこそ、故郷なのだ」(詩人・クリスティアン ・モルゲンシュテ
ルン)との格言もある。
そう。故郷は心通う人が一人でもいるところが、その人の大切な故郷なのだろう。

これからの、混迷と想定外の出来事に満ちるであろう時代。
そうした時代に、心に良き故郷を持ちながら、五感を生かして日々を大切に生きていける
人こそが、きっと悔いのない幸せな人となるのだろう。

そんなこんなの物思いにふけている、2021年の秋なのです。
それでは良い週末を。