東井朝仁 随想録
「良い週末を」

諦観から達観へ(2)

1947年生まれの私は、来年の2022年には75歳の後期高齢者になる。
その3年後の2025年には78歳に。

ということは、今から4年後の2025年には、私の4歳下の1951年(昭和26年)
生まれの人たちも75歳となり、いわゆる「団塊の世代」が大挙して後期高齢者になると
いうこと。
すると2025年の人口推計値では、日本の総人口(約1億2250万人)のうち、65
歳以上の高齢者が人口の30%(3680万人)を占めることとなる。さらに75歳以上
の後期高齢者に限ると、18%(2180万人)を占めることとなる。
ざっくり見て、国民の約3人に1人が高齢者。そして約5人に1人が後期高齢者という社
会になるのだ。

ちなみに、直近の2021年4月現在の総務省統計局の調査によると、65歳以上の高齢
者数は3630万人(29%)、75歳以上は1870万人(15%)であるから、たっ
た4年後で後期高齢者数が現在より約310万人も増加することになる。
まさに、人類史上で例を見ない「超高齢社会」が日本に出現する。
出現と述べたが、すでに超高齢社会が到来しているともいえる。今後はそれがますます顕
著になるということだろう。
参考までに、主要各国の2020年の高齢者人口の割合(%)を見ると。 日本28.4、
イタリア23.3、ドイツ21.7、フランス20.8、イギリス18.7、アメリカ16.6、韓国15.8、
ロシア15.5、中国12.0・・・。
日本は世界に冠たる(?)高齢者大国であることは歴然。
だから「2025年問題」が以前から懸念されてきた。
勿論それは、医療・介護・福祉・年金の需要が拡大し、従来の制度体系では、人(介護従
事者等の人材)モノ(施設・設備)そしてカネ(運営経費)が足りなくなり、今までと同
じ様なサービス提供の継続が困難になるという深刻な懸念。

しかし、この2年間のコロナ禍で、2025年問題に関連する国の議論がほとんど聞かれ
なくなった。
この問題の手強(てごわ)さは、「新型コロナウイルス対策」どころではないだろう。
少子化社会(特に15歳から65歳までの生産年齢人口の減少)における高齢者の増加、
とりわけ医療や介護などの手厚いサービスが必要となる後期高齢者の急増は、今後の医療
・介護・福祉・年金制度の維持・運用に大きく関係してくる。社会保障費が急増してくる
からだ。
果たして従来通りの、社会保障制度の維持が可能になるのか。

保障(給付)内容の見直し(縮減)、保障(給付)対象年齢・支給開始年齢の見直し(繰
り延べ)、保険料の見直し(引き上げ)、自己負担額の見直し(対象拡大・引き上げ)、
消費税率の見直し(引き上げ)及び新税の創設などの増税の検討等々、制度の見直しと財
源確保の方途は、我が国の政治・行政における喫緊の課題となっている。

新型コロナ対策は、ワクチンや、酸素吸入器・ECMO(体外式膜型人工肺)などの医療
機器を、アメリカやイギリスなどの先進国から輸入して対応し、それらの国の知見を応用
して感染予防・感染拡大防止・治療を行ってこれた。今後は効果的な治療薬や国産ワクチ
ンなどが遅ればせながら普及してくるだろう。今回のパンデミックも予断は許さないが、
とりあえず3~4年で収束するだろう(次の波がいつ来るかは、だれも予測はつかない)。
だが、日本にとって、高齢者対策(社会保障制度の健全な維持)はこれからもずっと続く。
日本は2005年に人口のピーク(1億2780万人)を迎え、以降は減少傾向を続けて
いる。2050年には総人口9510万人と、約3300万人も減少する半面、高齢者数
は1200万人増加すると予測されている。
コロナ対策は先進諸国にならっておれたが、これからの高齢者対策は人類が初めて経験す
る「実験」。
世界中が、その成り行きを見守り、次代での参考にするだろう。

そんな状況にもかかわらず、先日の総選挙では、公約は「コロナ対策」「経済対策」の聞
こえが良いスローガンばかり連呼し、具体性のない歯が浮くような公約を列挙する選挙に
終始した感が、今だぬぐえない。
それも、与野党ともに「国民に○○万円の給付を!」とか「消費税減税を!」などと、相
変わらず目先の「公費バラマキ公約」を振りまいていた。
ともかく、「有権者には、飴をしゃぶらせるのが一番。補助金を出す、給付金を出す、商
品券を配る、減税するなどと、国民が欲する公約を出しておくこと。国民の関心は、所詮、
自分に利益になるかどうかしか興味がない。あとは、国民の皆様の命と暮らしを守る、コ
ロナに打ち勝つ政治をすると、一生懸命訴えればOK」各党とも、そんなスタンスだった
のだろう。
立候補者の多くは「まずは当選。政策を聞かれたら、党が作った資料通り答弁しておけば
いい」といったところだろう。

そんな選挙期間中に一冊の本が出版され、関係者に驚きの声が上がった。
私も偶然に読んだのだが、それは月刊誌「文藝春秋11月号」。
話題の記事は「財務次官、モノ申す/このままでは国家財政は破綻する」と題した、現・
財務次官の前代未聞の進言文だった。
少なくとも、私が初めて触れた、日本の現職次官が民間雑誌に書いた檄文だった。
読まれた人も多いと思うが、それは「最近のバラマキ合戦のような政策諭を聞いていて、
やむにやまれぬ大和魂か、もうじっと黙っているわけにはいかない。ここで言うべきこと
を言わねば、卑怯でさえあると思います」という書き出しで始まる、財務官僚トップの訴
状のような直言だった。
「日本は、GDPの2倍にあたる1200兆円弱の借金を抱えている。もはや破綻寸前に
ある。いつタイタニック号のように氷山に座礁して沈没しても、おかしくはない。それな
のに、さらに財政赤字を膨らませる話ばかりが飛び交っている。このままでは日本は沈没
してしまう」と。

この青天の霹靂の行為に、やはり政権与党内部の一部や、内閣ご用達の学識経験者から激
しい批判が上がった。
「役人としての立場をわきまえろ!」
「日本が財政破綻することはない。借金をしても経済の再生と国民の生活を守ることが第
一だ」などと。
普段から、財務省(旧大蔵省)のエリート然とした傲慢な行政手法に不満を抱いている有
識者や他省の官僚からも、「今頃、そんなことをよく言えたものだ。借金を増やしてしま
ったのは、あんたたち財務省の責任でもあるだろう」などの批判が出た。

しかし私は、財務省の世論操作の思惑があろうかなかろうが「至極当然のことだと思う。
よく発言したものだ」と、好意的に捉えていた。
その感じは、全く希望と期待が持てずに総選挙が終わった今でも、心の中にまだ残ってい
るのです。

この続きは次回にでも。
それではよい週末を。