東井朝仁 随想録
「良い週末を」

新春の雑感(2)

(前回の続きです)

私は元旦の朝、子や孫たち全員が揃っての会食で、熱燗をゆっくり酌み交わしながら、皆
のお喋りを聞くとはなしに聞いていた。
そして「子供や孫たちは、私らの世代とは異なる時空に移行している。これから先はきっ
と、さらに次元を異にしていくのだろう。社会も時代も、果たしてどう変化していくのだ
ろうか」という感慨に耽っていた。
こうした我が子や孫たちとの異質感は、何から生じているのか。
その具体的な表徴として、私と子供達との「旅する力」「言語力」の相違をあげられる、
と思った。
同時に「それは、私の勤めた官庁の環境が遠因だろう」とも思った。

私は、18歳から早稲田大学の第二文学部に通学し、夕方から夜の10時過ぎまで授業を
受け、同時に厚生省(現・厚生労働省)に就職し、朝から夕方まで勤務して学費と生活費
を稼いでいた。
学校では社会学や心理学や国文学や英語などを学び、ゼミで討議したり、種々のレポート
や卒論を書いていた。
職場では色々な仲間と知り合い、種々の遣り甲斐がある業務につき、年20日の有給休暇
を使いまくって旅行やゴルフや行楽やデートを自由奔放に謳歌し、さらに民間のように売
上とかノルマとかの競争も無く、倒産や経営不振の心配は1%も無く、給料日が来ると黙
っていても給料が支給される。私にとって実にメリットが多い職業・職場・業務だった
(注・これは私個人の実感であり、一般的ではないが)
しかし、今考えると、強いて上げればデメリットも2つあった。

一つは前述した「30数年間、厚生労働省では語学とは無関係」だったこと。
それは各省庁本省に勤務する、他の多くの国家公務員も同様だったと思う。幾ら大学時代
の外国語の成績が良かったとしても(私は英語は全優だったが)、当時の霞が関の行政職
では、特に語学や英会話が必要とされる場面はなく、民間と比べて「国際化」もスローペ
ースだった。
業務の中枢は、日本の法令に準拠した、国民・日本在留外国人に対する種々の行政施策の
立案・施行。予算の計上・配分。都道府県・関係機関等の指導・監督。そして法令の改廃。
こうした組織と仕事の性格上、語学というか、英語を使用する機会は殆どなかった。
あるとすれば、海外出張というイレギュラーな業務が入った時だけ。
ごくたまにある外国人の来訪でも、それは通訳が同行していたり、本人が日本語をある程
度話せるので、会話に支障がなかったりした。
そもそも国内外での国際会議や委員会には、局・部長級と担当技官が出席し、だいたいが
通訳も出席し、併せて外務省職員も通訳として同行するケースが多かったと思う(海外留
学・在外研究機関・WHO勤務の経験がある技官等も、ある程度自分でスピーチしていた
が、公式会議ではまず専門の通訳が対応)。
また、細かな会話が必要な問い合わせや、国際的な問題については「大臣官房国際課」や
外務省に回していた。

各省庁の本省では、外務省や出入国在留管理庁(法務省)、税関(東京税関など全国9か
所・財務省)や海上保安庁(国土交通省)などの省庁は別にして、少なくとも私が56歳
で退職した約20年前までは、そんな感じだった。
現在では各省庁とも、激動する国際情勢に即応できるよう、グローバルな観点からの行政
施策の推進に努め、積極的に語学力のあるマンパワーの確保・育成を図っていることだろ
う。
私が在籍していた当時の厚生労働省では、本省の国際課と各局の技官の一部、検疫所の検
疫官や食品衛生監視員、あるいは国立病院や試験研究機関の職員などは、それ相応の語学
力があったと思う。
それは、「毎日の業務を遂行するために」基本的な語学力が必須だからだ。会話も書類の
読解も記述も。
そして、勤続年数を重ねるごとに語学力も磨かれ、上達していくのだ。
まさに「オンザジョブ・トレーニング」(職場で仕事をしながらの実地訓練)の賜物。
私の30数年の厚生労働省勤務(数年、政府系金融機関に出向)においては、幸か不幸か
英語などの語学を要する業務ポストは、殆ど無かった。
また、語学研修の制度も無かった。

こんなことがあった。
私が25歳の時、4月の人事異動で統計調査部という職場から霞が関の環境衛生局に異動
し、その3か月後に再度、新設なった「家庭用品安全対策室」の総務係員として異動した。
新設の室長、室長補佐、事業係長には薬学系技官が、それに事務官は総括室長補佐、総務
係長と私とアルバイトの女の子の、総勢7名。
私は当初、新室立ち上げの庶務的な仕事と、法律条文や関係予算書の勉強をしていたが、
余りある時間を持て余し、私はコピー取り(当時は、ようやくゼロックスのコピー機が局
に1台配置された)や、他課他局他省庁への使いなどの雑用をどんどん引き受け、さらに
廊下トンビをして、他の若い職員やアルバイトの女の子との立ち話を楽しんでいた。
あとは、机で予算書や回覧書籍などを開いて、他の事を考えていた。
するとある日の昼休み、時々帰りに一緒に飲んだりしていた二つ年上の薬剤師の係長から
「東井さん、良かったらこの英文を訳してくれない?暇な時でいいですから」と、小さな
声でたずねられた。私は「わかりました」と言って笑顔でその書類を受け取った。彼の私
への配慮だと直感した。普段から大人しく黙々と仕事をしている彼も、ニッコリと微笑ん
で英文の印刷物を手渡してくれた。
資料の内容は、「家庭用品に含有されている有害物質のことや、その外国製品、衣料や食
器や家具等」に関する著述だった。これからの省令制定のために必要な、委員会や審議会
に諮る資料に資するものだと思った。
勿論、私の作業は粗々(あらあら)の訳文になる。それを係長(注・英検1級)が正確に
添削する。それでも役に立つ。私も勉強になる。
そう考えて、庶務のルーチンの仕事が無いときは、常に辞書を脇に置き、英文和訳の作業
に励んだ。
しかし、その充実した期間はわずかだった。
1週間後、日ごろから「上にはゴマをすり、下には威張り散らす」ことで何かと評判な総
務係長から「東井君、君は何をしているんだ?」と咎められた。
私は「A係長から手の空いている時に英文を訳してくれる?と言われたので、協力してい
るんです」と答えた。
すると「そんなことをやるより、予算書の勉強をしろよ。君は事務官だろう?!予算書と
予算説明資料をよく読んだのか?」との怒号が返ってきた。
室内はしんと静まり返り、誰も無言だった。
私は頭にきて「予算書、予算書というけど、もう何十回も目を通していますよ。総務とし
て、手の空いている時に他の係りの手伝いをしてもいいんじゃないですか?同じ室なんで
すよ!」と言い返した。
するとA係長がやってきて「東井君、ありがとう。いいよいいよ」と済まなそうな表情で、
資料を持ち帰った。
全く情けなかった。
その翌年の春、私はまた新設なった「指導課」に異動した。
室の勤務は、半年余りだった。
そして1週間の英文和訳の業務も、役所人生でこれが最後だった。

これは自分の日頃の勉強不足を棚に上げた、贅沢な言い分になるが、「語学に無関係だっ
た業務。強いて上げれば、これが役所勤めの一つのデメリットだったかも」と思った次第。
(だからといって、それが残念でも後悔のタネでもない。話のタネ)

最近では、駅の職員や交番の警官、あるいはデパートの店員らが、流暢な英語で外国人の
質問に答えている風景を、しばしば見かける。
そのたびに、「仕事は人なりか」と感心する。
皆、短い研修を終えた後は、現場に立たされ「オンザジョブ・トレーニング」を必死にこ
なして成長していくのだろう。
これが現代の時代と我々が働いていた時代の、大きく変化した点だろう。
別に語学の分野だけではない。エッセンシャル・ワーカーだけでもない。どんな分野でも
「オンザジョブ・トレーニング」は大切だと思う。

しかし、国家公務員は官僚主義が貫徹し、採用時の資格・職種による身分制度が退職時ま
で岩盤のように固定されてしまうので、殆ど本人の「成果・精励」は考慮されない。事務
官は事務官の、技官は技官のレールが定まっている。これら二つの職能層に、採用試験で
合格した上級職・中級職・初級職の序列ごとに定められた職務・職階級制度によって、身
分が定められていく。
その厳然とした官僚システムは、江戸時代の封建制度そのもの。
士農工商の世界。
武士に生まれたら、無能でも誰でも終生、武士の身分。
農民の出自だったら、下克上の戦乱の時代以外は、死ぬまで農民の身分。
現代では同様に、国家公務員制度における本省の行政職(他に、医療職・教育職・研究職
などにわかれる。厳密には本省の運転手や守衛さんは、行政職(二)の分類で技官となる)
では、事務官でも上級職と中・初級職では、特急と鈍行ほどの昇給昇格の格差が付き、終
点ポストも雲泥の差が付く。
同じ技官でも、医系・獣医師系・薬学系・衛生工学系・数学系・保健師・栄養士系等々・・
で、局長や審議官や課長ポストの占有率は大きく異なる。
さらに厚生労働省では出世頭の、同じ法令事務官でも医系技官でも、その者の出身大学・
学部や、さらには先輩の贔屓により、重要課長ポスト(各局筆頭課長・会計課長・人事課
長・総務課長)以上の局部長ポストの占有率に格差が出てくる。
その結果、多くの職員の評価が最悪で無能な者でも、前述したとおり入省時(22歳~)
の資格だけで階段を速いスピードで難なく登っていき、あとは、専門知識が乏しくても、
口八丁で如才なく振舞う者が、霞が関では「できる奴」風に見立てられて、要職について
しまうことも珍しくはない。
そうした封建制がまかり通っているのは、日本ではもはや霞が関村だけではないだろうか。
いや現代では、霞が関も大きく変わっているかもしれないが。誤った点があればご容赦を。

昔から「公務員制度改革」が唱えられてきたが、いつも掛け声だけで終わる。
それは既得権益を手放したくない連中が、国益より省益、省益より自己益が第一で、常に
同じ類の者を引き上げて国家の中枢を占めているからだろう。
そして「不満のある者は辞めればいいじゃないか」「公務員試験を受けなおせばいいじゃ
ないか。全て自己責任だ」の論理で片づける。
だから志のある優秀な役人は去り、国益より自己保身を優先する者が残る。
多くの国家公務員は「あきらめ」「追従」し、霞が関のモチベーションは低下する。
そんな状態が続いたら、国民のための大胆な改革は出来ない。国の発展はない。衰退して
いく一方だ。
今の時代は、そんな危うさが漂っている。
私にはそう見えるのだが。

私が以前から主張していることだが、22歳時の入省試験の結果のみを絶対基準とし、そ
れをその役人人生の最後まで旧態依然として適用するなど、あまりにも時代の趨勢・要請
・常識と乖離していると思う。
何をするにも前例主義・保守主義・事なかれ主義・減点主義がまかり通てしまう。
私は例えば、一定基準を満たした者なら誰でも受験できる課長職昇任試験制度(従来の事
務官ポストに技官がついたり、その反対も可能としたり、ノンキャリアが従来のキャリア
ポストにつくことを可能にしたり、筆記・論文・スピーチ試験と共に、関係局の職員全員
による「適・不適」評価投票の結果を参考にしたりする)を導入し、その資格取得者たち
の中から、順次適材適所の課長ポストに配置していく仕組みなど、国家公務員の人事制度
の抜本的改革を、すぐにでもやるべきだと思う。
激動する国内外の情勢に的確に対応し、冷静で的確な判断力と、組織をいきいきと動かす
指導力を兼ね備えた者。そんな有望なリーダーをどんどん確保・育成していかないと、霞
が関は「忖度」と「調整=その場しのぎ、先送り」だけ上手な小物ばかりになり、劣化の
一途を辿っていくことになるのではなかろうか。
そもそも、若い職員のモチベーションをあげていかないと、まさに「日本沈没」になって
いく予感がする。

さて、話が脱線したので元に戻ります。
今まで「私の子供や孫や家内と比べて、私の語学力(英語)は落ちる。それは経験の差が
もたらしたもので、私の仕事と生活環境に起因するのだろう」との感想を述べた。
でも、「経験は時間の長さに比例し、年長者のほうが経験が豊富なのでは?」と首をかし
げる方もおられると思う。
そこで、「いやいや、まずは時間の長さより、例えば語学にかかわる時間の濃密さだ」と
私は痛感しているのだが。
そして、そのことはもう一つの相違点、「旅する力」とも関連してくる。

この続きは、次回にでも。
それでは良い週末を。