3月10日に思う |
今日は3月10日。 朝から晴天で、穏やかな日和。 関東では先日の5日に「春一番」が吹いた。 ようやく春の季節が到来。 しかし毎年この時季になると、変わりやすい空模様のように、私の心模様も社会の状況も 何となく不安定になるようだ。 「何かが起こる」妙な予感が心をざわめかせるのだ。 その主因は、1995年3月20日に起こった「オウム真理教による地下鉄サリン事件」 や、2011年3月11日に発生した「東日本大震災」など、戦後の我が国の歴史に残る 大事件・大惨事が想起されるからだろう。 さらに歴史を遡ると、1945年3月10日に、アメリカ軍による東京大空襲があった。 1941年に日本のハワイ・真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争も、アメリカの圧倒的な 軍事力で日本は追い込まれ、いよいよ、アメリカ軍は1944年11月から日本本土への 空襲を開始した。 当初は、東京、名古屋、川崎などの軍事施設が標的だったが、さらに民間施設・住宅など 全てを対象とした無差別攻撃を展開。東京の下町は焼き尽くされ、8万人以上(公になっ た数字。実際はもっと多かっただろう)が犠牲になった。 あれから77年後の今日。 私は朝食後、自宅から徒歩10分の三軒茶屋にある喫茶店に行き、珈琲を飲みながら朝刊 を読んだ。 家では、家人などは珈琲メーカーで飲んでいるが、私は行きつけの喫茶店で飲むのが、近 年のルーチンに。 今朝の朝日新聞では、第1面トップに「緊迫の人道回廊」「狭まる包囲網 攻撃激化の恐 れ」との大きな見出し。 3面以降も「キエフ再攻撃へ集結」「ロシア軍建て直し3方向から」と、いよいよロシア 軍の首都侵攻、ウクライナの被害拡大の戦況が報道されている。 新聞の報道といっても、現地の日本の特派員ではなく、「ロイター通信」や、「ワシント ン駐在の記者」の記事になっている。 (注・各国のマスコミによる取材・報道に対し、ロシアが「フエイク・ニュースを流した 者は、逮捕・拘束する」と一方的に厳しく監視しているので、報道関係者は殆どウクライ ナから撤退しているようだ。したがって唯一のリアルな現状は、戦火の中で息をひそめて いるウクライナ国民によるSNSでの送信が頼りのようだ) 私が、このウクライナ戦争関連の国内動向で、最も気になることは「やはり核兵器がない と、敵になめられて侵略される。 核は戦争の抑止力になる。日本も欧州のように早急に「核シェアリング(共有)をするべ きだ」という国会内外での、一部有力政治家や評論家の発言。 私が最近読んだ、フランスの歴史学者・エマニュエル・トッド氏の「老人支配国家日本」 (文春新書)でも、「米国の核の傘は、フイクションにすぎず、存在しない。 核を使用する場合のリスクは極大で、核使用は自国防衛以外に使うことは、あり得ない。 米国が自国の核を使って日本を守ることは、絶対にあり得ない」とのべ、日本が抱いてい る「日本には米国の核の傘がある」という幻想に警告を鳴らしている。 氏は、さらにこう述べている。 「核とは戦争を不可能にするものだ。欧州とロシアは非常に敵対的な関係にあるが、この 緊張に歯止めをかけているのが、核の存在。ウクライナ危機にもかかわらず、全面戦争に 至っていないのは、核による恐怖の均衡があるからだ。相互壊滅の可能性があるがゆえに です。核の不均衡は、それ自体、国際関係の不安定化を招くのです。既存の核保有国・中 国に加えて、北朝鮮までが核保有国になってしまう。これはあまりにもおかしい。こう考 えると、もはや日本が核保有を検討しないということは、あり得ない」 しかし、今朝の朝日新聞の「公論」では、一橋大学教授の秋山信将氏が、こう述べている。 「核さえ持てば抑止に、という考えは安直です。 欧州の核共有を日本で踏襲するなら、核爆弾の投下は日本が担い、使用の決定は米国と協 議する。米国の同意なしには使えない。例えば中国が日本に侵攻するとすれば、戦術核が 配備された日本の基地をまず無力化するでしょう。 核を単独で持つ場合も、中国に勝つシナリオを見出せません。 中国に『負けるかもしれない』」と思わせなければ、抑止のチキンゲームでは見透かされ ます。国土の広さや国富の集中度を考慮すると、中国よりはるかに大きな核戦力がないと、 日本が勝てる見込みはない。やはり、日米同盟の実効性と信頼性向上が重要だと思います。 核さえ持てば抑止できるなどという大雑把な議論ではなく、大きな国家戦略と目標から安 全保障戦略、必要な装備へと順序立てた思考をすべきです。 熱を帯びた声に流されてよい問題ではないのです」 私はこの論評に同調する。 そもそも、北朝鮮が「侵略からの防衛」を大義として核保有に走った時、日本はこれに断 固反対して、国際的に様々な制裁をかけて今日に至っているが、いまになってこの日本が、 その北朝鮮やロシアの主張と同様の理論を持ち出して、核保有の必要性を提唱するとは! まさに自己矛盾だが、、、。 ここは「戦後一貫してきた日本の核兵器廃絶の方針転換」を図るなら、それこそ国民が納 得するような整然とした理論をもって説明してもらいたいものだ。 有事になると、感情的になって慌てて物事を決める「熱しやすく冷めやすい日本の国民性」 からだろうが、嫌な予感がする。 予断を許さないウクライナ戦争の激化。そして今後十分に予測される国際情勢の一層の緊 迫化や経済の悪化等々。 日本の政治対応は、新型コロナ対策同様に全てにおいて後手後手の感がある。 憲法改正議論と同様、核保有を含めた日本の安全保障については、国会で堂々と議論して 貰いたい。そして、その結果をすみやかに国民投票で国民に諮ってもらいたいものだ。 そんなことを考えた、2022年3月10日。 庭先の沈丁花が咲き始めました。 空は快晴。 良い日和。 今夜は上弦の月。 明後日は「奈良・東大寺二月堂のお水取り」 今年も春がやってきました。 何事もない、平和で穏やかな日々が、一番の幸せ。 ウクライナに、春が戻ることがあるのでしょうか。 今年の春も、一生忘れられない春になりそうです。 それでは良い週末を。 |