東井朝仁 随想録
「良い週末を」

花を贈りたい

今は3月16日(水)午後3時。
天気晴れ。現在の気温20度前後。
春本番の気配になってきました。
東京の桜の開花日は概ね3月18日と予想されていますが(発表者によって、相違がある)
果たしてどうでしょうか。
3月21日が期限の、東京都の「新型コロナまん延防止等重点措置」(まん防)は、解除
されるでしょうか。
現時点では、開花もまん防も公式発表はなされていませんが、この数日ではっきりしてく
るでしょう。

世田谷区内の梅の花は、満開です。
私の家の小さな沈丁花も満開です。
これからは、コブシ、ボケ、マンサク、ヒアシンス、レンギョウ、ハナショウブ、アネモ
ネ、アマリリス、カーネーション、チューリップ、モクレン、カイドウ、カンパニュラ、
シャクナゲ、シャクヤク、ツツジ、ハナミズキ、マーガレット、ポピー、ボタンそしてバ
ラ等と、春から初夏にかけての可憐で美しい花々が、次々と咲いてくるでしょう。
余程の災害や異常気象や戦争がない限り・・・。

私はどの草花も花木も好きですが、白いモクレン、白いハナミズキ、白いシャクヤク、紫
のカンパニュラ、紫のハナショウブ、赤いカーネーション、赤いボタン、そして深紅のバ
ラの花が大好きです。
白い花は柔和と清純、紫の花は高貴と謙虚、赤(紅)は情愛と勇気を感じさせてくれる、
と自分勝手に思っているのですが。
歌の世界でも花をモチーフにした歌が多く、それぞれが人々の心に想像の花を咲かせてく
れるようです。

例えば。
日本の著名な作詞家の一人だった西条八十氏が作詞した「花言葉の唄」
「♩可愛い蕾よ きれいな夢よ
  乙女心に よく似た花よ・・
  白い花なら 別れの涙 紅い花なら 嬉しい心
  青い花なら 悲しい心
  咲いたらあげましょ あの人に」

同様に、西条八十氏の作詞で、舟木一夫が歌った「花咲く乙女たち」
「♩カトレアのように 派手な人
  スズランのように 愛らしく
  また 忘れな草の花に似て 気弱でさみしい目をした子
  みんなみんなどこへ行く 街に花咲く乙女たちよ・・・」
他にも、例を出したらきりがないですが、都はるみが歌った「散華」と、昭和25年に岡
本敦郎が歌った「白い花が咲く頃」は、人生で一度は聴いておいても悔いは残らないはず
です。
まさに春の全ての花は、人々に希望を誘ってくれるようです。
最後に、やはりこの歌この花をあげずして、春はありません。
それは、宝塚歌劇団の定番「すみれの花咲く頃」

「♩すみれの花咲くころ 初めて君を知りぬ・・・」
この歌を初めて正式(?)に聴いたのは、私が小学校を卒業する前週の土曜日に行われた
「謝恩会」で。
私は放送部の責任者として、そして最後の活動として、舞台袖に設置された放送席に座り
ながら、舞台で行われる校長や来賓者の挨拶、様々な出し物の司会進行を行っていた。
そして、いよいよプログラムの最後を迎えた。
「えーっ、本日の謝恩会もお開きの時間になってきました。
それでは最後に、PTAのお母さまたちによる斉唱で、すみれの花咲く頃を、お聴きくだ
さい」
よし、これでうまくいった!と思った瞬間、放送部担当の女先生が飛んできて、「東井君、
サイショウではなく、斉唱(せいしょう)。もう一度、言い直してね」と言われて、びっ
くり。
プログラムの紙に記された「斉唱」の斉の字を「斉藤のサイ」とインプットしていたのだ。
私は、すましてもう一度「失礼しました・・PTAの皆様による斉唱(せいしょう)で」
と言い直した。そして、ほっとした気分で舞台に目をやった。
舞台のどなたも張り詰めた雰囲気の中、明るく晴れやかな歌声を部屋いっぱいに響かせて
いた。
どの顔も溌溂として若々しく見えた。

謝恩会の片付けも終わり、放送部の担当先生に「今日はご苦労様でした。よくできたわよ」
と褒められ、私は春の風で砂塵が舞う校庭を、一人で歩いて下校した。
内心「うちのお母ちゃんも、ああいうふうに歌えるだろうかな・・」と想像しながら。

春が来ると、決まって「♩すみれの花咲くころ~」の歌声が、脳裏をかすめ、あの頃見た、
あちこちの野に咲く薄紫のすみれの花を瞼に思い浮かべるのです。

今は太陽も西に傾きはじめ、今日という日も無事に終わりそうです。
これから夕食。
そしてまた、ウクライナの悲惨な状況をテレビで観ることになるでしょう。
カンパはしているが、他には何もできない。
せめて、ウクライナ国内の人々、国外に脱出した難民の人々に、花のメッセージを贈りま
す。
瞑想で贈る花は、ウクライナの国花「ひまわり」。
花言葉は「あなただけを見つめる」
そしてもう一つの花は「スズラン」
花言葉は「再び幸せが訪れる」
そうした願いを込めて・・・。

それでは良い週末を。