花冷えの4月1日に思う |
今日は4月1日。 今は朝の9時。2階の窓から仰ぐ空は薄曇り。 昨日の陽気は一転し、外気は冷たく、近くの家の満開の桜花も、心なしか朝の冷風に震え て見える。 今日は新学年、新事業年度のスタート日。 今年の1年は、暦の上では元旦から始まっているが、「今年の実質」は、国や会社などの 事業年度、学校の新学年がスタートする今日からの1年にある気がしている。 今の私は、勤労者でもなく経営者でもなく、生徒・学生でもないが、今年も「さあいよい よ、今年の活動開始だ」という、微かな緊張感を覚えた。 それは、今年の年賀状に記した挨拶文の気持を、再認識したからだ。 ここでその年賀状の文面を再掲すると。 「 この1年 新年おめでとうございます。 さて、世界も日本も未曽有の出来事に次々と見舞われる予感を禁じ得ない「あまりおめ でたくない状況」にある中、私も75歳という人生の節目を迎えました。でも「元気で 生きていられる」からこそ迎えられた新年。自然と「おめでとう」の言葉が出ます。そ して「これからは来年、再来年などのことは考えられない。大切なのはこの1年。この 1年に希望を託し、悔いなく過ごす!」の心境なのです。 どうか、本年もよろしくお願い致します。 (なお年賀状は、今年限りでやめます。これからは直接お会いしたり、電話やお手紙や メール交換などでのご厚誼を賜りますよう、何卒よろしくおねがいいたします)」 改めて記すことでもないが、世界中が今、ロシアが仕掛けたウクライナ侵略戦争の行方を 固唾をのんで見守っている。 特に、旧ソ連から独立したNATO(北大西洋条約機構)加盟諸国へのロシア侵攻が開始 されれば、台湾侵攻を虎視眈々と狙っている中国や、ロシアや中国をミサイルで援護し、 両国の同盟国の地位を得たい北朝鮮もロシアに加担し、ここに民主主義陣営(欧米・EU ・英・豪・日本等)と、権威・専制主義陣営(ロシア・中国・北朝鮮等)による第3次世 界大戦が勃発することも、今や絵空事ではなくなってきた。 まさに、先日の防衛大学卒業式で、余り断定的な言い回しをしない岸田首相が「今や、日 本も世界も、戦後(第二次世界大戦後)、最大の危機を迎えている」という言葉を述べた が、国の最高責任者ならではの最高機密情報を知り得ているからこそ吐露せざるを得ない、 痛切な言葉に感じられた。 感染者数の高止まりと、オミクロンの派生型の急拡大から「第7波に突入か」という状況 にある新型コロナ感染症。 果てしなく続く新型コロナ対策。その副作用としての経済活動の衰退。ロシアの経済封鎖 の副作用で出てきた、食料・原油などの原材料不足から生じる物価上昇。この3週間ほど で10円も下落した円安基調が招く為替。現場を知らない、専門的英知に乏しい政治家と 官僚が会議室で作成した、聞こえのいい口先だけのスローガンで、何一つ達成しなかった 「アベノミクス」。アベノミクスの異次元緩和の超低金利政策を、日銀が9年も行ってき ても、全く上がらない勤労者の賃金。新たな産業・技術創出や世界のデジタル・AI革命 に周回遅れの日本。 先日も突然に首都まで大きく揺れた宮城県沖地震(昨夜は千葉県北西部)先日、「日向灘 で巨大地震が起こる確率は、この30年間で80%」と専門家会議が発表したが、そもそ も10年前の東日本大震災直後、「首都圏直下型の巨大地震が、30年以内に起こる確率 は70%」とかの予測は、現時点でどう評価・修正されているのか。かっての民主党政権 崩壊の原因が、当時の党幹部・議員に専門家を加えて、しっかり総括されて有権者に広く 報告されているのか。 兎も角、何もかもが評価・検証されることなく、うやむや。 国会も社会もマスコミも、まだまだ相変わらずの平和ボケ。 「その場さえよければ、自分さえよければ」のていたらく。 パンデミック、春夏秋冬次々に起こる大自然災害、 巨大地震・火山大噴火、老朽化した全国のインフラ(高速道路・鉄道・上下水道・橋・ト ンネル・公共施設等)の崩壊、 ロシアのウクライナ侵略戦争のエスカレート・拡散、円安・インフレ・景気悪化・企業倒 産・金融破綻そして経済大恐慌、社会の混乱・荒廃そして戦争・・・。 歴史は繰り返すのか。 これらのことは、毎日、テレビや新聞を見ていれば容易に想像できること。日本は非常に 重苦しい状況に入っていると。 私にとって、この様な不安と不満と無力さに満ち満ちた時代は、まさに人生で初めての経 験。 だからといって、それでは今を生きる私たちはどうすれば良いのか。自分が何をすれば良 いのか。その答えは見つからない。 母に「ともひと、自分ではどうしようもない社会のことで、いつまでも悩んでいても仕方 がない。あまり先案じせず、最後はなるようにしかならないと、腹をくくることも必要だ よ」と未成年の頃に言われたことを想い出す。 しかしこの言葉の意味は「嫌なことは、見ない、聞かない、考えない」で、知らぬふりを して楽しいことだけを考え、楽しいことだけを行って過ごすこと、ではないと思う。 事実を正しく知ったうえで、最悪の状態を予想し、これに対して自分で出来うる十分な準 備をして、「あとはなるようにしかならない」と覚悟を決めることだと思う。それが悔い のない処し方なのだと。 人によっては「苦労性は損だよ。何事も楽天的に捉えればいいんだ。酒でも飲んで陽気に なって、嫌なことは考えないことだよ」と、したり顔で言う人もいる。これも違うと思う。 平和ボケの平時の時はそれでよし。 しかし、ウクライナの難民の人々が傷を負った身体で、涙を流して語るのは「まさか、数 日前まで平和で豊かな生活をしていたのに、こんなことになるなんて・・・」 その言葉が痛烈に胸に響いた。 日本でも、いつどこで何が起こってもおかしくはない状況になった。 そうした状況を見据え、達観すること。 そのことが重要なのだろう。 覚悟はしておいて、憂いはない。 私の今年の年賀状の言葉は、まさに「この1年」なのです。 世界や日本や地域や家庭なども、そしてその中で生きる自分も、この1年を「無事で安ら かな日々」にしたいもの。そのためには「一日一日を悔いなく大切に生きる」ことこそ、 自分に与えられた人生の最終章の命題ではないかと確信しているのです。 「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」 今は正午を過ぎ、窓外には春の柔らかな陽射しが光っています。 これから街に出て、散る桜を愛(め)でてきます。 「散る桜 残る桜も 散る桜」 さあ、今日から新たな年度のスタート。 喜び、嘆き、苦しみ、楽しみ、そして感謝して今を生きることこそ、自分に与えられた権 利と義務と思っている、春爛漫の4月1日なのです。 それでは良い週末を。 |