夏の日の陽炎 |
今日も暑い。 東京は、昨日まで5日連続の猛暑日(最高気温35度以上の日)。 今日も朝の予報では、猛暑日の可能性があるとのこと。 新記録の更新中。 6月の気温としては、前代未聞、空前絶後、想定外の異常気象。 しかし以前にも述べたが、これからはそうした想定外の出来事も常態化して「想定内」に なるだろう。 地球温暖化による異常気象現象の出現は、予測以上に早まっているのではなかろうか。 来年以降は40度以上の「炎熱日(?)」の月間日数が取沙汰されるようになるのかも知 れない。 「今日は真夏日(30度以上)だから、しのぎやすい季節になりましたね」などと、時候 の挨拶を交わすようになるかも知れない。 一昨日は日帰りで長野県の佐久市(にある拙宅)に行ってきたが、向こうも暑かった。 10年前に、当地の北国らしい風景と夏の清涼な気候に魅せられて、小さな別荘風のセカ ンドハウス(疎開先)を建てたのだが、その頃から「まさか」「想定外」の気候に変わっ てきていた。 当時、地元の人は「こっちは、クーラーなんて必要ないよ。 夜は布団をかけて寝ないと、寒いぐらいだ」と、夏の快適さや冬の降雪の少なさを語って くれていたのだが。 私は築3年後に、エアコンをリビングに設置した。 日中はクーラーをかけないと、蒸し暑くて「別荘気分」どころではない。全ての部屋の窓 を開けて風通しを良くしても、昔なら田畑を渡ってきた清々しい涼風が吹き込んできたが、 今は熱気が飛び込んできて暑苦しくなる。だから、窓を閉めてエアコンを入れ、人工の涼 風になごみながらCDプレーヤーのボリュームをあげて、音楽を聴いている。 話は変わり。 時は1979年(昭和54年)前後。今から43年ほど前。 当時の日本は、イランから「対日原油供給量の削減」を通告され、第2次オイル・ショッ クに見舞われていた。 (注・第1次は1970年代前半。石油価格の高騰による「狂乱物価」で、1974年 (昭和49年)の国家公務員の給与も、約29%という途方もない賃上げが図られた記憶 がある) このため当時の大平内閣は、石油・電力エネルギーの徹底した節約を訴えていた。 そして、「夏はクーラーを止め、涼しい服装で過ごすこと」として、大平首相自らが開襟 シャツ・半袖ジャケットなどの服を着て、いわゆる「省エネ・ルック」の着用を国民に提 唱していた。 思えば、この程度の省エネですんでいたのだから、まだ地球温暖化も今ほどは顕著ではな く、どこか牧歌的でもあった。 大平首相も鈍牛と揶揄されていたが、優秀でいい人柄だった印象がある。 喫茶店などには「インベーダーゲーム」というゲーム機が置かれ、大ブームを起こした。 これが今日の娯楽産業のあけぼのだった。街を歩くとソニーが発売した「ウオークマン」 で音楽を聴きながら歩く若者が溢れてきた。各企業とも、様々な技術を駆使し、画期的な 商品を発売・ヒットさせてきた。 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という本がベストセラーになった。ハーバード大学が 出版した「経済成長する日本式経営のシステム」を評価した原書の翻訳書だった。 当時はまさに、日本がバブル経済に向かう熱き時代だった。 話は戻り。 佐久に拙宅(セカンド)をたててから、10年がたった。だがこの間にも気候は変動した。 先日、NHK・TVを観ていたら、アナウンサーに「この6月の猛暑日の連続は、予想さ れていたのでしょうか?」と聞かれた気象庁の人が「いや、予想はしていなかったですね。 予想できませんでしたね」と答えていたが、今までなかった北海道の6月の梅雨や集中豪 雨も、そして全国的な今夏の電力不足も、まさに予期し得ぬことだったのだろう。 それだけ、地球の自然環境は専門家の英知をはるかに超えて、「悪化度」が急速に進んで いるのだ。 「とりあえず、今さえよければ」の場当たり的な対処ではなく、中・長期的な対策を講じ ていかないと、日本は全ての分野で他国の後塵を拝し、劣化・衰退していくのが明白だ。 世界は経済(金儲け)至上主義で利権争奪戦に狂奔し、山や森や海や空の資源を伐採し、 採掘し、捕獲し、撹拌し、乱開発し、大量消費・大量廃棄に明け暮れてきた。まさに地球 の資源環境を食い散らかしてきたのだ。 「今さえ、カネさえ、自分たちさえ」良ければ、他の国や後世の人達のことなど、知っち ゃいないとばかりに。 ○○ファーストなどの言葉は、米国のトランプ前大統領が発してから、日本でもよく聞か れるようになったが、私には「自己中心主義」の同義語にしか感じられない。 ロシアのウクライナ侵略戦争に見るように、さらに世界は自国の利益と価値が最優先でエ ゴをむき出し、それぞれの国が利益を共通とする同盟を結んで、自分たち以外の国には敵 対・憎悪の外交戦略をエスカレートさせている。 結果、食料・エネルギー等の需給変動が激しく、世界の多くの人々が飢えに苦しみ、死の 恐怖にさらされている。 今や「脱炭素社会を目指そう。石炭や石油からクリーン・エネルギーに!」と叫んだ言葉 は死語に近く、石炭・石油エネルギー獲得に奔走する国も少なくない状況になってしまっ た。 「これでまた、地球崩壊・人類消滅へのカウントダウンが進んだ」と 私はほぞをかんだ。 「やはり、これが大宇宙の摂理なのか。あまたある星は消滅し、そして無数の新星が生ま れる。これが宇宙の輪廻だとしたら、この地球もそろそろ消えてなくなっていくのだろう」 私は、人工冷房の風が流れる閉め切った部屋の窓から、遠方の建物の広がりを眺めながら、 そんなことをふっと想像していた。 太陽の鋭い光が乱反射し、いろいろな建物から陽炎が揺らめいて見えるようだ。 太陽は私が生まれてから今日まで、何も変わらずに輝き続けているが、私たちの社会は絶 えず争い、興亡を繰り返してきた。 人間一人一人に与えられた命の時間は、悠久の宇宙の流れからしたら、瞬きほどの時間し かないというのに。 そのごく短い人生も、カネと自己保身が唯一の目的で、ただただ無関心・無作為・無責任 ・無感動に毎日を過ごしていくとしたら・・・。 私には、とても想像ができない。 午後の陽射しは、ますます強くなってきたようです。 「神よ、夏の太陽のような燦然と輝く光を、私の心にも少し 与えてください」 そんな白昼夢をみている、6月最後の日の昼下がりなのです。 それでは良い週末を。 |