ひとすじに生き抜くべし |
先日の土曜日・日曜日は、名古屋と三重県の津市に行ってきた。 私はとりわけ近年、「今できることで今したいことは、今やる!」を日常の信条としてい るので、旅行前日に安倍元総理が凶弾に倒れるショッキングな事件があり、日曜日は参議 院議員選挙があったが、予定通り旅行に発った。選挙は期日前投票で済ませておいた。 土曜日の夕方に次男坊家族と夕食を共にすることと、日曜日の昼に、私と同年齢のJA三 重中央会の専務理事だった友人と懇談すること、そしてその後に義父母の墓参をすること が旅行の目的だった。 行きの車中で朝刊を読んだが、どの紙面にも「安倍元首相撃たれ死亡」「民主主義へ銃口」 「民主主義の破壊を許さぬ」「卑劣な蛮行」などの大きな見出しが、踊っていた。 以降今日まで、安倍元総理暗殺事件に関するニュースが、テレビや新聞やSNSで朝から 晩まで報道されている。犯人の凶行の動機や、警護体制の問題や、葬儀の模様などなど。 したがって国民の多くは、事件の詳細を十分に承知済みと推察されるので、ここで述べる ことは何もない。 ただ私は、土曜日の朝刊を読みながら、「宗教団体に恨みがあったというが、どこの宗教 団体か。なぜ安倍氏を射殺しなければならなかったのか。 奈良県の西大寺駅前での街頭演説中に、背後から撃たれたというが、そんな簡単に怪しげ な物を持った男が、ふらりと近づいて、悠々と銃を連射できるような警備態勢だったのか。 (夜、テレビ放映を見ると、警護担当者は県警の警察官とSP(警視庁のセキュリテイポ リス)一人。他の警察官は殆ど正面周辺に配置。それも少ない感じ。犯人は安倍氏の背後、 約7メートルの距離から1発目を発射、さらに近づき約5メートルの至近から2発目を発 射。しかも、1発目から2発目の数秒の間、誰も安倍氏の身体を防護する咄嗟の行動をと っていなかった) この射殺事件の背後では、テロリスト集団などの裏の勢力とか、国際的陰謀が働いている のか」 そんなことを考えていた。 そして、天変地異(地震・台風災害等)、パンデミック、エネルギー資源の欠乏、物価高 騰、企業倒産の増加、金融恐慌、株価・円の急激な下落、国債の乱発・未達、新税の導入、 生活困窮者の増大、社会の混乱・退廃、治安の悪化(犯罪の増加)、政治(政党政治)に 対する国民の不満増大、テロ・クーデターの勃発、近隣の専制主義国家(ロシア・北朝鮮 ・中国)との対立、戦争勃発・・・。 そんな第2次世界大戦前の日本の社会状況の一端を、想起していた。 1918年、パンデミック(スペインかぜ)と第一次世界大戦の勃発、日本参戦。 1920年の戦後恐慌。1923年の関東大震災及び震災恐慌。 1925年、治安維持法制定(思想犯の取締り・逮捕虐殺) 1927年からの金融恐慌。1929年からの世界大恐慌を受けて、1930年に昭和恐 慌。日本の不況、世界での孤立、刹那的な世相→政党への国民の不満→軍部への期待・軍 部の台頭。 1930年、浜口雄幸首相狙撃事件(首相は翌年死亡) 1931年、満州事変勃発(日本の関東軍の謀略)。 1932年、五・一五事件(犬養毅首相を射殺。海軍青年将校によるクーデター) 1933年、国際連盟脱退。 1936年、二・二六事件(陸軍将校によるクーデター。首相官邸・陸軍大臣官邸などを 襲撃。閣僚など8名を暗殺) 1937年から1945年まで続いた日中全面戦争。 1938年、国家総動員法制定 1939年、アメリカが「日米通商航海条約の破棄」を日本に通告。 1940年、大政翼賛会発足(全政党が解散し一つになる) 1941年、太平洋戦争開戦(日本軍がハワイ真珠湾を奇襲) 話が飛躍していると感じる方もおられるだろうが、昨今の国内外の状況は当時の状況とは 酷似とはいかない部分もあるが、どこか似ている感じが、私にはする。 今回の安倍元総理の事件は、思想的・組織的なテロではないようだが、最近まで長きにわ たって首相の座にあり、今も現役代議士である国家の要人が、このように理不尽に射殺さ れるなどととは、、、。 戦後77年間。私にとっては初めての驚愕的な出来事だった。 さまざまな評論がなされているが、私は単純に「治安が安全な日本。その日本の誇ってき た警察力も、ここまで劣化したのか・・」と、深い絶望に襲われている(警察庁は要人警 護の見直し作業に入っているが) そして、こうも思った。 「今までの歴史上で知っているテロリストには、何かしら国のためとか、大衆のためとか の思想が行動の動機として内在していたが、今回の犯人の動機は、どうも自分の家族を生 活苦に追いやった元凶(と報道されている)の宗教団体関係者を射殺し、恨みをを晴らす ことの一念しかなかったようだ。それで、急遽選挙の応援演説に来県した安倍元総理が狙 われたとしたら、むしゃくしゃするから、射殺相手は誰でも良かった、と喋っているアメ リカでの銃乱射事件の犯人と同様だ。日本もこうした国民が出現する社会になって来たの か・・今後、模倣犯が多発せねば良いが。まずは銃刀法・武器等製造法による徹底取締り。 日本もアメリカ並みになったか・・・」 多くの新聞・マスコミが、「選挙を暴力で破壊する。自由を封殺する。動機が何であれ、 民主政治への歪んだ挑戦であり、決して許すことはできない。銃弾が打ち砕いたのは民主 主義の根幹である。全身の怒りをもって、この凶行を非難する」と、最大限(?)の言葉 を弄して強く批判しているが、これは至極当然の表現だ。でもこれは41歳無職の犯人に向 かっての指弾だろうが、犯人は知る由もない。「民主政治への歪んだ挑戦」をしているわ けでもないだろう。だが、こうした卑劣な蛮行は、社会的な正義を崩壊させる遠因になる ということを、マスコミとしては婉曲的に国民に訴えてしかるべきと考えて、模範的な論 説を行っているのだろう。 私は、今回の事件は、これからの日本の運命を決定づけた、歴史的な出来事になったと感 じている。 なぜなら、選挙日直前に起こったこの不条理で悲惨な射殺事件は、国民の心情に大きな影 響を与えたと、想像するに難(かた)くない。 結果、自民党政権が圧勝した。 そして、参議院議員選挙の勝利を受けて、岸田首相は「今は亡き、安倍元総理の悲願だっ た憲法改正を、速やかに行いたい。年内にも改憲論議を始めたい」という意向を示した。 自民・公明・維新の会・国民民主の参議院の議席数は計179で、総数の3分の2を占め るようになったからだ。 また、国民の多くは、いずれの世論調査でも「憲法改正」に賛成の者が過半数に上ってお り、この追い風に乗らない手はない。 軍事費の倍増でもなんでも、これからは雪崩を打ったように一方通行で決まっていくこと だろう。 軍備拡張して、軍事力・核抑止力をもって外交を進めていくことだろう。 そうしたことを織り込み済みで、有権者の52パーセントの国民が投票に臨み、その多数 が憲法改正・防衛力強化を支持したのだから。 そして有権者の48%に上る国民が投票を棄権し、「白紙委任」したのだから。「どうぞ 政権与党の方針に任せます」と。 日本は専制主義国家ではなく、民主主義国家なのだから。 前述した、第二次世界大戦前の日本の状況を振り返りつつ、これから、あと何と何が起こ るのだろうか。経済恐慌か。大震災か。はたまた(国際的)テロか・・。 私の頭の中では、まさに「日は沈み いよいよ無明の夜が始まった」感じがする今。 歴史の大きな転換点だ。 思えば「日(ひ)残りて、暮(く)るるに いまだ遠し」の年齢。 だから、こう諦観するように努力している昨今なのです。 「されど いよいよ死ぬるその時まで 与えられし命 惜しみて ひとすじに生き抜くべ し」(藤沢周平作「三屋清左衛門残日録」より) それでは良い週末を。 |