東井朝仁 随想録
「良い週末を」

続・旅の途中で(1)

先日の日曜日(7月24日)は、京都に日帰り旅行をしてきた。
用向きは、私の6人兄弟(男5人・女1人)の末弟・重喜(60歳)の次男坊の結婚式に
参列すること。
重喜は私より15歳年下。この度結婚する次男坊(私の甥)は28歳。
私より43歳下。
弟は結婚後、京都二条城のすぐ近くに居を構え、2男1女の父として、愛妻と義母などの
世帯主として生活してきた。

お互いに東京と京都という遠隔の地で暮らしているので、顔を合わせるのは年に一度か二
度。それでも昔から私とはウマが合った。
その弟から、その甥の結婚式への正式な招待状を受ける前に、電話で式への出席の打診が
あった。「参列していただけますか」と。
私は「おいおい、俺が今更言うことではないが、結婚式は二人の両親や兄弟姉妹や祖父母
だけで挙げ、その後に両家で親しく会食すればいいんじゃないのか。特にコロナ禍の現在
はそれがスマートで実のある式になると、俺は思うがな。友達や職場の上司や友人などは、
祝う会などで別にやったほうが盛り上がるよ。やらなくてもいいし。今の若い連中は、そ
うしたスタイルを取る者が多いんじゃないか。勿論、二人の希望が第一だが。京都のほう
はそんなものなのか?」と、普段からの持論を述べて尋ねた。
すると、「相手の家は地元でも伝統のある家柄みたいで、両家の親族にも広くお声がけし
て、参列していただきたいという希望が強いんですよ。
まあ、僕もごく内輪で行いたいと思ったけど、息子も賛成しているし、それで、こちらも
一応連絡をさせてもらおうと。勿論、遠方なので無理しないで、ダメでも結構ですが・・・」
こちら側といっても親族は少ないだろうし、兄弟関係はみな東京方面。
それでも弟は父親として、一人でもという気持ちで電話をしてきたのだろう。私はそう直
感した。
そして「やっぱりそうか・・一生に一度の娘の結婚式だから、古式通りに行いたいという
のが、先方の親の情だろうからな。東京のようにはいかないな・・」と、仕方がないとい
う風に呟いて、「わかった。出席する」と一言返答して、電話を切ったのだった。

こちらからは結局、2歳下の妹(72歳)と6歳下の4男の弟(68歳)と、それに私の
3人が出席。
妹と弟は京都に前泊し、私は朝7時台の新幹線で京都に向かい、京都駅に到着してすぐに
八条口に待機していた送迎車で式場に向かった。会場は京都駅から車で40分ほどの左京
区山端の「京都北山モノリス」というブライダルホール。
広大な庭園内に佇む、和と洋の趣が重なった明るく瀟洒な建物だった。
特に北山の森を借景とした日本庭園は、宴会場の素通しの一枚ガラスの大きな窓の向こう
に、息をのむほど美しく広がっていた。
披露宴で供された和洋折衷の料理は、前菜や刺身、お椀物の出汁(だし)や煮物、ステー
キ肉や焼き魚から、最後のスイーツや珈琲までの全てが、「旨い!」と感嘆する味だった。

披露宴は3時間弱。帰りは重喜と妹弟と共に車で京都駅に向かい、そして駅で解散した。
私は夕方5時台の新幹線を予約していたので、40分ほどの待ち時間で珈琲でも飲もうと、
駅構内のショッピングセンターやホテルのラウンジなどを探索したが、どこも人の群れで
大混雑。
加えて京都駅は、先年に航空母艦のような巨大なビルに大改築したので、駅の構内は迷路
だらけ。私が日本中の駅の中でも京都駅は屈指の迷路駅で、景観と使い勝手が最悪の駅と
感じていた通り。
迷路から迷路を辿って喫茶店を見つけるのに一苦労。そしてようやく見つけたデパート内
の喫茶レストランは、10人待ちの超満員。息もつけない混雑ぶり。コロナの第7波など
他国の話かと見まがう風景で(私もその構成員の一人だが)「これは早く新幹線のホーム
に向かわないと、乗り遅れる」と、踵を返した。

それにしても、昔、京都駅前に「京都タワー」が建設された際、「古都・京都の景観を損
ねる」と反対運動が起こった頃とは、今昔の感。
あの頃は、まだ京都駅周辺には「つつしみ」の雰囲気が漂っていたが、今ではインバウン
ド(外国からの旅行客)ファーストで、千年の古都の風情も文化も吹っ飛んでしまった感
がして、仕方がない。
文化的価値より経済的(金銭的)価値に重きを置かざるを得ない、地元の苦渋も感じるが。

新幹線の車中も満員だったが、私は以前に述べたように「ジパング倶楽部会員」なので、
乗車券+グリーン車券の料金は3割引きなので、静かな車内のリクライニングシートに身
をゆだねて帰ることが出来た。
「結婚式に参列して良かった・・・」という気持に満たされながら、車窓から眺めた夕景
の浜名湖も綺麗だった。

そしてまた、品川駅の雑踏を抜けて山手線に乗り換え、再び渋谷駅の狂騒的な夜のハチ公
前を通り、田園都市線に乗り換えた。車内はスマホをじっと見ている乗客で溢れていた。
私はドア近くに立ちながら、空虚な車内を眺めていた。
そして「この人たちは、明日からまた学校や職場に行くのか。在宅勤務が始まるのか。子
育てに追われるのか。これから先、死ぬまで色々なことをしながら生きていくわけだ。こ
の人たちの日常の楽しみは何なんだろうか。希望は何なんだろうか。人生の目的は何なん
だろうか。この先行き不透明どころか、次々に暗い出来事が起こる現在。そんな今の状況
にも負けず、黙々と日々を生き抜いていく人々は、それだけで立派なものだ」などと、考
えていた。

翌日の月曜日。
午前中に中目黒のかかりつけクリニックに行き、先日の検査結果を聞き、「異常なし」に
ホッとして渋谷に出て、ビックカメラで電子レンジを買い換え、庭の十数個ある鉢植えの
花や、小さな庭の2本のミニトマトの木などに水を与え、赤く熟したミニトマトを数個と
って夕食のビールのつまみにして食べた。次から次へと実をつくるこのミニトマトは、し
ゃきっとした瑞々しい歯触りで、甘酸っぱい新鮮な味わいは格別だった。

夕食を終えて自室に戻ると、スマホにSMSでメールが届いていた。
後輩の古畑君からだった。
内容を見て、すぐに彼に電話をした。
「どこで知ったの?」
「いま、パソコンのyahoo!ニュースを見ていたら、速報で出てたんですよ」 私は、すぐ
にパソコンを開いて見た。
そこに「国際女優・島田陽子さん急死」との見出しがあった。
私は瞬間的に、「遅かったか!」と愕然とした。
そして、先月の14日の深夜に、スマホにかかってきた突然の電話を思い返した。
「東井さんですか。夜分にすいません。島田です。島田陽子です」 電話口に、島田さんの
掠れた声が聞こえた。

この続きは次回にでも。
それでは良い週末を。