10月になると |
今日は9月29日(木)。 天気は薄曇り。気温は昼過ぎで27度ほど。 住宅街の細道を歩くと、金木犀の香りが匂ってくるはずなのだが、その気配はまだない。 例年では、秋のお彼岸が済んだ今頃だと、黄橙の小花が咲きこぼれ、甘酸っぱい芳香があ ちらこちらに漂っているのだが、去年も今年も開花が遅い。 これも地球温暖化の影響だろうと諦観し、来週に期待をかける。 自然ばかりは、核兵器で脅そうが経済封鎖で兵糧攻めを企てようが、無駄(国家間の争い はどうなるのか。暗いことが続く令和の時代も4年目。新たな時代の新たな国際紛争上の、 良き証例が待たれる) 地球上の自然環境の保護さえも、利益優先の経済理念が世界中にまかり通っていて、人類 の大多数が見て見ぬふり。 「待てば海路の日和あり」「鳴くまで待とうホトトギス」の先人の教訓は、今の私にはな い。 だが、前述したように、自然の摂理には従うしかない。だから「1週間ほど待てば、今年 も懐かしい甘美な芳香をプレゼントしてくれるだろう。10月にでもなれば・・・」と、 考えることにしている。 あと2日後には10月になる。 今年の10月1日で、私は満75歳になる。 生を受けてから、まるまる75年間生きてきたということだ。 例えれば、1年という大きな石を75個積んできたということ。 それが満年齢の数え方。 しかし、75個の年石の一つ一つは、12個の月石からなり、その一つ一つの月石は約 30個の小さな日石からなっている。 だから、この積石(時間)の中に、たった1個でも小さな日石が無かったら、75個の年 石からなる山(人生)は出来得ない。 まさに「一日一生」「一日生涯」だ。 と、毎年痛感させられるのが、この誕生日の時分。 10月の季節は、私を安らかな気分に誘い、様々な回想に浸らせる。 その一つ。 昭和62年10月12日。 私がちょうど満40歳になった日の11日後のこと。 熱海の料亭でお会いした際の、我が老師(当時91歳)であるT氏の言葉が、今も鮮やかに残 っている。 その大体の趣旨は。 「自分を美しく見せようとする人がある。 人によく思われようと願う人がある。そのために自分を飾る。身をやつす。ウソを言う。 これでは心がやつれる。 他人の心は他人にまかせて、自分が相手を美しく思う。仕事を楽しく思う。どんなもので もおいしく食べる。これが心安らかな人である。 他人の思惑を気兼ねすることはいらぬ。自分が尊く思えばよいのである。自らの心を明る く内容を豊かにすればよいのである。 今日一日、今の一刻、これを心明るく、落ち着いてゆるみなく使いたいものである」 酒盃を酌み交わしながら話されていた、35年前の老師(思想家)の和やかな笑顔が浮か んでくる。 その、お会いした日のわずか10日前、昭和62年10月2日、私の父が77歳で死去し ていた。 その慰めと人生の大先輩としての励ましの言葉が、酒と共に心の奥に染み渡った。 だから10月が来ると、寂しく笑っている父の顔を、よく思い出す。 6人の子供を苦労して育て上げ、ようやくこれからという時に逝ってしまった。 「もう少し、親孝行をしてやりたかった・・・」と、今でも悔やまれる。同時に、今だ老 師のご教示の通りには至らない自分が、情けない。 あと2日で、75歳に到達するというのに・・・。 でも、まだ間に合うかもしれない。 まだまだ、心の奥底の種火は燃えている。 サムシング・グレート(宇宙の偉大なもの・神)が、自分に生命を与えてくれているうち は、それを意義あるものとし、最後まで自他のために使い果たすことが、人間としての使 命であり喜びであり生き甲斐になるはずだ。 その1点を知らずして終える人生は、寂しい(あの世に行っても)。 二度とない人生。 何事も、やるなら今だ。 おそくはない。 年齢を加えるごとに、10月になると、そうした思いが不思議と心身を熱くするのです。 まさに鮮やかな紅葉のように、人生の季節における「燃える秋」にしたいものと・・・。 それでは良い週末を、良い錦秋を。 |