エチケット(2) |
前回では、私が自転車に乗って街に出た際に、若者から受けたちょっとした親切について 紹介した。 相手に先に道を譲ってもらったことが2回。そして満杯の駐輪場で、自転車を引き出そう にも両隣の大きなママチャリが絡んで倒れそうになっている時、駆けつけて手助けをして くれたこともあった。誰もが、私の息子や娘よりはるかに年下の若者だった。 私は「私が彼ら彼女らからしたら、自分達の親以上の高齢者だったからだろう。それにし ても、こうした態度は普段から『他人への配慮』」が心の片隅にでもないと、咄嗟には働 かないものだ。 こうした若者は、きっと色々なエチケットが身についてきているはずだ。 そのことは、彼らにとって魅力的な大人に成長していくための最大資質だと、私は思って いる。 親のしつけか、学校や先輩の教育が良かったのだろう。 いずれにしても爽やかな若者には違いない」と思った。 最近では、こうした出来事にも出会った。 朝のラッシュアワーに、三軒茶屋駅のホームにうずくまっている人を、時々見かける。 大体がラフな格好をした若い者で、終夜飲んでの朝帰りなのだろう。だから大量の通勤客 は、誰もが無視して先を急ぐ。 「自業自得」とばかりに。 だがたまに、中年の背広を着たサラリーマン風の男や、若いワンピース姿の女性がしゃが みこんでいる場合がある。 きっと田園都市線の悪名高き超満員の車内で長時間揺られ、気分が相当悪くなって途中下 車したのだろう。私も先を急ぐので次の電車を待つ行列について待っているのだが、気が 気ではない。 心臓疾患を抱えていたり、パニック障害的にめまいや動悸や不安感に襲われて息苦しいの ではないだろうか、と心配になる。 乗降客の誰か一人でも足を止め、様子をうかがって駅員に連絡しないものだろうかと眺め ているのだが、あれほど多くの乗降客がいても、誰もがみな素通りしていく。 「冷たいものだ」と舌打ちしながら、結局、私が駆け寄って「どうされましたか?救急車 を呼びましょうか?」と具合を尋ねる。 すると半分は「いや大丈夫です。めまいがしたので・・・。もう少しこうしています・・」 と、か細い声で答える。 あと半分は、「大丈夫ですか?!」と尋ねても、目を閉じてハアハアと苦しそう。この場 合はすぐに「ちょっと待っていてください」と声をかけ、急いで駅員を呼んでくる。そし て、駅員の判断で救急車を呼んでもらうことになる。 今夏、私が改札口からホームに降りた時、同様の事態が発生した。 到着した電車から、多数の乗客が吐きだされてきたが、フッと見ると、ホームの柱の横に 年配の男性が横臥していた。 だが乗降客の多くは一瞥さえすれ、誰も彼もが我先にと乗車し、また改札口への階段に流 れていく。 仕方なく私が先を急ぐのを諦めて近づいた時、同時に紺色の背広にノーネクタイが似合う 20代とおぼしき若者も、駆け寄ってきた。 そして、苦しそうな胸元のボタンをはずし、冷たい手を握り、二人で声をかけ続けた。だ が反応は乏しい。 私が「これは、至急駅員を呼んだほうがいいな」と呟いた瞬間、若者が「僕が呼んできま す!」と言って、素早く階段を二段飛びで駆け上がっていった。 その身のこなしは、久々に見る若さに溢れた、ナイスガイそのものだった。 結果、駅員が消防署に救急車の出動を依頼し、私と彼は駅員の「ご協力ありがとうござい ました」という声を後に、お互いに軽く会釈して別れた。 私はようやくホッとした。 若い彼の行動も、駅員の丁寧な礼儀も、この無機質的な競争社会に生きる他人への基本的 な礼儀であり心遣いだと、私は思った。 そして、こうも感じた。 「あの青年は、きっと素晴らしいリーダーになって、これからの社会で活躍するだろうな。 基本的なエチケットを有し、他人や仲間や組織を大切にする愛すべき若者なのだろうな」と。 この世紀末的な不安が満ちた世界。 でも、私共の世代にはない、プラス・アルファ(ある未知数)を有した若者が、きっとあ ちらこちらで、出番を待っているのだろう。 彼らこそ希望の星なのだと、私は信じている。 この続きは次回にでも。 それでは良い週末を。 |