東井朝仁 随想録
「良い週末を」

エチケット(3) 

フランス語のカタカナ用語「エチケット」は、国語辞典では「礼儀作法」と訳される。礼
儀とは、「社会生活の秩序を保つために、人が守るべき行動様式。特に敬意をあらわす作
法」であり、作法は「きまり。しきたり」である。
したがってエチケットの内容は、食卓でのエチケット(洋食の作法とか)や、家庭内のエ
チケット(おはよう、ただいま等の挨拶とか)や、学校や職場や地域や公共の場における
社会生活上のエチケットなど、時や場所や目的(TPO)によって多岐にわたる。
だが、全ての場面に共通することは「人の立場に配慮する」という理念だろう。
言葉をかえれば「他者への気配り、思いやり、感謝」そして「自制」の行為。

だが、エチケットは法令や規則で定められたものではないので、順守義務や罰則はない。
車が赤信号で停止するのは本人のエチケットではなく、交通法規による順守義務。違反す
れば罰則が科せられる。
一方、学校の先生や職場の上司への挨拶を一切しないことも、フランス料理でスープをズ
ーズー音を立ててすすり、料理を頬張りながら会話することも、電車の優先席に、若者や
中年者がデンと座っていても 、検挙されることは無い。エチケットの問題なのだ。
エチケットは、その国のその時代の社会から醸成され慣習化された、国民の不文律(暗黙
の了解事項)であり、社会文化ともいえる。
だから、多数の人々の黙認・同調で成り立つエチケットは、国民の順守意識が低下すれば
廃(すた)れ、新たなエチケットに置き換えられるか、消滅する。

現に、電車の優先席などを見ると、すでに老人や身体の不自由な人や妊産婦などの区別は
無きがごとしで、いつの時間帯でも当然のようにそれ以外の人が座って、スマホなどを見
ている。
以前にこういうことがあった。
私が優先席に座っていたら、ある大きな駅で乗客がどっと乗り込んできた。すると部活帰
りの高校生のグループが、我先にと優先席を占領して座った。優先席の空席は私の隣の2
席と、前の座席の3席。
二人があぶれて「畜生」と言いながら立っていた。座っている仲間の連中は、やったとば
かりに騒いでいた。
その時、痩せて小柄な老婦人が疲れた表情で乗ってきて、左右の優先席に空きがないか、
きょろきょろ探していた。
しかし、高校生の誰もがチラリと一瞥はするが、スマホを見たり隣の者と喋っていて、立
ち上がろうとしなかった。車内は満員になっていた。
私はすぐに「おばさん(注・本当はおばあさんが正解なのだが)、ここに座って」と促し
て立ち上がった。
老婦人は「すいません。ありがとうございます」と、丁寧にお辞儀をして座った。
私は「いや、私はまだ74歳だから!」と、聞こえよがしに大声で答え、他の場所に移動
した。瞬間、高校生たちはみな黙ってうつむいていた。他の乗客の多くもこちらを眺めて
いた。

話は少しずれるが。
今の日本は、以下の不安と不満と恐怖に包まれ始めていると言って、過言ではないだろう。
まず、現在も進行中のパンデミック及びウクライナ戦争。極めて近い将来にと予測されて
いる、中国の台湾侵略及び軍事・経済力による世界制覇(アメリカの国力低下)。ロシア
や北朝鮮による核ミサイルの行使及び第3次世界大戦の勃発。

そして、国内における政治の混迷(国葬・旧統一教会問題・オリンピック汚職疑惑などへ
の対応)と、国民の政治不信。借金大国の円安・物価高・国民所得の低下。経済の凋落
(注・世界の企業の「時価総額」ランキングのトップ50社をみると、1989年(平成
元年)では日本企業が32社を占めていた。しかし、2019年(令和元年)には、たっ
た1社(トヨタ)に)

さらに大震災・大災害やミサイル攻撃などに対する備えと被災後の復旧体制の脆弱さ(日
本は世界一の人口超過密国。国土面積割りだとオランダ・ベルギーが最も人口過密だが、
可住地面積で割ると日本はその3倍!大災害が起きたら、東京・大阪を中心に日本は甚大
な被害で消滅の危機に。今になってミサイルの攻撃に対抗するため、政府は5年以内に
40兆円の予算で軍備を増強する予定とのことだが、ウクライナに見るように、地下鉄・
地下街への避難路整備とか、シエルター(避難所・防空壕)の整備が対戦争・対災害にも
急務と思えるが。最近の日本は全ての対応が後手後手で、極めて心配)
そして、超高齢社会における医療・福祉・介護保険制度の持続性の不安。

こうした政治的・経済的不安や不満が膨らんでくると、いつの時代も国民は刹那的・享楽
的なことに逃避し、社会が混乱して秩序は破られてくるもの。
終局は、劇場的な政治状況の中で、国民のうっ憤を代弁するかのような政党や独裁者が出
現し、国はすべてをチャラにするかのように軍事費に膨大な予算をかけ、平和的外交を捨
てて戦争に走るのでしょう。

話は少しとんで。
歌手の中島みゆきさんは、自著「第二詩集・40行のひとりごと」(道友社発行)で、こ
う述べている。
「校長先生は『わたくしの小学校では 敬語などという差別発言は 使用させていません。
イタダキマスは言わせません。
給食を作った人よりも 食べる人が下位だなどと 卑屈になる必要はないのです。
食事開始の合図は 担任が床をドンと踏み鳴らします』と、ぐるりと茶席を眺め 胸を張
った。
(略)
あの小学校では 今日も昼に靴音が鳴るのだろう。
給食を作った人にも 給食代を支払った人にも 食材となった
植物にも動物にも 決してへりくだらないだろう。
あいにくだが 私はイタダキマスを言う。
給食を作った人や 給食代を支払った人や
食材となった植物や動物を 貸してくださった神という方に
へりくだって 私はイタダキマスを言う。
私は礼が 好きなのである(以下略)」

私はこの文章を読み、心が揺さぶられた。
世界も日本も不安と無力感に満ちて沈んでいる。
でも、嘆いていても、人に文句を言っても、黙っていても、目をつぶっていても、何も変
わらない。
それより、せめて「人にお礼を言うこと。人にお礼を言われることをすること」ぐらいは
できる。それが、相手の心も自分の心も周囲の雰囲気も少しは明るくさせられる、現在の
エチケットだと気づかされた。

私と配偶者は、3人の子供達に「おはよう、いただきます、ごちそうさま、いってまいり
ます、ただいま、おやすみなさい」を必ず言うように教えて、育てた。
外で近所の人に会ったら「こんにちは」、何かしてもらったら「ありがとう」と挨拶をす
ることも。
40代になった子供たちは、今でも孫たちにそうさせているようだ。
何がエチケットなのか。
何を行うべきなのか。
それは人それぞれの考えで、押し付けるものではないだろう。
しかし、生まれて年も浅い子供達には、親が正しいと考えることを教えることも必要。
成長に従って、本人が「矛盾」や「不快」を感じたなら、やめればいいこと(注・我が家
では子供が家から独立する22歳まで)少なくとも、日常の基本的な礼儀は、年齢や環境
が変わっても、人間が生きて行く上での大事な事と、私は考えてきた。

地域も国も世界も、「エチケット」がないところは不幸。
自分さえ、自分達さえよければ他は知ったものじゃないという、利己的な人間や国家が増
えてきた現代世界。
だが、どれほど国のGDPの伸び率が高くなっても、どれほど強大な軍事力を誇るように
なっても、幸福度が高い国家社会になったとは思えない。
専制的な国家権力で国民の言動を統制・管理し、日常の一挙一動を縛り上げる国になった
ら、もはや真っ当な人間社会とは言えない。民主主義の国と言えども、弱肉強食の利益の
収奪戦に明け暮れる国は、国民も荒(すさ)む。
その国の「幸福度」を計るバロメーターは、社会における国民のエチケットの度合も一つ。
そしてそれは、その国の習熟度でもあろう。

現在の日本には、第二次世界大戦前と比べても、法令やエチケットを守り、良識と英知に
富んだ国民が、きっと多く育っているはず。
何事をなすにも必要な要件は「天の時、地の利、人の和」
日本の現在は、天の時にも地の利にも恵まれていない。
残るのは人の和。Teamwork。
いまこそ国民が「和をもって尊しとなす」の気概で、調和と平和を希求していく姿勢を持
たないと、日本の明日はなくなるだろう。

日本には、まだ希望と活力と使命が残っている。
そんなことを考えているこの頃なのです。
それでは良い週末を。