東井朝仁 随想録
「良い週末を」

10月の空に想う 

ようやく秋らしい気候になった。
朝晩は寒いぐらいだが、昼間はカラッとした爽快な天気の日が続いている。
近年、天気(当該日の空模様)→天候(数日間の天気状態)→気候(長期間の気象)とい
う、時間の長さごとの気象(気温・降雨などの平均状態)予報に、予想外の狂い(ハズレ)
が生じてきている感じがして、ならない。
まさに「異常気象」の時代。

秋に真夏日(30度以上の日)があり、あるいは真冬のような寒冷日があり。
だから、従来は「明日は晴れ時々曇りでしょう」と簡明に天気予報をしていたのが、今は
「保険」を掛け過ぎて「東京地方は晴れ時々曇り、ところにより一時にわか雨か雷雨があ
るでしょう。外出の際は念のため、折り畳み傘があると便利でしょう」となる。
それも降水確率が20%なのに。

そもそも、この降水確率の数値をどう解釈すればいいのか、わからない。
過去の当該日の平均値や直近の気圧配置・雨雲の動きなどから降水確率を出しているのだ
ろうが、10%であろうが30%であろうが、その差異は全くなさそうだ。
一度、某テレビ局の気象予報担当部署に電話して質問したら
「それは視聴者の方々のご判断です。10%なら雨の心配がないと判断される人もいれば、
確率はゼロではないので、降らないとは断言できないと思われる方もいらっしゃいますの
で」と返答され、「勿論そうですが、例えば同じ20%でも、日によって同じ気象予報士
が「傘の用意を」と予報される時もあれば「まず雨の心配はないでしょう」とか、予報が
異なる場合がある。だから、確率の解釈に迷いますよ」と疑問を呈したら、「それは予報
士の種々の情報を基にした判断ですから。最終的には視聴者のご判断になります」と返答
されたことがあった。

「数値が高いほど確率が高くなるのは当然。だが、10%、20%とか30%、40%と
かに細分化されると、余計判断しずらくなるのでは。数値が高いほうが雨の確率が高いと
いうことは、小学生でも感覚的にわかることだが、どのあたりの数値になると雨が降るか
降らないかの判断をするのは難しい。迷うだけ。そのために気象予報士の解説があるはず。
あとは天気マークだけにシンプルにすれば良いのでは。
短い放映時間に、関東甲信越の各都県別の降水確率の数値を見せられても、まず、殆どの
視聴者は素早く判断できないはず。私は出来ない。気象予報士の解説を聞きながら、お天
気マークを見るのが精一杯。雨が降る可能性がゼロではないのなら、曇りマークの端にで
も小さい傘マークを入れておいたらどうなのか。気象予報士は、万一雨が降っても言い逃
れできるように、曖昧な言い方をする場合が多い」と文句を言おうと思ったが、やめた。
言っても無駄と思ったから。

天気予報をテレビで観ていると明瞭だが、その傾向はどこの局、どの気象予報士も同様。
「明日のお天気マークは晴れ時々曇りとなっていますが、雲の裏に傘マークが隠れている
と思っていてください」とか、「広く晴れますが、ところによりにわか雨があるでしょう」
などと言われると、「ところによりという言葉は、どこの地域にも当てはまる曖昧語。
また、20%でも雲マークに傘が隠れているのなら、確率の数値をもっと上げるか、マー
クで示すかするべき。口頭で補完すべきではない」と言いたくなる。
だが、これも無駄。
もはや異常気象の時代であり、世の中が減点主義を恐れて委縮している時代だから、仕方
がない。
気象庁への風当たりも強いことだろう。

それにしても「スピード感をもって政策の実現に当たる」「その点は、しっかりと検討し
てまいりたい」「現在、鋭意検討中」「大変遺憾」などという答弁が、政府・与党の常套
句になっていて、今や欠伸一つ出ないほど、政治の無気力さを感じる昨今。
何もかもが不透明な時代になった。
せめて、「飽きない」「諦めない」で、「秋らしい」気候を、しっかりとスピード感をも
って味わっていきたい、と強く思っている今日この頃。

今日も、秋光が青い空に満ちています。
透徹な空を眺めていると、こちらの心も澄んできます。
明日もきっと晴れるでしょう!(ところによりにわか雨、とは言いません)

それでは良い週末を。