新春雑感(1) |
76回目の正月を迎えた。 ということは、「数え年」で76歳になったということ。 私の「満年齢」(誕生日が来て、1歳を加える)は75歳(誕生日は10月1日)。 数え年では、新年が来れば、いつ生まれた人でも1歳年を取る。 日本社会では満年齢を公式としているが、私は今年から私的には「数え年」を使用してい こうと思っている。 私がそう言うと、知人などから「1歳早く老けて見られるので、損じゃない?」とか、 「まだ、誕生日まで丸9か月あるのだから、75歳でいいじゃないか。そんなに早く年を 取りたいの?」と言われる。 どの言葉も、わからなくはない。 昔から、老若男女を問わず、周囲から「若い!」と言われたい人が少なくない。「いやあ、 お若いですねえ」と言われて「いやいや・・」とか否定しながら嬉しそうな顔をする人を、 嫌というほど見てきた。 だが「貴方は若い」と言い得るのは、その人の実年齢を知ってのこと。その人の同世代の 平均と比較して「若い」と感じたからだ。 初対面の20代前半の青年に「いやあ、君は若いねえ!」と言ったとしたら「君の考えは まだ未熟だね。経験が足りないね」との意味合いにも、聞こえてしまう。 20代で若いのは、当たり前のこと。 しかし、その青年の年齢を知らずに「この人の顔つきや雰囲気からしたら、まず30代後 半だろう・・でも、喋っていることが若々しい」と感心し、「君は若々しい」と見当違い の発言をしてしまう場合もある。 特に現代は、「貴方は若々しいですねえ。その若さの秘訣は何ですか?」と言われて喜ん でいる、若づくりの60代・70代のジジ・ババも多い。 「ところで、お年を聞いたら失礼ですが、何歳になられますか?」と聞かれ、勿体つけて 「幾つに見えますか?」と逆に聞き返すと、先方は「どう見ても70歳前後の若さですよ!」 「・・・・」 実際は65歳で、トホホの例もあるが。 今は、高齢者は「お元気!」「お若い!」と見られ、若い者たちは「可愛い!」と言われ たい社会の風潮があるようだ。 その傾向は、日本の経済成長率が凋落し始めた1991年頃から今日まで(注・経済成長 率:1974~1990年度の平均4.2%→1991~2020年度の平均0.7%に。 ちなみに世界各国の競争力ランキング(経済的業績・政府の効率性・ビジネスの効率性・ 社会基盤の総合得点)では、日本は1990年の1位→2020年は34位に)続いてい る。 私にはそう感じられる。 約30年前まで、日本は「世界に輝くジャパン・アズ・ナンバーワン」だったが、現在で は「凋落したかっての経済大国」と言っても過言ではない。 かっては「経済一流、政治三流」。それが今や両方とも中流国になってきたのが現実。 イノヴェーションによるIT技術の発達、AIによる合理化革命、英語の公用化など過当 競争が激化する社会。 希望や目標の見えない憂鬱な時代状況の中で、年々、多くの国民の心は「内向き」になっ てきたのだろう。そしてどこか「甘えたい、いやされたい」という心理状況から、「国民 総幼児化現象」が生まれているのかも知れない。 そして、政府や金融機関や薬品・食品メーカーや健康関連産業などが「人生100年時代 の準備を」などとたきつけるので、どんな人でも「まず、自分の健康を維持しなくては」 と考えてしまう。そのシンボルが、介護付き老人ホームやサプリメント販売会社の広告に 載る、「若々しい笑顔で行動する、元気な高齢者像」 いやはや、とんだ超高齢社会が到来した。 話を戻して。 私も、身も心も若くありたいし、見てくれも重要だと思っている。 しかし、若い頃は「年齢よりしっかりしている。数歳上に見える」 と言われて自信を持ったこともあったし、逆に60歳過ぎてからは「5歳は若く見える」 と言われて、満更ではなかったこともあった。 でも、今はどちらでもない。 ジジ・ババ世代なので「若い。元気だ」と言われるのは悪くはないが、本音のところ「1 歳でも2歳でも上の年齢」で、実年齢を生きたいものと思っている。 本当は「おいくつですか?」と聞かれたら、差しさわりのない人には「78歳です」と答 えて、さりげなく受け流していこうか。 すると「ほう、お若く見える!」となる(だろう)。 そう言われることは、へんなサプリを飲むより、よほど心身の賦活に有効かもしれない。 物事の価値(喜怒哀楽など)は相対的なもので決まりやすい。 詐称(氏名・職業・住所・年齢・経歴)は良くない。 特に、公私の公においては。 だが、満年齢の75歳を数え年の76歳と言うことは、至極真っ当で、カネもかからない。 もしかしたら、和風料理店の清楚な白バラのような女将が、他の客を放り出して寄ってく るかもしれない。 十分満足なおもてなし。その代わり、お勘定を見て寿命が2年縮まるかもしれないが。 この続きは、次回に。 それでは良い週末を。 |