東井朝仁 随想録
「良い週末を」

いつの時も歌があった(1) 

「シエルターに避難する際、何か一つ持っていけるとしたら、何にする?」と聞かれたら、
私は躊躇なく「音楽を聴けるモノ」と返答するだろう。
スマホ1個で良いのだが、地下などの防空避難場所では、電波が届かない恐れがある。す
るとスマホは常時ポケットに入れてあるから(注・私はスマホに付けた長いストラップを
ズボンのベルトに留めている)他には、充電済みの携帯用CDプレーヤーと何枚かのCD、
あるいはミニ・コンポになるだろうか。勿論イヤホーンを付帯して。

冒頭から何を言い出すのか?と怪訝に思われた方が多いと思う。それは先日、ボンヤリと
だが「いざという時、自分は何を持って逃げるだろうか」と考えてみたのだ。そしてその
結果、家の中にある様々な生活用品とか貴重品とかの一つを持ち出してみても、「そんな
ものは、非常時に何の役に立つことか・・まずは身体一つ。咄嗟に出来得るならば・・」
と考えた結果が、前述のとおり。
何が無くても、避難場所における最低限の備蓄食料さえあれば、着の身着のままでも1週
間はしのげるだろう。
でも本当に、わずかの可能性があるならば、私は音楽(歌)が聴けることを死守したい。

今までの人生を振り返ると、音楽(歌)は私にとって日常生活に欠かせない重要な栄養素、
いわゆるビタミンM(music)とも言えるものになっているのだ。
特に、寂しい時、感傷的になっている時、悲しいことがあった時、辛い時、元気が出ない
時、つまらない時、やる気がない時、孤独な時などに摂取すると、心がにわかに軽くなり、
「大丈夫!」というささやきが心を熱くし、不思議と何らかの希望が湧いてくるのだ。
また、目的に挑もうとしている時、何かを成し遂げた時、他の人々と共感しあえた時、誰
かを好きになった時、ありがたいことがあった時、さらにささいなことで言えば、爽やか
な青空を仰いだ時や茜色の夕焼けが美しい西空を眺めた時などにも、ビタミンM(歌)を
摂取すると、その時の幸せ感が「倍増」し、大げさな表現だが至福の時間に心身が浮遊す
る快感に包まれる。

小さい頃、母親からよく言われたビタミンのこと。
「ニンジンはビタミンAが豊富だからね。ビタミンAが不足すると『鳥目(とりめ)』
(注・夜盲症)になるから、ニンジンをちゃんと食べておきなさい」
「ビタミンBが不足すると『脚気(かっけ)』になるから、豚肉を残さないように(注・
私は小さい頃から脂身の豚肉が苦手だった)」
「夏ミカン(注・家の庭で採れたものだが、酸っぱくて嫌いだった)にはビタミンCが一
杯含まれているから、しっかり食べなさい。ビタミンCが不足すると『壊血病』(注・歯
ぐきの出血など)になるよ」
「ビタミンDが不足すると『くる病』(注・背骨が曲がる)になるから、このイワシをち
ゃんと食べなさい。残しては駄目よ」

他にもビタミンB類のいくつかと、EやKのビタミンもあるが、当時は、壊血病とかくる
病とか、子供心に訳が分からない怖い名前に脅されながら、AからDをそれなりに摂って
いたのだろう。それも私の嫌いなモノばかり。でも、仕方がなく食べていた成果だろうか、
食べ物が粗末な少年時代だったが、成人してから今日に至るまで、それらの疾病に無縁で
こられたのは、母の恩寵のおかげと思っている。
そして20代の頃からは、新たにビタミンMを毎日欠かさずに摂取している。口から摂ら
ず、耳から摂るのだ。

ただし、ビタミンMは「音楽(歌)なら何でも良い」わけではなく、「好きな歌やメロデ
イー」に限定される。
嫌いな歌を聴くと、体調が悪くなる。
「良薬、口ににがし」とはいえない。嫌な歌を無理に聴いても、酸っぱい夏ミカンのよう
なビタミンの効能はなく、かえって不調になる。「良歌、耳に甘し」でなくてはならない。
だから近年、NHKの紅白歌合戦で、若い男や女のグループが、飛んだり跳ねたりしなが
ら歌っている(踊っている?)歌を無理して1、2曲聴くと、気持が萎えてくる。空しく
なるようだ。近年、紅白で聴く若手歌手の歌のどれ一つとして「感動した」「素晴らしい!」
というものは無い。
少なくとも「面白かったかな」と言えれば良いが、それも無い。

前回のエッセイの内容にかぶるところがあるが、今の日本の音楽業界は、戦後最低水準に
あるのではなかろうか。
私が年を取ったと言えども、良い歌、良い映画というものは、ほぼ世代を超えて歓迎され、
ヒットするものと思うのだが。
2000年以降のミュージック界を振り返っても、この20年余の間で、私の好き嫌いは
なく「ヒットしたな!」と思えるのは、2000年に発売された、SMAP「世界に一つ
だけの花」と、福山雅治の「桜坂」、サザンの「TSUNAMI」。2003年の森山直太朗の
「さくら(独唱)」そして、中島みゆきの「地上の星」ぐらいしか無い。「大きな古時計」
(平井堅)や「千の風になって」(秋川雅史)は次点程度。あとは本当に思い浮かばない。

国民の価値観の相違・多様化によって、もはや昔のようなミリオンセラーは望めない。特
に世代間のニーズの相違は、断絶に近い。だから「国民的ヒット曲」などを望むのは、最
早無理。かって子供たちから大人まで口ずさんでいた「およげ!たいやきくん」(子門真
人・1976年)のようなレコード売り上げ総枚数450万枚を上げた歌などは、もう二
度と生まれないだろうが、せめて世代横断的に愛されるミニ・ヒット程度の歌が、欲しい。
紅白歌合戦のフイナーレなどに合唱する歌が、「いつでも夢を」や「上を向いて歩こう」
などといった1960年代の歌に、いつまでも頼っているエンタメ・マスコミ・歌の世界
も、情けない。

「若い者に観て貰い、聴いて貰い、買って貰わないと、将来的にテレビ業界も音楽業界も
持たない。スポンサーもつかない。だから、これからの購買者になる若者をターゲットと
して、番組も歌も創るしかないのだ。万人に受けようとしても駄目だ。ごく一部のコアを
つかめば、それでいい」と言ったふうで、チマチマした発想で対応しているから、国民の
多くが共感できる作品などは生まれようがないのだろうか。
若い層は、そもそもテレビも新聞も観ないし読まないで、スマホ偏重・個人主義に陥って
いくと思う。
時間的・精神的・経済的な余裕のなさも、影響しているのでは。
現代のように世の中の先行きが不透明で不安を感じる時代になると、余計そうした傾向に
なると思う。
テレビの視聴率も年々落ちている。
新聞は発行部数が年々落ちている。
結局、テレビの番組は表現が悪いが「バカ者たち」向けになっている。ポピュリズム(大
衆迎合)の政治と同様。
それでいてCMは、腰痛・ひざ痛のサプリや形成美容やリフォームや終活コンサルテイン
グや有料老人ホームや墓苑などのジジ・ババ向けのもので溢れているのだから、、、。

そして、たまにBSで観る歌番組では、団塊世代向けの「懐かしのヒット曲特集」などを
やるが、これが残念。
失礼ながら、例えば最近、私が今でも大好きな歌「遠い世界に」を、フォーク・グループ
「五つの赤い風船」の現メンバーが歌っていた。それはそれで良いのだが、皆さん当時か
ら50歳ぐらいお年を召しておられるので(勿論見る私も同様)、当然のことに当時の風
貌と声の張り、歌の響きが無い。元気そうで何よりだったが、歌は残念だった。仕方がな
い。
こうした懐かしの名歌は、やはりスマホや家のオーデイオで、当時のメンバーの歌声をそ
のまま聴くに限る。なまじ懐かしがって現在の歌を聴かないほうが、良いかもしれない。
参考までに、「遠い世界に」の一部歌詞を。

「♩雲にかくれた 小さな星は これが日本だ 私の国だ 若い力を体に感じて みんなで
歩こう 長い道だが 一つの道を力のかぎり 明日の世界を さがしに行こう」
これはやはり若者の歌。
現在の若者グループにカバーバージョンとして歌って貰い、今の時代にテレビで流しても
らいたいものだ。
(昨今、紅白やワイドショウなどで、加山雄三や吉田拓郎や小椋佳さんなどが、最後の出
演などとの紹介で歌っているのを観たが、なぜか「観なければ良かった・・・」との寂寞
感が残った)

「今の経済だけではなく、歌や映画のエンタメ分野でも、日本は韓国などに抜かれてしま
っている」
そんなこんなを考えながら、先日の日曜日に、これも懐かしの神田神保町に散策に出かけ
たのだが、ちょっと面白いことに遭遇した。
その話は、次回にでも。

それでは良い週末を。