東井朝仁 随想録
「良い週末を」

「死に方」(1) 

前回は「生き方」と題してエッセイを書いたので、今回は「死に方」 について。
「死に方(かた)」といっても、字のごとくの「死ぬ方法」ではない。
人は、おおむね病気か老衰か不慮の事故か自害で死ぬ。その死に方を論じるのは不毛。
もう一つ「死に方」といえば「死にざま」をも意味する。
昔(2000年・平成12年)、月刊「文藝春秋」に「うらやましい死にかた」と題した
読者の投稿特集を読んだことがあった。
作家の五木寛之氏が監修した、何人かの実例集。
思い出すままに、その中の印象に残っている一例を挙げてみると。

投稿者は72歳の男性。その父親の死に際のこと。
「35歳だった父は関東大震災で焼きだされ、東京から妻子4人を連れて立川に移住し、
ゼロから出発した。
ド素人で洋服店を営みながら家族を育てて10年。姉には下宿屋を、次男には家一軒作れ
る余裕ができていた。
その数年後のある日の早朝、小学6年の私は父の危急を知らせに、親戚のいる姉の家に走
りに走った。『おとっつあんが危ないんだ、すぐに来て!』と叫び、すぐに家に戻ると、
父は相変わらず目を閉じ、じっと横になっていた。頼んでも医者は来てくれぬという。ふ
と見ると父は目を見開き、家族や、人々に目を向けた。思わず皆が顔を寄せた。
しかしその必要がないほど、はっきりとした声で、たった一言、「俺は行くぞ、泣くな!」
と言って再び目を閉じた。
それからすぐに父は逝った。
私は、わずか数分後に迫っている自己の死期を悟り、あんなにも落ち着いて、こちらから
あちらへと行けるものかと考え、父は立派だったと、今思うのである」
この事例は「うらやましい死に方」である。

だが今回の主旨は、超高齢社会の現在、世間で騒がれている「終活」などという、財産整
理や身辺整理や葬儀・墓に関する準備や断捨離などのことではない。死ぬまでの資産運用
とか家屋のバリアフリー補助とか、損をしない税金対策・相続の仕方などといったノウハ
ウを考えることでもない。
いまわの際(きわ)の有りようも、終活もそれはそれで結構だが、今回のエッセイのねら
いは「残りの限られた人生を見越して、いかに死に向かって生きるか」という点にある。
結局「良い死に方」は「良い生き方」に包含される。
誰もがいつ訪れるかわからない「死」に向かって日々を生きているが、それもいつかは終
わる。無限はない。
そうした潜在的意識が、高齢者と呼ばれる年になると、だんだんと顕在化し、今までにな
く死というものが卑近に感じられてくる。
その名状しがたい、無限で不可逆的な時間と空間との対峙。すると時として、掴みどころ
のない虚無感が身体の奥に漂う。こうした感覚を持つのは、私だけのことだろうか。
(注・私の場合、以前にこの欄で述べたように、中学1年の終わりに交通事故に遭い、
99死に1生を得て生還してから、死というものはある日突然に訪れるものという認識を
持ってきたが)

よほど強い達観を抱く者か、よほど能天気(楽天的ではなく単なるおバカ)な者でない限
り、残された二度と来ない人生の時間に思いを馳せるのではなかろうか。
ということは、「死ぬこと」を意識することによって、今までにない生真面目さで残りの
日々の「生き方」を考えるのが、この世の人の常(つね)ではなかろうか、と考えるのだ
が。

そうした思いから、やはり前回、稲盛和夫氏の著書「生き方」に感銘してその要点を紹介
したのと同様に、今回は我が国の時代小説の第一人者である作家の池波正太郎氏の著書、
特に20冊以上発行された氏のエッセイ本から、「死に方」の一端を得心させられた文章
を紹介してみる(注・特に「男のリズム」(角川文庫))・「作家の四季」(講談社文庫)
「池波正太郎の銀座日記」(新潮文庫)から)
なお、いずれの著書に収載されているエッセイは、昭和50年(1975年)頃から平成
2年(1990年)頃までに執筆された、今から30年以上も前のものである。
ちなみに、氏は平成2年5月、67歳で逝去された。

「ひとりの人間の一生は、たった一つしかない。生まれるや、人間は、確実に『死』へ向
かって歩み始める。これだけが人間にとって、ただ一つ、はっきりとわかっていることで、
あとのことは何もわからぬと言ってよいほどだ。おもえば慄然とせざるを得ない。
近年、つくづくと、一人の人間が持っている生涯の時間というものは、『たかが知れてい
る・・』と思わざるを得ない。
人間の欲望は際限もないもので、あれもこれもと欲張ったところで、どうにもならぬこと
は知れている(略)
三日に一度ほどは、ぼんやりと自分が死ぬ日のことを考えてみるのは、徒労でもあろうが、
一方では、自分の中の過剰な欲望を、打ち消してくれる効果もあるのだ。
(略)
死ぬために食うのだから、念を入れなくてはならないのである。
なるべく『うまく死にたい・・』からこそ、日々、口に入れるものへ、念をかけるのであ
る」
(注・池波氏は食通としてつとに有名で、何冊もの食に関する絶品なエッセイ集が出てい
る)

「近頃の日本は、何事にも『白』でなければ『黒』である。その中間の色合いが、まった
く消えてしまった。その色合いこそ『融通』というものである。戦後、輸入された自由主
義、民主主義は、かっての融通の利いた世の中を、たちまちにもみつぶしてしまった。皮
肉なことである。
だが、科学と機械の暴力を抑えきれぬかぎり、日本の民主主義は、百年を持ちこたえられ
ないと思う。
科学と機械の文明の中で、せまくて小さな日本の国にふさわしいものだけを採り入れるこ
とができぬ限り、日本人の『家』は、すべて、ほろび消えるであろう。
そのあとには、得体の知れぬ東洋人が生き残り、まったく別種の国体を造り上げるのかも
知れぬ。
私は、できる限り、私が生まれ育った東京の暮らしをつづけ、力尽きた時は死のうとおも
う。
死ぬことは未経験のことゆえ、怖いけれども、いま、死んだところで、心残りはまったく
ない」

長くなりますので、この続きは次回にでも。
それでは良い週末を。