東井朝仁 随想録
「良い週末を」

「死に方」(2) 

今回も、前回に引き続き、作家・池波正太郎氏(1990年・平成2年没)の文献から、
このエッセイのテーマ「死に方」に関する「我が意を得た」文章の一部を紹介します。

「私の老母は、今年で73才になったが、ちかごろ、たびたび、何かというと、自分の
『死』に結びつけて語りだすことが多くなった。
大正の関東大震災と、太平洋戦争とで、あわせて4度も、猛火に東京の家を焼かれている
母は、何事にも動じない女であったが、ようやく、間近になった最後の日を想うと、強い
不安をおぼえるらしい。
そうしたときに、私は、こういってやる。
『大丈夫だ。祖父(おじい)さんも祖母(おばあ)さんも、Mのおばさんも、みんな仕
(し)てのけられたんだからね』と。それは、むしろ、私自身に言い聞かせていることな
のかも知れない。
(略)
いつも言ったり書いたりしていることなのだが、人間にとって、ただ一つ、はっきりとわ
かっているものは、『死ぬ・・』ということなのである。
しかも、この一事だけは、生きている人間のすべてが未経験のことであり、これを体験し
た瞬間に、人は『生』から離脱してしまうのだ。
(略)
舟橋聖一氏(注・『花の生涯』等の名作を残した作家)は、ある雑誌で知人のN氏の臨終
について書かれ、そのN氏の『自分も慣例に従って、生涯を閉じる』と、いわれた言葉に
対して、『まことに思慮深い遺言と言っていいだろう』と、感想を述べられている。
まさに、そのとおりで、このN氏の一言は、生ある者をはげましてくれる。また同時に、
生とはなんであるかを、人々に教示してくれたことにもなる。それは死を直前にひかえた
人の言葉だけに、したたかな重みがある。
おそらくN氏の生涯は、N氏にとって充実したものであったに違いない。
それなくては、このような別れの言葉が出るものではないと思う」

「私の年代の者の青春は、戦争というものが、すぐに前に立ちふさがってい、否応なしに
自分の生死について考えさせられた。
それには、戦争から生きて帰れることよりも、骨になって帰ることを前提にしておかなけ
ればならない。戦争へ出ていく前に、『できるかぎりのことを、悔いなくしておこう』と
いう一事のみが、いつも脳裏にこびりついていたものだ。
では、何をしたのかというと、大したことではない。ここに書き述べて読んでいただくよ
うな事は何一つ、していなかった。
端的にいうなら『こころおきなく、遊んでおこう』ということなのだ。
そのときの数年間は、身体の続く限り、諸方を飛びまわり、やれること、やりたいことは
何でもやってみた。そして、いよいよ、出征する時には、自分なりに『これでいい。少し
も、思い残すことはない』と、おもった。
(略)
私が勤務したのは海軍航空隊であって、私は私なりに、自分の一命が『もう、長くはない』
と、切実に感じていた。
終戦時の夏は、山陰の基地にいて、本部の電話室長をやっていたものだから、敗戦が免れ
がたいことを、他の兵隊たちより早く知っていたからだろう。
そうなってくると、周囲の人間たちばかりか、強い夏の陽光に輝いている山陰の海や木や
草や、名も知らぬ野の花の色彩や、みずみずしい生命力が、いちいち胸に感得されてきて、
以前に見た海や木や草とは、全く違った、すばらしい美しさに満ちていることを知った。
自分の死が接近していることを思いながら暮らしていると、あらゆる現象が、このように
すばらしく見えるものかと、われながら瞠目(どうもく)したことがある。
戦争が終わり、生きて帰ってからも、戦前の数年間と同様に、このときの数か月を、私は
ずっと忘れなかった。
敗戦は、この世の中に、いかなることが起こっても不思議はないということを、まざまざ
と私に教えてくれた。生死も運不運も、幸福と不幸も五分五分であるという思いが、戦後
三十八年間の自分をささえてくれた」

「高齢の義母は、もう、足を悪くして、私の家へも来られなくなってしまった。 同様に、
私の母にも、いつ死なれても、私としては、するだけのことは全部しているから、少しも
心残りはない。
妻に対してもそうである。
妻は指輪一つ持っていないが、日本中、ずいぶん、いろいろなところへ連れて行った。
妻が先に死ぬというのではなく、私が先に死んでも、心残りはない。
『生きているうちに、ああしてやればよかったが、ついつい、いそがしくて、何もしてや
れなかった・・・』などというのは、男として愚の骨頂と言わねばならぬ。
このようにして、五十をこえてみると、もう、私の人生は終りに近くなっている。
まったく、早いものだ。
これからの老年期に、気力も体力も衰えた私がどうなって行くか、それは知れたものでは
ない。いずれにしても、人は、滅び去るのである」

「還暦を祝われてのうれしさは、ちょっと筆舌に尽くしがたい。
いずれにせよ、これからは最後の難関(死)へ立ち向かわねばならないが、こればかりは
未経験のことゆえ、不安だ。
60年生きてきて、いまさら感じることは、我欲のない人ほど幸福になっていることだ。
むろんのことに、これは金銭とは別のもので、いかに我欲を張って財産を得たところで人
間は満たされない。その実例を、数え切れぬほどに、私は、この目で見てきた。
恐ろしいのは、我欲と傲慢の結果が、すぐにあらわれず、一国家、一団体、一個人それぞ
れに、我欲の芽がふくらみ、長く潜伏していて、これが表にあらわれ、はっと気づいたと
きには、手遅れになっていることだ。
私の我欲が薄いといっても、ないわけではない。
その残存する我欲を一つ一つ取り除くことを、心がけて行きたい」

「一昨年に亡くなられたH氏に、15年間にわたって、私は毎年一度、人相と手相の鑑定
を受けていたが、最後のときに氏は『私も、もう歳ですから、いつ、どのようなことにな
るかも知れないので、あなたの将来を長期にわたって申し上げましょう』と言われ、種々
の指示を与えられたが、その中で、私は80歳以上の寿命があることと、現在の家では死
なぬことを特に強調していわれた。
もっとも20年の歳月などは『あっ・・・』という間に過ぎてしまう。
今の世界、今の日本が、よろめきながらも平穏をそのままに続けているならば、80余歳
まで生きる自信を私は持っているし、人並みに、安らかに死にたいと切望するが、なかな
か、そうはまいるまい。
これからの世界は、いよいよ、かねての予想通りに恐ろしい激動の中へ突きすすむだろう。
日本も同じだ」

「『八月の鯨』という映画を試写で観た(注・昭和63年、屈指の映画通である氏が65
歳の頃) 老姉妹の淡々とした日常を描いたものだが、リリアン・ギッシュ(91才)
ベティ・ディヴィス(79才)という老女優が、老い果てた肉体と容貌をさらけ出し、立
派な演技を見せたのには、ちょっと、おどろく。
IホールのM君が『いかがでしたか?』と、いったので、『とてもいいね。しかし、60
をこえた僕には、ちょっと深刻だった』 」こたえると、M君は腑に落ちない様子だった。
いまや人間の寿命は八十に延びたという。たしかにそうだろうが、八十まで生きていたら、
むしろ悲惨だ。
世の中は悪くなる一方で、近未来に希望が持てない。
いつも『いまに何か起こって、人間は、傲慢なふるまいを続けてきたツケを払わなくては
ならない』と思い、不安に抱きすくめられている。
若者たちは、この現代の繁栄が永久に続くものと信じ切っている。
果たしてそうだろうか・・・。」

最後に、池波氏が66歳を迎えた平成元年に書かれた文章。
「去年の、晩秋の或る夜。機会があり、ある雑誌の座談会で、吉行淳之介さん(注・洒脱
な芥川賞作家)と一緒になった。
(略)
近頃は、人間の寿命が延びたというので、八十まで生きるのは当然のようにいわれるし、
また、長命の人が多いように、おもわれている。
吉行さんは言下に、『それは、錯覚なんだ。実態は弱っているんだよ。なんとなく平均寿
命が長くなったという・・・医学も死なせてくれない。それだけの話だよ』と、いわれた。
同感である。私も六十までは元気で、仕事も存分にやれたが、六十三、四歳になってから、
急におとろえた。
まず第一に、五十になるまでは旺盛だった好奇心がなくなり、つぎに、あらゆる面での欲
望が、汐の引くように消えてしまった。
私は幸運な男で、よき編集者に恵まれ、自分が書きたいこと、若い頃から思っていた小説
を、ほとんど書いて、発表することができた。それでも、四つか五つ、書きたいものが残
っているが(注・アフリカを背景にした動物学者の話)おそらく、もうだめであろう。」
氏は、この翌年、平成2年に67歳で逝去されている。

参考までに、平成9年(1997年)に、作家・中野孝次氏(注・「ハラスのいた日々」
「清貧の思想」などがベストセラーに)が書いた「老年の愉しみ」(文春文庫)のエッセ
イから、中野氏が警鐘を鳴らしていた文章の一部を紹介。
「去年は住宅金融専門会社(住専)問題を初めとして、エイズウイルス(HIV)訴訟、も
んじゅ事故、大蔵・通産・厚生省の高級官僚の醜聞、それにオウム裁判と、ろくなことの
ない一年だった。
明るい話題は伊達公子と野茂英雄ぐらいなもので、あとは気の滅入るような出来事ばかり
だった。そのせいか日本中に暗さと元気のなさが漂っていたようだった。私の感じでは、
この暗さと元気のなさは、いわゆるバブル崩壊後ずっと続いているような気がする(注・
私は今も続いていると感じる。バブル完全崩壊時を平成5年(1993年)に設定すると、
今年で30年)
世間一般は、その要因を経済不況のせいにしたがっているようだが、私はどうもそればか
りじゃないのではないかと思う。人間は貧しくったって希望や自信さえあれば、明るく生
きられるものだ。
(略)
ではどこに真の原因はあるのか。
私はそれは倫理的退廃にあると思う。
この数年間世間を騒がせた事件は、すべてが、政治家や官僚や経済人の倫理的退廃を示す
ものばかりである。
物欲にのみ突き動かされて人間としての誇りがない。ばれても行為の責任を取らず、言い
逃れ、責任を転嫁し、うそをつく。厚顔無恥で、あるのは金銭への執着と倫理的鈍感、無
節操、こんな連中ばかりみせつけられては、これが今の日本人かと情けなく、気が滅入る
ばかりである。
今の日本の暗さはそこに由来すると、私は思う」

今の私も、全く同感。
現在の日本も当時と同様。明るい話題は「WBC・大谷翔平」だけで、第3次世界大戦前
の状況を呈しているようだ。
民主国家としての政治機能の不全(政治家の劣化・国民の政治不信・選挙制度の衰退・国
会の空洞化・官邸先走りの闇雲政治)・財政破綻・ハイパーインフレ(大恐慌)・地球環
境の崩壊・大地震などの巨大自然災害の発生・テロや凶悪犯罪の多発・治安の悪化・行政
サービスの機能不全などが、「いつ起こってもおかしくはない」不安に満ちた、暗い社会
状況が続いている。
私は、この1、2年の間に、何かとんでもない出来事が起こる予感がして仕方がない。し
たがって、改めて「死に方」について、冷静に思いを巡らせているのだが。

池波氏の文章の引用は終わり。
氏の小説は「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の3シリーズを始めとして、
今でも本屋の棚に置かれて幅広いフアンに愛読され、これらの作品が映画や舞台やテレビ
ドラマで上映されているので、若い人でも氏の名前を聞いたことがあるだろう。
氏の全ての作品に通底しているものがある。それは氏の強い信念ともいえる人生観。
それを一言で表現すれば「人間は必ず死ぬ。人間の人生は、たった一度。人間は生まれる
と同時に、死に向かって生きて行く」ということ。
そうした氏の死生観がストレートに述べられているのが、20冊を超える氏のエッセイ本。
その中から、今回は感覚的に3冊を選抜し、氏の「生き方=死に方」が率直に語られてい
る箇所を紹介させてもらった。

これまで3回にわたる「生き方」と「死に方」に関する先達のエッセイを読まれて、「一
体、何を言いたいのだ?!」と怪訝に思われる方もいただろう。
あるいは、すぐに「そうか」と納得された方もおられるだろう。
そう。人生の時間は短く「アッ!」という間に過ぎ去り、誰もがいつか必ず死に、永遠の
無となって消え去るということ。
それは大宇宙の自然の摂理。
だから、まだ生きている今こそ、時間を大切にし、やりたいことをとにかく行い、「一日
生涯」「利他」の心を忘れずに日々を精一杯に生き、充実した悔いのない人生を全うしよ
う!ということ。
限られた人生の時間を喜び勇みながら、最後まで精一杯に生き切る「生き方」こそ、悔い
がない爽やかな「死に方」と同義語になる、といえるのではなかろうか。

そんなこんなを、人生のラストスパートに備えて思案し、そして得心しているのです。
「死ぬまで長生きできる」のだから。

それでは良い週末を。