鉢植えの花 |
今日(4月26日)は、朝から小雨。空気はヒンヤリ。 私は、アメリカで1952年に大ヒットした、ジョニー・レイの「雨に歩けば」の歌を聴 きながら、二階の自室の窓から灰色の雨空を眺めていた。 青空を眺めるのは小学生の頃からの習性で、当時は、晴れた日の日曜日に、自宅の二階の 瓦屋根に寝そべって空を眺めていて、母に「友達の家にでも行って、遊んできなさい!」 と怒られたりしていた。 青空や紅(くれない)の空に越したことは無いが、灰色の空や漆黒の夜空でも好きだった。 今日の空は「灰白色」。 今日の心模様も、そんなもの。 空模様は小雨が絶え間なく降り続いているわりに、空の明度はさほど低くはない。限りな く灰色に近い白。明度が一番高いのは白だが、そこまではいかない。結局「無彩色」。 「雨に歩けば」の歌も「失恋の痛みを忘れるために雨の中を歩いているが、どうしても忘 れられない・・」という悲しい意味合い。 高校時代に、ラジオの深夜放送でしばしば流れるのを聴いていたが、英語の歌詞も良くわ からず、出だしの「♩Just walking in the rain・・」 だけを「ただ、口笛で吹いて いただけ」 それにしては、センチメンタルでありながら軽快なメロデイで心地よい。 やはり「灰白色」か? 先週の金曜日の夜は、久し振りに渋谷の街で飲んだ。 場所は、渋谷駅直結の47階建の大型複合ビル「渋谷スクランブル・スクエア」 お相手は、医学会出席のために三重から上京されていた、A病院の名誉院長さん。 最近は「名誉」の冠が付いても、若々しい方が多い。 渋谷の街は、コロナ前に戻った。 外国人の多さ、若者たちの狂騒(これはまだ50%ほどだが)。 公衆道徳をわきまえ、犯罪さえ起こさなければ何でもOK(これからはそうはいかないだ ろうが。ストレス・不満・怒りが溜まった者が、反社会的行為を頻発させていかなければ 良いが) 私共も「まだまだ!」とばかり、ネオン輝く下界を眺めながら杯を酌み交わし、よく飲ん でよく喋った。 しかし、かってのように二次会、三次会、あるいは帰路の途中の一人飲みなどは、いまや 無用の長物。 翌土曜・日曜日は、布団や衣類の天日干し、冬物・間物(あいもの)と夏物のクリーニン グの交替、金物屋での買い物、風呂掃除、納税振込・幾つかの電子決済や解約手続きでバ タバタ。 そして、狭い庭の掃除を終えてから、近くの花屋へ出かけ、可愛らしい季節の鉢植えの花 を物色。 今回は、キンセンカ・マーガレット(白・黄色)・インパチェンス(白・赤・ピンク)ケ イトウの鉢植えを合計12個購買。 これを持ち帰って、一まわり、二まわりほど大きい既存の鉢に植え替え。 枯れた一年草の鉢植えは、すべて根こそぎ土を出し、土だけを新聞紙の上に平らにして天 日干し。それを篩(ふるい)で粗い土や石などを除き、油粕などと混ぜ合わせ、再度天日 干しする。これを土壌とした鉢に、植え替えるのだ。 現在、去年の秋に買って育てたシクラメンの鉢植えが、まだ5鉢ほど元気。 秋冷の頃に咲いた赤や白や赤紫のシクラメンが、冬を超えて春が来て、そろそろ初夏にな るというのに、まだ可憐な花びらを咲かせている。 同様に、購入して3年ほど経つ多年草のゼラニウムの鉢の4個も、二回ほど鉢を大振りに 換えたらどんどん成長し、今でも赤や白の花が咲き誇っている。3年間咲き続ける姿は、 本当にけなげで感心する。 これらの鉢植えの花に負けず劣らずが、これも一鉢200円ほどで買ったクチナシの花。 たった一鉢に数輪咲いた小ぶりの花だったので「枯れて当然」ぐらいの気持で庭の地面に 植え込んでやったら、今や小さな庭の中では一番の立派な花木となり、今年も変わりない 純白の花をたくさん咲かせ、心地よい芳香を漂わせてくれるはず。 このクチナシの花は、現在の家に移転してきた頃に植えた花だから、もう今年で30年以 上になる。 話は戻り。 一昨日の月曜日は、昼から世田谷区若林にある、デイサービスセンターへ。 ここでボランテイアとして「篠笛(しのぶえ)」の演奏をしてきた。 (4月24日のHP表紙写真を) 唱歌と、人間国宝だった「福原百之助氏」の創作曲の合計6曲を吹いてきた。唱歌では、 自然と皆が合唱するシーンがしばしばあって、私の心も熱くなったひとときだった。 このセンターで初めて笛を吹いたのは、2019年4月1日。 平成が終わり、5月1日から令和が始まった年だった。 今から4年前のこと。 その間に新型コロナの感染拡大が始まり、世界中が自粛と閉鎖と分断の時代になってしま った。 「令和だって?ピンとこないな。『令』なんてどういう意味があるの? ずいぶんたくさん文章を書いてきたけど、命令とか、熟語以外で使ったことがない。難し すぎて親しみにくいよ」 こう述べていたのは、作家の石原慎太郎氏。 私も、「国の命令ばかりが目立つ、冷めた時代になるのでは・・」と思っていたが、確か に令和になってから、暗いニュースばかりのようだ。 それでも悠久の時は流れてゆく。 篠笛の別名は人により異なるが、私は「忍笛(しのぶえ)」 来月の中旬には、またボランテイアで別のデイサービスセンターに行き、笛を吹く予定。 これからの時代がどうなるかは、誰にもわからない。 私のわかることは、蒔いた種は生える。可愛がった花は必ず咲く。丹精込めて吹いた笛は、 きっと人の心に届く・・・ということぐらいだ。 明日は、きっと晴れるだろう。 朝から日帰りで信州の佐久に行ってこよう。 近くのホームセンターで、何か一鉢の花を買って。 青い空が待っている。 それでは良い週末を。 |