花屋の前で(1) |
昨日、2023年6月7日は、朝から好天気だった。 しかし、昼過ぎには最高気温が30度近くになるとのこと。 この週末以降は、いつ梅雨入りしてもおかしくはない時季にあるので、私は朝飯を終える とすぐに外出した。 午前中のまだしのぎやすい気温の時に、善は急げとばかりに。 行き先は半蔵門。目的は現存の「国立劇場」の写真撮影をすること。 この国立劇場は、来年の秋から全面的な建て替え工事に入る。 完成は2029年秋の予定とのこと。 以前にもこのエッセイで触れたが、今、都内のあちこちで大規模な建築工事が始まってお り、また多数の高層建築の着工が予定されている。 国立劇場の全面改築の話を聞いたのは、ちょうど1週間前。 半蔵門の駅前の大型マンションにある、篠笛や三味線などのお稽古場で、先生の福原道子 さん(注・人間国宝だった父・福原百之助氏の長女。ネットで検索してご覧を)から個人 レッスンを受けている時。 私が新しい曲の譜面を見ながら何回か通しで篠笛を吹き終え、先生の「最初の二行は、ゆ っくりと、少し弱めに吹くと良いですよ」などと指導を受け、再度吹く。そうした練習の 繰り返しの合間に、冷茶を飲みながら雑談をするのだ。 「国立劇場(注・国立演芸場等を含む)を解体して、建て替えるそうですよ。それも完成 するのは、今から6年先ですって」と。 私は「そうですか。明治神宮外苑の再開発計画も、2月に認可されていたけど、国立劇場 もですか」と驚いた。 神宮外苑の再開発計画による完成予定は、ラグビー場が2028年、野球場が2032年、 全体の整備が2036年となっている。 実に十余年の工期なのだ。 ちなみに、私が日本中で1番好きな建造物は、東京タワー。 東京タワーは、1957年(昭和32年)6月に着工し、1958年(昭和33年)12 月に竣工した。 この工事期間は、何と1年半(凄い早い!) 当時は、大型クレーンなどは無く、全て手作業。 鳶(とび)職人の高度な技術が、高さ333メートル、重量約4000トンの、当時で日 本一の高さの建造物(総合電波塔)を完成させたのだ。1年半という工期が厳命されてい て、延べ約22万人の職人が日夜、嵐の日も関係なく手作業を続けて取り組んだ結果だっ た(期間中、墜落死したのは1人)。 まさに、「物作り日本のあけぼの」の象徴ともいえた。 今の私には、10年先、いや5年先の話でも、イメージがわかない。 その長期間に様々な夾雑物というか、ハプニングも発生することだろう。 ただただ、つつがなく完成できることを、祈るのみである。 さて、国立劇場が出来たのは1966年(昭和41年)。私が19歳になった年。完成か ら今年で57年の歳月が流れたことになる。 あの頃は、我が国の高度経済成長が始まっており、1970年(昭和45年)には、日本 はアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国に躍り出ていた。 その頃に様々な公害(水俣病・イタイイタイ病・四日市ぜんそく等)を生みながら、経済 は成長し、続々とインフラが整備されていった。 当時、二十歳を過ぎた団塊の世代が続々と世の中に輩出され、社会は活気に満ちていた。 あの頃は頂上を目指して坂道を必死に、それでいて快活に登っていたが、今は人も物も、 政治も経済も社会も衰退化しながら、坂道を黙々と下っている感じだ。 あれから50余年も経ったのだから、仕方がない。 物事には波がある。良い時もあれば悪い時もある。晴れた日もあれば悪天の日もある。幸 福な時期もあれば不幸な時期もある。 まさに「吉凶はあざなえる縄のごとし」なのかもしれない。 だからといって、現在が凶というわけではない。 かといって、素晴らしくもない。 今や日本の人口は少子・高齢化の曲線を描き、あらゆるインフラ(産業や社会生活の基盤 となる施設。道路・鉄道・港湾・ダムや、学校・病院・公園・社会福祉施設等)も老朽化 の一途を辿っているのだ。 人も物も老朽化すれば、経済も社会も衰退する。 だから、更新・変革・回天・再生が必須なのだ。 例えば、1970年に世界第2位だった日本のGDP(国内総生産)は、2010年(平 成22年)に中国に抜かれて第3位に。それから13年経った今年は、1000億ドル差 のドイツに抜かれて第4位になる予測。1人当たりのGDPランキングを見ると、現在は 世界で31位。 もはや国際的比較では、リッチな国民ではないのだ。 「競争力」(経済的業績・政府の効率性・ビジネスの効率性・社会基盤の4分野の指標総 数)の国際ランキングでは、1990年~1993年の間は世界で1位だったのが、 2010年は27位、そして2020年には34位に落ちている(注・三菱総合研究所調 べ) 新たな可能性の探求と、それに向けた国のあらゆる分野における改革が、待ったなしなの だ。 経済も社会も、私の感覚ではすっかり活気がなくなってしまい、街は無気力、・無感動、 無目的な人が行き交っているようにさえ見える。 元気なのはインバウンドの外国人ばかり。 今までも何度も述べてきたことだが、我が国の現在の社会には「希望」が無いのだ。ある のは、あらゆる分野における制度疲労、不況下の物価上昇、貧困化、孤独化、心の病気の 増加、治安の悪化、要人テロや無目的殺人や放火や強盗や凶悪詐欺や無謀な自動車運転の 横行。それに、希望や生き甲斐や自己肯定感を喪失して、裏社会に流れて半ぐれになる者 や闇商売にはまる者や、売春アルバイトにはまり込む者たちが増えている。 そして、究極は「今さえ良ければ、カネさえ良ければ、自分さえ良ければ」としか考えて なさそうな国会議員たちによる、国民受けの国家予算バラマキ政策。その結果、今あるの が1100兆円に上る国の借金(普通国債残高) それに、軍国主義に走り始めた政権に対する限りなき不安と、これに抗しきれない野党や マスコミや有識者や、「内向き」になってしまっている保守的な多くの国民。 「こんな社会状況になるまでの間、政治や行政や経済界や教育界などの指導者・有識者は、 一体何をしていたのだ。空白の30年間とかいわれているが、この間は自分たちの既得権 益だけにしがみついていたのか。そして『まだまだ日本は凄い!』」という過去の幻想に 浸って、改革をためらい、現状維持の保守的になっていただけなのか。日本の新しい可能 性を探求する必死の姿勢を見せられないのか?!」との不満が湧いてくる。 それは一般国民も同様だろう。 ここで、昨年10月に内閣府が実施した国民生活に関する世論調査を見ると、現在の『生 活の満足度』は、満足が52%、不満足が48%で、ほぼ半々だった。 また、『生活の程度』は、上と回答したものが約2%、中の上が14%、中の中が49%、 中の下が26%。下が7%。 要するに、『中流』と思っている国民の割合がほぼ90%(中の上と中で63%)の数字 でわかるように、国民の殆どが、『生活(貧富)の格差』を意識していないようだ。 この結果は、喜ばしいことだろう。 それほど国民は、現在の生活に不満を抱いているわけではないようだ。 この先、たとえ諸物価が上がり続けたりして家計支出が増嵩しても、きっと世論調査では 「生活はほぼ満足」「生活レベルは中の中か下」と回答する人が多いだろう。他の家と比 べて自分のところは中ぐらいという意識は、余程のことが起きない限り(いや、例え起こ って下降しても)、終生、中ぐらいと答えていく人が多いのではないかと、私は推測する が。 現在、日本国民の数少ない大きな希望は、大リーグの大谷翔平選手の活躍。彼がホームラ ンを打ったり、投げては勝利投手になったら、TV各局のニュースは、これを連日のよう に流し続ける。 国民はこれを観ただけで、「ヨッシャ、大谷は神ってる、日本はすごい!」となる。 国民はかっての「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の思いが根強く残っているかのように、 快哉の叫びをあげる。 こうして、日本人はいつまでたっても国のリアルな現状を理解せず、国際比較における数 字上の日本の現状には無頓着で、何やら根拠のない自信だけを抱きながら、この先も「右 むけ右!」で進んで行くのではなかろうか。 一方、過去何回かの国政選挙をみても、有権者の約半数は棄権。 「選挙による民主的な政権交代・政策変更などは期待していない。 無理。投票したい人も政党も無い。私は私の生活を自分で守るだけ。自分で好きなように 生きる。政治は他の人達に任せます。どうぞご自由に」ということだろうが。 かといって有権者の2割弱は「中国や北朝鮮やロシアに囲まれていて、日本も心配だわね。 だからといって、今の政権が軍備費を増やしたり、アメリカの核に頼り切ったりしている のは、どうかしらね。私は、日本が戦争をする国になることには絶対反対よ!」と言って おきながら、いざ選挙となると「私の家は、昔から自民党」ということになるのだろう。 かくいう私には、為す術は見当たらない(あと10歳若ければ、とは思うが)。 これも以前に述べたことだが、「現在の日本は、戦争やテロや大地震等の大災害や、経済 恐慌や日本財政の破綻などに見舞われないと、変わらない」という妄想が、さらに強く働 く昨今なのだ。 実際に何らかの危機が自分に降りかかって、初めて人は本能的に「助け合う」というか、 金持ちも貧乏人も、職業・身分・老若男女も関係なく、みな生き延びるために、心を同じ くするのではなかろうか。まさに、ラグビーの精神「一人は皆のために、皆は一人のため に」という気持で、必然的に「One team」になれるのではないだろうか。 だから私は「もはや、なるようにしかならない」と達観しているのだが。 話が飛躍したが、そうした心情の中、せめて現存の国立劇場を写真に残し、良き想い出を 残しておこうと思い立ち、半蔵門に出かけた次第。 空は快晴。気温は高くなりつつあったが、ノコノコ出かけて正解だった。 やはり何回見ても、国立劇場は威容を誇って、何らかの趣がある。 私は、南北に長い劇場の軒先に、等間隔で据え置かれた長椅子に座り、皇居の緑をぼんや りと眺めていた。涼しい風が敷地内の木々の葉を揺らして吹き込んで来る。 人影は少なく、数人の人が座っているだけ。 今日は休演日だった。 束の間、爽やかな気分に癒されていた。 それから、建物を幾つかの方向から撮影してから、半蔵門駅の出入り口の一つがある、麹 町1丁目の交差点に向かって、ゆっくりと歩いて行った。 そして麹町1丁目の新宿通りの交差点前から、1本なかに入った道の角にある、花屋の前 に立った。 店先にはオレンジ色のインパチェンスの鉢植えが幾つか並んでいた。 私は、見るともなく見ていたら、以前にもこの花屋の前で花を眺めていたことを思い出し た。 あれは3月下旬のこと。この近くのマンションにあるお稽古場での、篠笛の個人レッスン の帰りだった。 この花屋の前に立ち止まって、あの時は赤いゼラニウムや、なでしこの鉢植えを、背を低 めて見つめていた。 すると、隣にはいつの間にか、私と同様に店先の花々を眺めている、背の小さなおばさん (注・あとでおばあさんと気づいた)が立っているのに気が付いた。 このおばさんは、3月の末と言っても、ひどく寒い夕暮れにもかかわらず(私は背広の上 にスプリングコートを羽織っていたが)、普段着らしいスカートとブラウスにカーディガ ンという薄着姿だった。足元を見たら、靴下もはかないで素足でサンダルを履いていた。 そのおばさんとの会話を、私は昨日のその花屋の前で想い出していたのです。 この話の続きは、次回にでも。 それでは良い週末を。 |